初めての会話
8月ももう終わり。
いつものように私はバイトへ行った。
今日はお祭りだ。
年に1度の大きなお祭りが駅前で開かれる。
イベントの日は必ずこうやってシフトが入る。
お祭りが終わると駅から一気に人が流れてくる。
そのために店も人を揃えて対応しなければならない。
仕方ない…。一緒に行く人もいないし。
無理に予定を入れるよりはお金を稼いでいた方がいい。
そんなちょっとした強がりを自分に言い聞かせていた。
休みが入っている同僚がみんなに屋台でお土産を買ってきてくれることになった。
「あたしたこ焼き〜。」
「オレわたあめ。」
「じゃぁ…あたしはイカ焼き。」
お前オッサンみたいだな。と言われた。
何だかんだ言いながらも帰りにはちゃんと全員分のお土産を買ってきてくれた。
そうゆうワイワイした雰囲気が好き。
忙しくても疲れててもこうやってみんな仲が良かったからバイトも全然苦ではなかった。
イカ焼きを楽しみにしながら接客に追われること3時間…。
やっぱり忙しかった。
でもお祭りが終わったらもっと忙しくなる。
一旦客足が落ち着く21時を狙ってみんな順次休憩に入った。
「あーやっとイカ焼きが食べられる。」
この時間を楽しみに今日は頑張った。
お祭りの香りを少しでも味わいたくて。
少し焦げた匂い、けっして柔らかいとはいえない身。
でもそれが屋台の味。
お祭りに行けない寂しさと別にいいやと思う見栄。
でもやっぱりそこは年頃。
浴衣を着て彼氏と手を繋いで人混みを歩きたい。
それが本音だった。
食べ物なんて何でもいい。
ただ自分も人並みに彼氏とお祭りデートがしたいだけなのだ。
そんな小さな夢を抱きながら、まだ見ぬ彼氏の横に居る自分を想像してみたりした。
あー何で私、こんなに働いてんだろ…。
ふとそう思った。
ひっきりなしに入ってくるお客さん。
これからの時間帯は注文のほとんどを喫茶メニューが占める。
パフェやかき氷、ケーキなどの喫茶メニューばかりになる。
喫茶メニューはホール担当だった。
しかしホールで働く男子たちにパフェを作るセンスがあるはずもなく…。
これは今日に限ったことではない。忙しい日はいつもそうだった。
喫茶伝票が私の前に目がくらむほど並べられ、しばらくの間ひたすらデザート作りに追われる。
私自身、パフェ作りは好きだ。
実家暮らしながら好きで料理もよくしていた。
だからセカセカと喫茶メニュー作りに追われる忙しさはそんなに苦ではない。
時に忙しさが心地よく感じられさえもした。
その前に休憩だ。
お待ちかねのイカ焼き。
休憩室をのぞくとユウスケがいる。
一人で静かに携帯をいじっていた。
一緒か…話すことないな。
何か気まずい。ま、いっか。
それよりイカ焼きイカ焼き。
私はとにかくお腹が空いていた。
休憩は私が最後だ。
「あれ?!ない?!」
イカ焼きがない。
私の分のイカ焼きが見あたらない。
休憩室の机の上に置いておくって聞いたのに。
なんだか嫌な予感がした。
まさかと思って探してみた。
でもやっぱりない。
あくせくしている私を彼は気付いているのか気付いていないのか…。
勇気を出して聞いてみるか。
彼はまだ携帯をいじっている。
オレに話しかけるなという雰囲気が漂っているようにも見える。
でも仕方ない。この人なら何か知っているかもしれない。
「あの…ここに置いてあったイカ焼き知りませんか?」
思い切って聞いてみた。
彼が顔を上げた。
知らないと言われて終わりだと思った。
「あー、何かさっきキッチンのみんながつまんでたで。自分のやったんや。
気付いてたら言うたったのにな。ごめんな。残念やったね。」
思いもかけない返答だった。
その瞬間張り詰めていた緊張感が一気にほどけた。
「うそー?!今日イカ焼き楽しみに今まで頑張ってきたのにー。」
思わず出た本音。
やばい、恥ずかしい。
初めての会話がイカ焼き知りませんかって何だか雰囲気も全くない。
しかしこの時そんなことはどうでもよかった。
私はそのまますぐキッチンに殴り込みに行った。
それなのにただみんなは、私の怒りをようを見て笑っただけだった。
結局、私は喫茶メニューのマフィンにアイスクリームを添えて空腹を満たした。
