信じられる人
初めてかもしれない。
誰かをここまで好きだなと思ったのは。
あれから変化はない。
ナオコは相変わらずユウスケに色々とアピールしているようだ。
ディナータイムで一緒になると、用もないのに暇を見つけては話しかけに行っている。
彼が休憩に入るものなら、自ら店長に直訴して自分の休憩を早めてもらっている。
その光景を、私は何も言えずただ見ているだけだった。
ナオコとは、あのマサシの一件以来それらしい話はしていない。
もちろん、お互い自分の好きな人のことについて触れることもなかった。
おそらく、私が気付いているように、ナオコも何かしら察知しているんだろう。
私自身、それほど上手く嘘をつける技術は持っていない。
きっとナオコも私がユウスケに好意を持っていることに気付いていると思った。
だから余計にナオコの行動は明らかに積極的になったんだと感じていた。
これは女の勘だ。
私はナオコと恋のライバルということになるわけだ。
でも、何だかピンとこない。
ライバルと言っても、私がナオコと張り合う理由が見付からなかった。
ナオコと私は対照的なタイプだ。
きっと恋の仕方も価値観も違うと思う。
そんな相手と何か比べて何がどうなるのか…。
ただ同じなのは、その恋の相手がユウスケだということ。
ナオコは懸命にユウスケの好きなタイプを探り、彼好みの女になろうとしていた。
それは端から見ている私にもはっきりと分かった。
しかし私はどうしても自分を変えてまで彼に近付こうという気になれなかった。
ありのままの自分を知って欲しかった。
今の私を受け入れて欲しい、そう思っていた。
だから不思議とナオコに対するライバル意識は沸いてこなかった。
そして焦る気持ちもなかった。
ただ、彼に対する気持ちだけは負けたくないと思っていた。
でもやっぱり、もう少し焦った方がいいんだろうか…。
今の私はユウスケと話をしたり、こうやってバイトで会えることに満足しているのかもしれない。
まだまだ私が知らないことはたくさんあるはずなのに。
もっと貪欲になるべきなんだろうか。
ナオコの行動を見て、私はそんなことを考えていた。
恋愛は勝ち負けなんかじゃない。
私が分かるのはただそれだけだった…。
好きなだけではだめなのか。
自分から何かして展開を作らなければ本当に何も変わらないのか。
そこまで作為的に行動して、自分は満足できるんだろうか。
気が付けば、いつもの考え事が始まっていた。
こんなことではきっといつまで経っても変わることなんてできないだろう。
変わりたいと思う願望があるだけで、結局思うだけなのだ。
今の状況を抜け出して、何かが変わってしまうことが恐いのだ。
自分が傷付くこと、周りが変化することに不安を感じている。
ナオコのように、次々と変化を求めて行動できたら…。
このままでは勢いでユウスケに告白するかもしれない。
私はそんなナオコが、少しうらやましくさえ思えた。
私は恋愛に対して、ただ自分が思う理想を抱いているだけなのかもしれない。
きっと現実はもっと違う。
自分が思っているようにはいかないはずだ。
それさえピンときていないのに、彼が好きだと言えるんだろうか。
何だかもどかしい。
自分が分からない。
もっと客観的にならなければ、そう思った。
私は小さい頃から常にマイペースだった。
何でもまず考えてから行動するタイプだったと以前母親が話していた。
これは私の性格だ。
もしかしたら自分が思うほど、彼に対する想いは大きくないんだろうか。
ユウスケを好きだと感じている自分に、ただ酔っているだけなんだろうか。
そんなことを考えていると、あっという間に時間が経っていた。
ボーッとすることがおおくなり、接客のミスが増えた。
そんな私を見て、珍しく萩岡が声を掛けてくれた。
「自分、最近調子悪いんやない?」
「そんなことないです。」
「ミスすんのは仕方ないけど、どっか上の空ちゃう?」
「リーダーさんは色々見てるんですね。」
「まぁこれはワシの性格もあるけどな。人間観察、結構得意やねん。」
「じゃあ、今私が考えてることって分かります?」
「当てたろか?マジで。」
「はい。言ってみて下さい。」
「……恋の悩みやろ??」
「何でそう思うんですか?!」
「おっ??図星やな。おっちゃん、スゴイやろ??な??」
「私そんな感じに見えますか?」
「ワシの勘やで。自分のことはうといねんけど、人のことになると分かるんや。嫌な特技やで。」
「すごいですね…。」
「まぁ。最近色々あって疲れとんやろなって思っとったけど、なんか違うような気がしててん。」
「うちの親よりするどいですね。」
「悩みやったら聞いたるで?おっちゃんが。」
「えっ?!そんなめっそうもないです…。」
「ワシ恐い存在かもしれんけど、口だけは相当固いから安心しーや。」
「……じゃぁそのうち…相談させてもらいます。」
「いつでもどうぞ。うまいこといったらえーな。」
「え??」
「ほな休憩行って。15分な。」
「あ…はい。じゃあお先にいただきます。」
萩岡は明らかに何か言いたげだった。
よく分からないまま休憩に入った。
「珍しくおっちゃんと喋っとったな。」
