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練習後、今朝の件について部長がつぶやいた一言がきっかけだった。
「もしかしたら……あそこだったらその子が誰かわかるかもな」
部活を終えて、今朝出会った女の子の情報を得るべく3人が立ち寄ったのは、柏駅の西口駅前にあるカフェだった。
『cafe liner』
店の前の立て看板に、いかにもカフェらしい丸みのあるフォントで書かれている店名。元々はジェロム行きつけの店で、奏介や梨音も紹介されてからは何かとよく顔を出していた。店の人にも顔と名前を覚えられているし、今となってはすっかり常連である。
木製の扉を開けると、お洒落なベルの音が鳴る。
一歩踏み入れたその瞬間から、癒しの空気が包む。
ほとんどが木でできた家具や装飾。オリエンタルなBGM。ほのかに甘い、心地よい香りも漂っている。
「おー、みんないらっしゃーい!」
すると、店内に響く明るい声。黒のシャツとエプロン姿で出迎えたのはこの店の店長代行、松本夏樹だった。
「今日は梨音ちゃんもいるー! ようこそー!」
「ちょっ、夏樹さん!? 他のお客さんが見てるって!」
と、夏樹はいきなり梨音にハグをする。どうやら軽音部メンバーの中では梨音が一番のお気に入りらしい。夏樹いわく、「自分の高校時代に似ているから」とのこと。確かにどっちも髪型は似ているしボーイッシュで明るくさばさばしている雰囲気があるので、姉妹と言われれば自然に納得できるほど共通点が多かった。
ちなみに、これについて以前ジェロムが「でも夏樹は身長と胸が似ていないだろう」と言ったら、レギュラーコーヒーを頼んだはずがとびきり濃いエスプレッソを出されたとか。当然の報いである。
梨音とのスキンシップを終えた夏樹から「空いてる席に座って待っててねー」と言われた3人は、今や定位置になりつつある席に陣取った。カウンター席の裏、角にぴったりと収まった4人席。すぐに夏樹が戻ってきて注文を取る。レギュラーコーヒーを3つ。
「お、みんな揃って久しぶりだな」
すると、今度は別の方向から声がかかる。
「冬馬さん!」
ネクタイを緩めた、細身のスーツ姿の男。名前を松本冬馬という。当然3人よりも年上だが、それでもジェロはクラスメイトに話しかけるようなノリで挨拶を交わす。
「おう、冬馬か。久しぶりだな」
「相変わらず、見た目からして可愛げのない高校生だなジェロムは」
「俺に可愛らしさを求めたってどうしようもないだろうが」
「ま、確かにそうだな」
そう言って、冬馬は小さく苦笑い。
「今日は仕事終わるの早いんですね」
「まあな。つかの間の休息って感じだ」
冬馬は、都内のライブチケット販売会社で働いているここの常連だった。普段は軽音部組が帰る頃に入れ違いで来て遭遇することが多いから、こうして店内でじっくりと話す機会は割と珍しい。それでも彼の仕事柄、柏のライブハウスやCDショップでよく出会っていたので、見かけたらお互いこうして話しかけるくらいのレベルで親しく接していた。
それに、冬馬と3人が仲良くなったきっかけはもう一つ。
「冬馬、それからみんなにもコーヒーお待たせ」
「おう、サンキュ」
四人分のコーヒーを持ってきた夏樹が、最後に冬馬のノートPCの横にコーヒーを置く。それだけの短いやり取りの中にも、どこか特別な感情が垣間見える。
「やっぱり、2人はお似合いですよねー」
「い、いきなり改まってそんなこと言わないでよ!」
期待を裏切らないわかりやすい夏樹の反応。面白い。
「当然だろう、こいつらは夫婦なんだから」
「ジェロムはわざわざそこまで言わんでいい」
ジェロムが追い打ちをかけると、冬馬も少し照れくさそうにたしなめる。しかし、まんざらでもなさそうである。
夏樹と冬馬は、大学を卒業して間もなく結婚していた。元々は中学時代からの幼なじみで、高校から大学時代までは同じバンドのメンバーとしてライブハウスや路上などで活動していたらしい。今ではお互い仕事やプライベート優先だが、まだ時折柏のライブハウスや路上などで音楽活動を続けている。以前には軽音部全員が2人のライブに誘われ、実際に見に行ったこともある。
「で、話が変わるが今日は奏介から聞きたいことがあってだな」
「聞きたいこと?」
「はい、柏近辺で音楽活動してる柏陽高校の女子で、すごく歌の上手い人って誰か知りませんか?」
その質問に、冬馬と夏樹が同じタイミングで考え込む。
「んー……私は心当たりないけど、冬馬は知ってる?」
「いや、聞いたことない。ボーカルならそもそも目立つし、それで歌がずば抜けて上手いってことなら絶対にその評判は耳に入ってくるはずだけどな」
