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「めっちゃほこりっぽい」
梨音の言うとおり、運び出してきたギターケースには綿ぼこりが雪のようにもっさり積もっていた。黒いはずのケースの色が、もはや灰色に近くなっている状態。奏介とジェロムが部室棟の外でマスクをつけてそれをはたき落とし、仕上げに雑巾で拭く。すると、どうにか元々の黒色に近くなった。
「しかしこれ、ここまでやっといて今さらですけど開けたくないですね……」
「ゴキブリの住処になってたりしてな」
それを聞いた梨音と彼方は寄り添いつつ1メートルほど後ずさった。
「心配するな、そんな時に備えて念のため殺虫剤も用意してある」
「そういう問題じゃない」
珍しく彼方が反論した。普段から白い彼方の肌がさらに白くなっている。思ったよりジェロムのゴキブリ発言が効いていたらしい。
「それじゃ開けるぞー」
ジェロムがファスナーに手をかける。その一歩後ろから奏介が見守り、さらに離れて一番遠くから彼方と梨音が抱き合って恐る恐る様子を伺う。
そして、ジェロムは一息にファスナーを解放した。
中にゴキブリの大群はいなかった。そこにあったのは、弦の錆び付いた、ナチュラルカラーのアコースティックギター。でも傷んでいたのは弦くらいで、ネックとかボディの保存状態は存外悪くないようだった。弦さえ張り替えれば普通に使えそう。
「奏介、試しに弾いてみるか?」
「いいですか?」
近くにあったベンチに座り、奏介は適当にチューニングしてじゃかじゃかと弾いてみる。弦はへたりきっていて全く音が響かない、最悪な雑音。でもそれ以外の状態は割と良好。使ってみた感じ、ボディはやや小柄な印象。でも彼方が使うことを考えれば、むしろこれくらいのサイズ感がちょうどいいかもしれない。
「へぇー、どんなボロいギターかと思ってたけど弦さえどうにかすればいけそうじゃない?」
「うん、いいギター」
いつの間にか警戒を解いていた梨音と彼方も、近くでギターの状態を確認する。
「彼方も持ってみる?」
「持ってみる」
ギターを持つ彼方の姿は、奏介のエレキギターを持っていたときよりもしっくりきていた。昔からこのギターを使いこなしていたかのような雰囲気すら感じる。
そして、奏介には見えた。
大観衆を前にして、それでも物怖じすることなく、ギターを抱えて自分を歌を真っ直ぐに歌い上げる彼女の姿を。
一瞬、奏介の脳裏に焼き付いた、その白昼夢。それは彼方の未来なのか、それとも。
「いいじゃない、いいじゃない! 彼方すごい似合ってる!」
惚けていた奏介の隣。梨音は彼方の姿を見て、自分のことのようにはしゃいでいた。
「梨音、興奮しすぎ」
「ねえねえ、写真撮っていい? それで印刷したら部室で額縁に入れて飾ってもいい?」
「飾るのは恥ずかしい……」
やや赤面する彼方を容赦なく携帯でかしゃかしゃと撮りまくる梨音。そして、いつの間にかジェロムもそれに便乗してかしゃかしゃしている。2人はグラビアアイドルのカメラマンにでもなるつもりだろうか。ジェロムに至っては、心から恍惚の表情を浮かべて「エクセレント……」とつぶやいていた。奏介はちょっと引いた。
すると、少し困ったような視線を奏介に向けてきた。その視線がぴったり重なって、何となく、背中のあたりがむずむずする。とりあえず、真正面からSOSを受信して放っておくわけにはいかない。
「梨音、部長、撮影会はそこらへんにして、そろそろ部室戻りますよ」
「ん、あと1枚……オッケ、撤収!」
「本当にカメラマン気取りか梨音は」
「ポリスマンに見つかるなよ!」
「それどういう設定ですか部長!」
と、楽しい会話を繰り広げながら、部室に戻る準備をする。
この時、4人は完全に油断していた。
「ケースの埃、もうちょっと払っておくね」
梨音がケースを無防備に持ち上げたその瞬間。
まるでその隙を狙っていたかのように、ヤツは現れた。
それはケースの中からぽろっと転がり落ちた。
それから梨音と近くにいた彼方の足下を不気味にかさかさかさかさと動き回った。
2人分の断末魔の叫びが聞こえたのは、それから間もなくのことだった。