その後の休憩室は彼と二人だった。
相変わらず彼は静かに携帯をいじったり置いてある雑誌を読んだりしていた。
私たちの間に会話はなかった。
私はいつも原付通勤をしている。
通っている専門学校は店から10分とかからない駅前のビルにある。
私はいつも学校が終わると家には帰らず駅前で時間をつぶしてそのままバイトへ行っていた。
そんな原付生活とももうすぐお別れだ。
近々車を買う予定がある。
もちろん中古だが、20万で手に入った。
親戚の車屋で探してもらったもので、古い型ではあるが自分が乗るには十分な車だった。
原付は便利だったが、雨の日や冬がキツイ…。
それからヘルメットをかぶると髪型が崩れる。
店では髪の長い人は邪魔にならないようにくくりなさいという決まりがあった。
色々ややこしい。
だから色んな意味で早く車が欲しかった。
市内とはいえ、うちの実家周辺は交通の便が悪かった。
店からは車で20分ほどの距離にある。
実家が団地のてっぺんにあったため、バス停まで歩いても20分かかる。
最寄りの駅はない。
しかも夜中まで働くため、自転車で動き回るということにはさすがに放任主義の両親も口を挟んできた。
まだ高校を卒業したばかり。
学生の身でまだ父親に養ってもらっている。
でも欲しいモノもたくさんある。
将来のために今やるべきことは何なのか。
私は大人になったらどうなってるんだろう。
この先どうなっていくんだろう。
そんなまだ起こってもいないことに対して未知の不安を抱いてしまう…。
もう今年19になるのにいまだに彼氏ができない。
どうしよう。
このまま学校を卒業して一体どこに就職するんだろう。
そんなことばかり考えていた。
まだ子どもなのに、どうしても背伸びしようとしてしまう。
堂々とお酒を飲むこともできない。
タバコだって吸う気はなかったけれどまだ吸えない年なんだと思うと何だか嫌だった。
そんな私は自分でお金を稼ぐということに少し誇りを持っていた。
おそらくその少しの背伸び感が影響していたんだろう。
親に頼りたくない、自分の力で何でもやりたい。
できる力なんてまだまだないのに。
でも自分なりに頑張っているつもりだった。
バイトの休みは平日だった。
土日はどうしても忙しくなるので何も言わなくても自然にシフトが入っていた。
「ねー何でそんなに働くん?」
「今しか遊べる時ないんだよー。」
「今日もバイト?!」
友達はよくそう言っていた。
正直あまり専門学校にはなじめなかった。
友達は地方から出てきた子、近くから通う子と様々だった。
しかし、私のようにバイトばかりしている子はそういなかった。
何で大学に行かずにこの学校に入ったか。
専門分野の勉強だけ思いっきりできると思ったからだ。
自分のやりたいことだけ集中できると思ったからだ。
でも現実は何だか違う。
大学を受けるのが面倒だったからとりあえず入った。
就職率がいいって聞いたから来た。
すぐに働くのは嫌だったからとりあえず…。
専門学校に来る人は、みんな資格を取りたくて、本当にその仕事に就きたくて来ると思っていた。
もちろん、そんな人もいた。
転職のために仕事を辞めて来た人もいた。
夢を持って来た人もいた。
でも私が見る限り、ほんのひとかけらの人しかいないように見えた。
自分はどうなのか。そう聞かれると自信はない。
ただ、目指すものはあった。
少なくとも勉強する気は結構あった。
でも何だか違うかも。
そう思い始めていた。
まだ入学して半年も経っていないのに…。
私は自分の中で一つ決めていることがあった。
初めてのキスは絶対に好きな人とする
なかなか恥ずかしくて堂々とこんなことは言えない。
でも自分の中でこれだけはと決めていた。
初めてのキスも初めてのエッチも好きな人とじゃないと絶対に嫌だと思っていた。
そう考えると、別に無理して彼氏を作ろうなんて思わなかった。
でも正直、少し焦る気持ちもあった。
矛盾している、そう思った。
彼と会話を交わしてからは、彼に対する思い込みがなくなったような気がしていた。
あれから特にまともに会話を交わしたわけではない。
会えば挨拶をするし、用事があれば声も掛けた。
でもそれだけだった。