「そ、そうですか……」
少し気落ちする奏介に、夏樹が「でもさ」と言葉を続けてフォローする。
「奏介くんがこうして探したくなるほど歌が上手い人なら絶対上手いんだろうし、そういう人なら絶対に近いうち注目されるようになるんじゃないかな?」
「確かにな。今の音楽業界は全体的に落ち目だから、競争が少ないぶん新人が出れば注目されやすいし。それに、音楽人としてそういう存在が出てくるかも、っていう情報は嬉しいニュースだよ」
ほぉー、と少し安心した様子で奏介が話を聞いていると、今度は「はいはい質問ー」と梨音が手を挙げた。
「はいどうぞ梨音ちゃん!」
「そもそも、今のMiXのブームってまだまだ続きそうなんですか? 個人的にはもううんざりなんですけど……」
「なるほどな、これはあくまで俺個人の予測だけど……正直な話、たぶんMiXのピークはもう過ぎてると思う」
「マジで?」
梨音は目を丸くする。その横でジェロムがふむ、と数秒考え込む。
「冬馬がそう考える根拠はあるのか?」
「もちろん。まずこれまでの楽曲をリリースしたタイミングを見て欲しいんだが……」
そう言って、冬馬は自分のノートPCからMiXの公式サイトを開く。MiXのスタンスを象徴するかのような、無機質なモノトーンのトップページ。そこからさらにディスコグラフィーへと飛ぶ。
2016年から始まったMiXの歴史年表。それぞれの年ごとにリリースされた楽曲のリストがずらっと並ぶ。
「なるほど……目に見えて新曲の数が減っているわけだ」
ジェロムの言う通り、詳しく見てみると年に100曲を超えるペースで発表されていた音源の数は2018年にピークを迎え、翌年以降は急速に下降。そして今年はまだシングルが1枚と近日発売される予定のアルバムから出る10曲のみ。並のアーティストからすればそれでも普通だし、だからこそ日常の中でMiXの凋落ぶりを感じることは少ない。だけど、このような記録として見てみると、失速しているのは明らかだった。
「ふーん……それじゃあ冬馬の予想として、MiXがこんなにペースダウンしちゃった理由って?」
「普通のシンガーソングライターだとしたらネタ切れって可能性が一番ありえるけど、MiXに限ってそれはないだろう」
MiXは何十人、あるいは何百人単位のクリエイターによって支えられているらしい。作詞家、作曲家、演奏家、演出家、などなど。様々なジャンルの表現者がこぞってMiXに作品や技術を提供することで、クオリティの高い楽曲が毎日のようにMiXの名の下で世に送り出されていく。それが楽曲を大量生産できるカラクリだと言われている。
それがどこまで本当なのかはわからないが、少なくともMiXの正体について言及するどんな噂よりも信用できそうな話だ、と奏介は思っていた。
「たぶん一番の原因は、MiXのモチベーションの低下だろう」
「いわゆる燃えつき症候群、ってやつですか?」
「きっとそれに近い状態だよな。あくまで推測の話だけど、あれだけの数の音楽を絶え間なく世に出し続けて来たわけだ。やる気が出なくなるのも無理はない」
「へぇー、そんなもんなんですね。でも、そうなるとMiXは生身の人間ってことですか?」
「だな。具体的な根拠はないが、MiXは人間だと思う」
「俺も、冬馬と同意見だ」
「マジで⁉︎」
奏介は冬馬と梨音、ジェロムの会話を黙って聞きながら、思う。
本当に、そんなことがあるんだろうか。
全世界の音楽を支配したMiXが、たかだかモチベーションの低下なんて平凡すぎる理由で弱体化するなんて。
それは、あまりにもあっけなさすぎるんじゃないか。
「まあ話は脱線したが、近い将来もしかしたらまた音楽シーンに大きな変化が起こる可能性はゼロじゃないってことだ。そもそも、これだけの巨大なMiXブームがどのみち何年も続くとは思えない。音楽の次世代を作るのは君らかもしれないし、そのまだ名前も知らない歌姫なのかもしれない。そう考えると、まだまだ面白そうだよな、この業界も」
「おいおい、勝手に満足して自己完結するなよ冬馬。俺達の問題は結局何も解決されてないじゃないか」
「そうは言っても、何も情報はないしな……それこそクラスでそれに当てはまりそうな怪しい奴はいないのか? 例えばずっと不登校なやつとか」
「あたしのクラスは確かに不登校いますけど、そんな身近にいたら探すのも苦労しませんよー」
奏介は想像する。空いていたはずの教室の席に、桜並木の彼女が座るシーン。
きっと、美しいと思う。
だけどその空想は、あっさりと砂のように消えていく。
そんなことは、ないよな。
奏介は少しぬるくなったコーヒーを、ブラックのままで飲み干した。