15
「ごめん」
結果は惨敗だった。
あと一息のところだった。しかし、アームの握力不足が最後まで梨音を阻んだ。狙っていたカシワニはまだ、ガラスの向こうで目を細めてニヤニヤしている。最初は愛嬌があるように見えるそれも、悔しさが重なるとなかなか憎たらしい。
彼方は相変わらず、じっとカシワニを見つめている。さっきよりも、若干眉間にシワを寄せて。
もしかして、これは取れるまで終わらせてくれないやつだろうか。そんなことも彼方なら言い出しかねない。それならどうにかして諦めてもらうのが得策だけど、どうしようか。
そう梨音が考えを巡らせていると、おもむろに彼方は財布を取り出して開ける。
「私が、やる」
決然と、彼方は言った。その手に握られたのは、万札。
「梨音の仇、取る」
「いやいやあたし死んでないし! ってかいきなり万札はやりすぎだって!」
暴走しかけた彼方を梨音はどうにか制して最初は千円で、ということで丸く収めた。コイン投入口の隣にそびえ立った、9階建ての百円玉の塔。
「じゃああたしが指示出すから、彼方はその通りにボタンを押して」
「ん」
短く言って、うなずく。彼方も、今は戦う目になっている。
「最初の横移動は、一瞬だけ押して。少しでも押しすぎるとかなり流されるから、本当にちょっとだけね」
「ん」
やっぱり短い返事。かなり集中している。
梨音による指示のもと、彼方が宙ぶらりんのアームを操る。まずは左右の動き。そこは一瞬だけ。オーケー。次のステップ。
「いい感じ。次はちょっと長めに、1秒くらい押して」
「ん」
次の前後の動き。彼方の細長い指先がボタンをぐっと押し込む。
「あっ」
ちょっと長すぎたか。彼方も自分で悟ったのか、一瞬、ほんの少し表情が険しくなった。そして、予想通り的を少し外したアームは、狙ったカシワニの向きを少し変えただけだった。
「うーん……」
まあ最初はこんなもんか、と梨音。
すると、隣の彼方は躊躇なく積んであった百円玉を追加投入した。
「次」
彼方の集中力は、みなぎっていた。その様子は、ある種の気迫すら感じさせる。
梨音は、その気迫に気圧された。だけどそれは一瞬のこと。
遠野彼方。
この子、面白い。
「やるじゃん」
それから、2人のコンビはノンストップで試行回数を重ねていく。
2回。3回。
相変わらずカシワニはアームに捕まってたまるかと粘り強い抵抗を続ける。
4回。5回。
続けてもやはり届かない。しかし、梨音と彼方のコンビネーションは洗練され、指示役と操作役で徐々に連携が巧くなっていく。
6回。7回。
そして、8回目。
「おっ、動いた!」
ようやくカシワニが大きく動いた。ついに落とし穴の縁に引っかかるまでに迫る。もう少し。
「これ、もうちょいでいけるよ!」
しかし、彼方からの返事はない。代わりに、これまでと同じ動作でお金を投入。その目は真っ直ぐ標的を見つめたまま。
だんだん、彼方がどういう人間なのかわかってきた気がする。
彼女は、怖ろしいくらいに一直線な人間なんだ。だから、完成度の高い歌声を手にすることができた。短期間でジェロムズの楽曲を覚えることができた。
しかし、それゆえに不器用だ。もしかしたら本当に、最初のころは奏介のことしか目に映っていなかったのかもしれない。それも、今なら納得できる。
「……これで、ケリつけようか」
やっぱり、彼方からの言葉はない。でも梨音はそれでいいと思った。きっとこれは、梨音自身に向けて言った言葉だから。
1回目の操作に指示はいらない。ボタンを押すのは、一瞬だけ。その動きはもう染みついている。勝負は2回目。
「次のボタンも、短くていい。1回目の一瞬の、倍くらいの長さ」
こんな説明、きっと最初だったら通じない。でも今なら彼方はこのニュアンスを理解してくれる、という自信が梨音にはあった。
そして、その自信は確信に変わる。
絶妙なポジションだった。アームが降下する。梨音は「いけっ」と心の中で叫ぶ。彼方はその行方を息をのんでじっと見つめる。
掴んだ。相変わらずアームの力は貧弱。それでも引きずられるようにして、カシワニは落とし穴の中に吸い込まれた。
「っしゃー!」
気づいたら、梨音は彼方に抱きついていた。それを、彼方もぎゅっと受け入れる。
興奮と達成感のせいか、梨音の触れた彼方の身体は温かかった。さっきは冷たかった手も、熱を帯びている。
その体温に触れて、梨音は思う。
彼方も、普通の女の子だ。
「カシワニ、取らないと」
「あ、そ、そうね」
彼方の声で我に返った梨音は、慌てて彼方から離れる。昼間からゲーセンで抱きつくのはどうなんだ自分。しかも、彼方を相手に。
カシワニを取り出す彼方。それを大事そうに、両手に抱える。
「ありがとう、大事にする」
普段は淡々とした表情から、自然とにじみ出る微笑み。幸福の色。
その時の彼方は言葉以上に、そのわずかな微笑みが「ありがとう」の気持ちを物語っていた。そして、その小さな笑顔一つで、梨音の心は大きく揺れ動く。きゅっと、胸が締め付けられる。
「あ、そうだ」
すると、彼方は何かを思い出した。梨音がその視線を追うと、UFOキャッチャーの台に放置されたままの百円玉があった。あんなに積まれていたのに、気づけば残り1枚になっていた百円玉。
「あと1枚、どうしよう?」
その時、ふと梨音の目に入った別のクレーンゲーム。
「あれやってみようか」
子供の頃によく遊んだ、飴玉がたくさん取れるタイプ。
「あたしもう100円出すからさ、2人でやってみよ?」
「うん、賛成」
いつの間にか、2人は互いの前で自然に笑顔を見せるようになっていた。




