7
次の日の朝。舞う桜の色に似た淡い希望を抱いて、奏介は再び大堀川の河川敷へと赴いた。
もし、また彼女に出会うことができたら、もっと話したい。もっと彼女のことを知りたいと思う。
「なんか、おかしい」
等間隔に続く桜並木と、限りなく降り注ぐ桜吹雪を見上げて奏介はつぶやく。自分がこんなに他人に対して興味を持つことなんて、今までなかったのに。
ぼんやりと思考を回転させつつ、やがて奏介は辿り着く。
昨日、彼女と出会ったあの場所へ。
「…………あ」
いた。
昨日と全く同じ場所に、彼女はいた。デジャヴなんてもんじゃない。昨日と同じシーンのコマをそっくりそのまま切り取ったかのように、彼女は佇んでいた。
きっとこのまま何もしなければ、昨日と同じように彼女は遠くへ行ってしまう。
だから、そうなる前に。
「あ、あの」
奏介は声をかけた。意を決して。
「俺、柏陽高校2年の多田奏介って言います。それで……」
彼女が奏介のほうを向く。昨日みたいにいきなり何かを投げられることはなかった。ただ無表情のまま、俺の言葉の続きを待っている。澄み切った黒い瞳。吸い込まれそうになる。そして、奏介は今になって気づく。
俺、何を言えばいいんだろう。
完全に見切り発車だった。声をかける前に話題の1つや2つ考えておくべきだった。数秒前の愚かな自分をぶん殴ってやりたくなった。
しかし、軽い混乱状態に陥っているうちに、彼女は背を向けてしまう。どんどん遠くなる。
「待って!」
そして、切羽詰まった奏介が放った言葉は。
「お、俺達の……軽音部に入りませんか!?」
言った。
言ってしまった。
奏介は2、3秒ほど時間が止まったような感覚に襲われた。ライブのMCよりも緊張している。深々と最敬礼をしたまま、顔を上げることもできない。この場面を梨音が見ていたら、きっとダサいキモいと罵倒し散々笑い者にした挙げ句のお説教だろう。
「顔、上げて。私が恥ずかしい」
「……ごめん」
おずおずと顔を上げる。初めて、半径1メートル以内の至近距離で彼女を見た。
肌が白い。まつげが長い。思ったよりも、細くて小さい。
まるで人形のような彼女は、惚ける奏介を前に涼しい顔のまま聞いた。
「あなた、軽音部で音楽やってるの?」
「は、はい」
「楽器の担当は?」
「ギター、とボーカル」
「……音楽、好きなの?」
「もちろん!」
「…………なら、私のことは誘わないほうがいい」
「…………は?」
まるで落とし穴にはまったような感覚だった。今の会話の流れ、おかしくないだろうか。
「ちょっと待った、それってどういう——」
「だって私、音楽が嫌いだから」
不意打ちからの、予想外すぎる痛恨の一撃。
『音楽が嫌いだから』
その一言が、何度も頭の中を反響して揺さぶる。あんなに歌が上手いのに? 何で? どうして?
「それに、軽音部なんかで遊び半分の音楽をやっているやつは、もっと嫌いだから」
「…………マジか…………」
とうとう奏介はとどめを刺された。容赦なく鋭利な言葉に魂を撃ち抜かれた奏介は、ただ呆然とするほかなかった。
「それじゃ、さよなら」
そして、彼女は奏介に背中を向ける。もう無理だ。きっとどんな言葉で理論武装を施したところで、彼女を振り向かせることはできない。
だけど、奏介は諦めきれなかった。
「……名前は」
だから、最後に次に繋がる悪あがきの一手を打った。
「名前を、教えてください」
すると、顔だけ振り返った彼女は、少し迷った表情を浮かべた後、奏介に告げた。
「トオノカナタ。それが私の名前」