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お菓子に飲み物に紙コップ、その他2日分の食料品を近くのコンビニで大量に買い込んで、ジェロムズの強化合宿は始まった。
合宿の目標は2つ。
彼方をボーカルに据えた形での、既存曲の再アレンジ。
それから、彼方を加えてからは初となる新曲の作成。
これらをばっちり仕上げて、フェス本番に臨むという計画である。
まずは既存曲のアレンジから始めた合宿の出だしは、なかなか上々だった。互いにアイデアを出し合い、実際に音を鳴らし、ジェロムズの音楽として再構築していく。奏介達にはその過程を楽しむ余裕すらあった。
「よーし、一旦休憩するかー」
「うーっす」
「あたし外の空気吸ってこよー」
「俺はトイレ行きてえ」
大きく伸びをする梨音と、フジロックのTシャツに着替えたジェロムが部室の外に出ていく。奏介もギターを手放し、身軽になった。腕を伸ばし、肩を回して身体をほぐす。それから、窓を開けて換気する。
ふわっと部室に流れる、5月のうららかな緩い空気。そこに合宿という、小さじ1杯分のスパイス的非日常。
悪くないな、と奏介は思う。
春の日差しを浴びて、リセットした気分で振り返る。すると、奏介のギターの前でじっとしゃがみ込む彼方の姿があった。まじまじと、彼方はギターを観察している。
「俺のギター、興味ある?」
「うん」
「弾いてみる?」
「……いいの?」
ギターを見つめていた彼方の瞳がキラッとした。漫画ならきっと、目がしいたけみたいになるアレだ。
「どうぞ、好きに弾いてみていいよ」
「好きに……」
彼方は、ギターを手に取った。
止まった。
彼方は、恐る恐るギターのストラップを肩にかけた。
止まった。
まるで旧世代のロボットみたいな挙動。見ていてハラハラするくらい、ぎこちない動きだった。
「……もしかして、ギター弾いたことない?」
「全然、ない」
「マジか」
てっきり、ギター経験者なのかと思ってた。
というのも奏介は彼方と最初に出会ったとき、ピックを投げつけられているわけで――そうだ、ピック。
「返さなきゃ」
「返す?」
「ちょっと待って……最初に会ったときに投げられたやつ……これ」
ずっと、奏介のギターケースにしまわれたままだった。奏介と彼方をつなぎ止めた、フェンダーのピック。
何ヶ月かぶりに手元に戻ったピックを、じっと眺める彼方。手の平に載せたまま、いまいち感情の読めない瞳で。
「懐かしい」
「このピック投げたときのこと、覚えてる?」
「……今返してもらうまで、忘れてた」
忘れてたのか、と思わず奏介は苦笑い。でも、そういうところもまた彼方らしい、と思う。
「じゃあ折角だし、このピックで弾いてみる?」
「うん」
さて、そうと決まったらどこから教えていこうか。奏介は考える。
アルペジオもいいけど、やっぱり最初はコード弾きだろうか。だったら基本中の基本、Cのコードから教えていくべきか。……いや、ここはあえて。
「彼方、ちょっとギター貸して」
「ん」
ギターが奏介の手元に戻ってくる。そして、奏介はコードを1つ弾いた。
Fコード。ギターを弾く上での、最初の関門。
「とりあえずこの音、弾けるようにやってみようか」
「難しい?」
「最初はね。でも一度コツを掴めば難しくない」
再び、ギターは彼方の手元へ。ぎこちなさは、さっきよりも少なくなった。
「……こう?」
「えっと、中指から小指までもう一段上の弦を押さえて。それから人差し指はもっとこう……横に寝かせるような感じで」
「……こう?」
彼方のたどたどしい指使い。彼方の手は奏介よりも一回りくらい小さく、色白で細い。弦を押さえている指先はすでに赤い。奏介はそのささやかな痛々しさに躊躇しつつも、彼方の指使いを少しずつFコードの押さえ方に近づけていく。極力その手に触れないように、傷つけないように。
「まあ、こんな感じかな。ちょっとそれで弾いてみて」
「わかった」
少しばかり大げさな緊張感を漂わせて、彼方は6本の弦を一息に弾く。フェンダーのピックで、上から下へ。
だけどそれは、音色とは到底言えたもんじゃないでたらめな音だった。まるで1つ1つの弦の音が衝突して跳ね返ってしまったかのような、濁った音。
「へんな音……」
「まあ最初はそんなもんだよ。練習してれば、だんだんきれいな音で弾けるようになるから」
ドアが開いた。朝のシチュエーションに似た既視感。
「お、彼方がギター弾いてる。彼方ってギター経験者だったっけ?」
「ん、違う」
「俺もギター弾けるのかと思ってたけど、未経験らしくて。だから軽くギター講座してた」
「へぇー、じゃああたしもベース教えてあげよっか?」
「いきなり両方はややこしくなるだろ……」
「じゃあベースよりドラムだな!」
「いやいやドラムも……っていつの間に戻ってきたんですか部長?」
「10秒前くらいにな。さて、練習再開するぞー」
ジェロムの号令で、全員が各々のポジションに戻っていく。
「返す、ありがとう」
「おう」
彼方から直接手渡されたギターを、奏介はそのまま肩にかけた。かすかに、さっきまで触れていた彼方の熱を感じる。
「それじゃあどうしますか部長、さっきやった曲をもう一回合わせて……部長?」
ジェロムはじっと考えていた。マイクの前に立つ彼方を見つめて。
「突然だが、遠野君に一つ提案がある」
そう前置きして、ジェロムはまた突拍子もないことを口にした。
「ギターボーカル、やってみないか?」