ちょうど同じようにユウスケが入ってきた。
「何か急に話しかけられて…。」
「何言われたん?」
「最近調子がおかしいから悩みでもあるんかって…。」
「よー見てんな。あのおっちゃんもあなどれんで。」
「何でです??」
「こないだ辞めた石田のことも、実は前から知っとったってゆうてたし。」
「そうなんですか?!あたしには噂が本当か教えてくれって…。」
「おっちゃんは全部分かっとって聞いたんちゃう?」
「じゃあ私が知ってたのも…。」
「たぶん気付いとって、あえて聞いてみたんやと思うわ。」
「私、何も知らないって感じで答えたし…。」
「それでいいんちゃう?ベラベラ喋ったら自分もそんなヤツと思われるだけやで。」
「でも嘘ついたし、萩岡さんが私使って何か探ろうとしてるって思って…それで…。」
「大丈夫やって。おっちゃん、自分のこと信用してるで。」
「でも…。」
「自分が思っとるほど人って自分のこと思ってないで。いい意味でな。」
「どういうことですか?」
「もっと自信持ったらええんやない?」
「自信か…難しいですね。」
「自信持ったらあかんようなヤツが自信満々なんよな。」
「でも持ててるだけいいなぁ…。」
「何か悩みでもあんの?」
「萩岡さんには見破られてました。」
「ホンマか?やっぱおっちゃんやるな。」
「まぁ、世の中終わりってほど悩んでるわけじゃあないんで。」
「スケールでかいな、自分。」
「何か、今はそんなにヘコんでないです。そんな気分です。」
「お…そうか。ならええんやけど。」
「私もこんな感じなんで。なるようになります。」
「そんならええわ。」
「じゃあ、戻りますね。」
「おーお疲れ。」
萩岡は私がユウスケに想いを寄せていることにも気付いているんだと思った。
休憩室に入るタイミングもあらかじめ予想していたんだろう。
損な役回りや嫌われるようなことも承知の上でやっているんだと気が付いた。
これまでも、私の知らないところでずっとそうしてきたんだと思うと、言葉が出なかった。
同時に自分の未熟さにも気付かされた。
私よりもずっと大人だ。
年齢以上に、精神的にずっと上だ。
萩岡には頭が上がらない。
私はナオコ以外に自分の周りにはこの気持ちに気付いている人はいないと思っていた。
誰にも話していなかったし、そんな素振りもしていないつもりだった。
どこか無意識のうちに、そんな雰囲気でも出ていただろうか。
他にも同じように気付いている人がいるんだろうか。
色んな事が一気に頭の中を駈け巡った。
「休憩、終わりました。」
「お、ちょっと早いやん。よう話せたんかいな。」
「え??」
「まぁ後はお若いお二人に任せますわ。」
「あの…。」
「大丈夫やで。誰も気付いてない。」
「何で分かるんですか?」
「ワシの勘やて言うたがな。」
「そんな雰囲気出てますか?」
「いや、上手にうまいこと隠れてる。」
「じゃあどこで…??」
「目…って感じか。」
「どういうことですか??」
「相手見る時の目や。接客の時も目を見いって言われとるやろ?」
「はい…。」
「別にお客やなくても誰の目見る時でも気持ち変わるやろ?」
「はい…まぁ…。」
「自分は接客の時の目がええんや。でも誰かさん見る時の目はもっとええんやで。」
「全然自分じゃ分かりません…。」
「人は目見たらだいたいそん時の気持ちとか分かるんや。」
「すごいですね…。」
「最近自分は何となしに落ち込んどる感じがしててんな。」
「まあ。確かに…。」
「ほんで前から思っとったこと考えてみたら悩みはこれしか出てこんかってん。」
「ほんとにスゴイですね。」
「すごないわ。人間こんなんやし、オッサンやし。」
「でもそんなこと言われたの初めてです。」
「自分は正直もんやから余計に分かったんや。」
「あ…あの…誰にも言ってないんで…。」
「分かってるって。おっちゃんに任しとき。」
「え?!」
「ちゃんと黙っとるわ。縁の下の力持ちやわ。」
「なんだか…すいません…。」
「謝ることないやろ。アイツ口悪いとこあるけど、ええヤツや。」
「ほんとですか?!」
「おー。根は真面目や。行動的なタイプじゃないけどな。」
「全然、ほんと、そんな仲でもなんでもないんで…。」
「うまいこといくとえーな。」
「はい…ありがとうございます。」
萩岡の言葉一つ一つが重かった。
ちゃんと気付いて見ていたんだと思うと恥ずかしかった。
でも何だか、今まで胸につかえていたものが一気になくなった気がして不思議な気分だった。
萩岡の存在そのものが変わった。
それくらい私にとって大きな瞬間だった。
自分以外の人が自分の気持ちを知っている…。
何だかおかしい感覚だった。
萩岡には自分の中身を見透かされている気がして、あの日以来気恥ずかしかった。
萩岡自身は何も変わらず、これまでと同じように接してくれている。
あの日から不思議と気持ちが軽くなったような気がしていた。
先のことを考えて不安になったり、彼の気持ちを探ったりすることもなくなった。
関係に変化を求めるよりも、彼と一緒に過ごせる時間が何より嬉しかった。
好きな人がいる喜びを大切にしようと感じていた。