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ワールズエンドの歌姫  作者: 染島ユースケ
1.桜の歌姫
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 岸田ジェロムという男がいる。

 アフリカ系アメリカ人の母と日本人の父を持ち、身長190センチ、体重は100キロを超える色黒アフロヘアーの偉丈夫。彼は柏陽高校では1年から3年まで知らない者はいないと言われている伝説の男だった。

 まず体力測定では、どの種目でも歴代トップテン入り。最新の学内模試では国語と英語で満点を取る一方、数学の点数が赤点スレスレという、笑っていいのか泣いていいのかよくわからない成績がまた彼をある種の伝説たらしめていた。

 そしてさらには、体育の柔道の時間で本気を出しすぎて柔道部部長を病院送りにしたり。

 校庭でバイクを乗り回していた暴走族集団を1人で始末したり。

 昨年の文化祭で放送室をジャックしてゲリラライブしたり。

 このように、彼について語ろうものならいくらでも武勇伝が湧き出てくる。まさに生ける伝説。

 そんなこともあって実はFBIのエージェントだとか、元は中東に派遣されていたアメリカ海兵隊だったとか、そんな噂さえ出てくる規格外な男、岸田ジェロム。彼が部長として率いる軽音部に、奏介と梨音は所属していた。

「あれ……おかしいな」

 放課後、2人は違和感を覚えつつ部室棟の2階にある軽音部の部室を開けた。中には誰もいない。

「部長、まだ来てないのかな?」

「いつもなら来てると思うんだけど、まあこういう日もあるでしょ」

 普段は2人が来る頃にはウォーミングアップと称し、扉を開ける前からドラムのドスドスと響く重いビートを鳴らしている部長。今日に限ってその姿はなく、久々に静かな部室に出迎えられた。

 楽器と機材と積み本に囲まれ相変わらず埃っぽい部室に入ると、奏介はとりあえず賑やかしにテレビを点けた。このご時世に、ブラウン管。随分前にジェロムが持ってきたものだが、果たしてどこから発掘してきたのかは知らない。

 電源を押して数秒のタイムラグの後、ざらついた画面が映る。流れたのは、夕方のニュース。

『長らく休戦状態にあったシリア情勢ですが、今月に入り急激に緊張が高まっています。日本時間の今日正午頃、アレッポ近郊で大規模な自爆テロが発生。現地からの情報によりますと、少なくとも30人以上が死亡、100人以上が重軽傷を負った模様です』

「物騒な世の中だ」

 奏介は、売店で欲しかったパンが売り切れていた時と同じトーンでつぶやいた。それに対して梨音も「そうねー」と適当な返事。現実なんてそんなものだ。

「お、ロッキンジャパンがある!」

 梨音は遙か遠くのテロ事件には目もくれず、テーブルに置かれていた目の前の音楽雑誌を手に取っていた。2020年5月号。つい先日発売されたばかりの最新号。

 クッションの中身が一部むき出しになって満身創痍なソファーに容赦なくどかっと座り、ぱらぱらとページをめくり始める。奏介は向かいのパイプ椅子に座った。

 テーブルに雑誌を置き、若干前のめりになって若手注目バンドのインタビューの文面を追っている梨音。真正面の奏介から見ると、着崩した制服から自然と胸元が強調される格好になる。

 ぶっちゃけ、スタイルはいいんだよな、梨音は。

 身長は奏介とほぼ変わらない169センチ。足がすらりと長く引き締まったアスリート体型。ほぼすっぴんに近い状態にも関わらず、すっきりとして整った顔立ち。そして極めつけはこの巨乳。まさに「黙っていれば美人」とはこのことだよな、と奏介は心の中でつぶやいた。

 すると、不意にその整った顔立ちの眉間にしわが寄った。への字になった口が露骨な不快感を表している。まじまじと梨音を観察していたのがバレたんじゃないかと思って、奏介は場を取り繕うように訊ねた。

「……どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないよー、見てよこれ!」

 と、投げ捨てるように見せつけられた見開きのページには、大きな見出しが躍っていた。

『本誌初の総力特集、MiXのニューアルバムを最速レビュー!』

 ああ、なるほどな。

「とうとうジャパンにも特集が組まれるんだね」

「あたしはもうね、がっかりですよ」

 梨音はそう言って肘をつき、盛大にため息をこぼした。

「ここだけはMiXに媚びることなんてしないと思ってたのに、まさかこんなに大きく紙面を割くなんてさ。ありえないっての!」

 MiX。

 それは今や、世界共通語だった。

 2016年に彗星のごとく現れた正体不明の歌姫は、1作目にしてダウンロード&CDシングルチャート初登場1位という鮮烈なデビューを飾ると、瞬く間に国内の音楽シーンを席巻。たちまち昔で言う『ミリオンヒット』級のセールスを量産し、2年前からは海外にも進出。するとこれまでの「邦楽アーティストは世界では売れない」という定説までも覆し、欧米をはじめ世界各国の音楽ランキングで首位を獲得。瞬く間に世界中の音楽をMiXの色に染めていった。その快進撃は「21世紀のマドンナ」と呼ばれ、地球上の何百万、何千万、あるいはもしかしたら何億もの人が彼女の音楽に夢中になっていた。ある世界的な評論家に「彼女がデビューして以降、紛争やテロが急激に減少した。彼女ならば本当に音楽で世界を平和にできるかもしれない」と言わしめるほどに。

 しかし、世界的スターとなった今でもその出自は明らかにされていない。

 噂だと、実はアメリカでブレイクし損ね、日本で再起をかけた結果大成功したアメリカ人シンガーソングライターだとか。

 元々は動画投稿サイトで活躍していた現役女子高生歌い手だったとか。

 あるいはどこかの企業が秘密裏に開発した最新鋭ボーカロイドだとか。(実はこの説が現在のところ最も有力視されている) 

 そんな様々な説が出回っているが、結局のところどれも決定的な証拠に欠ける情報だった。だからデビューから4年たった今も、彼女が何者なのかは謎のままだ。一時は今年開催の東京オリンピック開会式で初めて公に姿を現すとの情報もあったが、MiXが公式にその話を否定したためまだその正体が完全に明かされる日は遠そうである。

 もう一度、梨音はため息をついた。さっきよりも少し大きめに。

「でもさ、こんだけ人気だったら仕方ないんじゃないかな」

「何よ、ソウだってアンチMiXなのにあれの肩を持つってこと?」

「別にそういうわけじゃないけどさ……」

 ただ、奏介には言葉にしにくい違和感があった。

「ソウは何のために音楽してるんだっけ?」

「……自分の音楽を多くの人に聴いてほしい。MiXを超えたい」

「だったらー、もっと声高に堂々と叫ぶベきよ!」

 確かに、梨音の言いたいこともわかる。

 実際、奏介もMiXの音楽はあまり好きになれない。並べられた歌詞はどれも建前ばかりだし、何より電子音で塗り固められ、わずかな隙もないくらいに加工され尽くされた彼女の歌声が心の奥まで響いてくることはない。

 だけど、奏介は悟っていた。そんな一個人の感想を埃くさい部室の中で叫んだところで、MiXに届くことなんてない。それに――

「みんなばっかみたい、MiXの音楽に躍らされて。ソウはそう思わない?」

「……今の、もしかして狙って言った?」

「違うし狙ってないし寒いダジャレって言うな!」

「まだそこまで言ってねえ」

「まだ? まだってことはこれから言うつもりだったってことでしょ!」

「違うって痛い痛いテーブルの下でさりげに足踏むな」

 小競り合いの中で、さっきの梨音の言葉が反芻される。

『みんなばっかみたい、MiXの音楽に躍らされて』

 それに――奏介が本当に嫌いなのは、MiX個人ではなかった。

 嫌いなのはMiXを取り巻く社会、MiXに踊らされている世の中全てだった。きっと梨音も、程度の差こそあれ同じような感情を抱えているんだと思う。

 だけど、そんな世の中を変えるには今の自分達はあまりにも小さすぎて。

 だから、奏介は自分の音楽でMiXを超えたかった。その後でなら、MiXに浮かされた信者達を堂々と否定できそうな気がしていた。

 でも、その思いはバンドメンバー以外には絶対に口には出さないと決めている。そんな大それた話、信じてくれるはずがないし、失敗したら必ず笑い者にされるから。

 すると、閉じていたドアの向こうに人影が現れた。すりガラス越しにぬっと現れた大きさからしてその影の正体はもしかしなくても――

「うーっす」

 勢いよくドアが開き、野太い適当な挨拶とともに現れたのは軽音部部長にして柏陽高校の生ける伝説、岸田ジェロムその人だった。


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