13
「どうしてこうなった……?」
翌々日、日曜日の午前11時。
梨音は薄地のセーターに七分丈のデニムパンツとスニーカーという休日モードの格好で、柏駅の前に立っていた。
空は快晴。ゴールデンウィーク直前ということもあって、駅前は活気に満ちていた。ダブルデッキではテントを出して物産展のようなイベントが開かれている。しかし、梨音はそんな中で一人浮かない顔をしていた。
本当は、今日は久しぶりに何もないフリーな1日のはずだった。ところが、急遽駅前へ集合することになっている。
しかも、よりによって彼方と会うために、である。
原因は、一昨日起きた部室での一件。その結末にあった。
彼方がじっと指し示した物は――ストラップだった。
「これ、かわいい……」
彼方が興味を示したストラップはいわゆる「ゆるキャラ」だった。ワニをデフォルメ化した造形に黄色い肌。悪意の欠片も感じられない横棒一本の目。頭にちょこんと乗っかった柏の葉。柏のオリジナルゆるキャラで、名前をカシワニという。
「どこで買えるの?」
そう訊いてきた彼方は、表情こそ大きい変化はなかったものの、目はショーウインドウを眺める子供のような目をしていた。眩しすぎるくらいに、純情。それを見て「今は関係ない」と突っぱねられるほど、梨音は冷酷にはなれなかった。
「買ったっていうか、UFOキャッチャーでゲットしたやつで」
「どこの、UFOキャッチャー?」
「え、駅前のゲーセンだけど」
「そこ、行きたい!」
「えええ?」
と、そんな経緯があって梨音と彼方は日曜日に外出する流れとなった。
「そもそも、話の脈絡がおかしいっての……」
駅前をふらふらしながら思い出して、梨音は一昨日のことをぼやく。なぜに好きになれそうな根拠がカシワニなのか。そもそも好きの基準が奏介と同じという時点でおかしくないか。やっぱり全くもって意味不明だ、彼方は。
ちなみに、この件について他の軽音部員には一切伝えていない。もし仮にジェロムの耳に入ったりしたら、絶対に後をつけてくるに決まっている。
「はーい号外でーす」
と、配られていた新聞を梨音は反射的に受け取った。号外?
何事かと思い、派手な黄色の見出しに目を通す。
『中国、国家主席暗殺 内戦は不可避か』
「マジか」
国際情勢には疎い、というかまるで興味のない梨音でも、さすがにこのニュースには目を丸くした。そしてその衝撃に続いて畳みかけるように、大きな拡声器の声が駅前に響いた。
『みなさんのご協力をお願いします! 我々、日本現代文化振興会はMiXの新曲発表を支援する署名運動を展開しています!』
声の発信源に注意を向けると、同じTシャツを着た大学生くらいの若者たちが通行人に声をかけ、ビラを配り、手に持ったバインダーへ何かを書いてもらっていた。
『これまで精力的な活動を続けていたMiXですが、今年に入ってCDリリースが極端に少なくなっています。さらに、来週発売予定のアルバムはとうとう延期になり、代わりにシングルで発売されるという有様! いいですか、これは異常事態です! 国民的、いや、世界的歌手の危機です! だから我々は立ち上がりました! 奇跡の歌姫、MiX復活のために! そしてそれにはみなさんの協力が必要です! どうか、どうか、1人でも多くの署名にご協力をお願いします!』
「な、何それ……?」
その演説を聞いて、梨音はドン引きしていた。ところが、道行く人の反応は満更でもないらしい。足を止めて傾聴する人で、そこそこの人だかりができている。その中には、演説の終わりに拍手をする人もいる。だけど、梨音の心境がドン引き状態であることに変わりはない。
そもそも、そんなことをしなくたって、街にはMiXの音楽が溢れている。二番街にある梅林堂のビルのモニターではPVが、コンビニの店内では有線放送が流され、今この瞬間だって来週発売予定らしいMiXのニューシングルは過剰なくらいにPRされている。
それなのに、彼らはまだ足りないと言う。もっと、MiXの音楽をよこせと言う。まるで、禁断症状に囚われた薬物中毒者のように。
その様子を見た梨音は怒りや苛立ちを通り越して、ただ気味悪く、そして哀れだと思った。
最近、世の中の歯車が狂い始めているような気がする。これといった確証はないけれど、小さな違和感が積み重なって傾いて、今にも崩れ落ちてしまいそうな不安定感。もしかしたらこの演説も、そんな社会に対する漠然とした不安の中から湧き起こったものなのかもしれない。そう考えたら、梨音の心はほんの少しだけ安らいだ。
「おはよう」
すると、彼方がやってきた。
清潔感のある白いブラウス。ゆったりとしたロングスカートと短めのブーツ。肩から掛けた小さめのデニムポシェット。小柄で細身な体のラインと春風に揺れる長い髪が、そのシンプルな出で立ちに程よく馴染んでいた。
「ごめん、待たせた?」
彼女は相変わらずの淡々とした表情で、わずかに首をかしげる。
「ううん、あたしは別に」
「そっか……よかった」
少しだけ、彼方の口元が綻ぶ。
意外だった。思っていたよりも彼方は普通の女の子だったことが。そして、そんな彼女を自然に可愛らしいと思えたことが。
「何か、変?」
「へっ?」
「梨音、じっと私のこと見てるから」
「いや……別に悪意はない」
思わず変な言い訳をしてしまった。
でも仕方ないじゃないか、と心の中でつぶやく。
いつもと違う私服の彼方は、あどけなさを残しながらも少し大人びて見えていた。少女と女性のあいだ。不安定な境界線の上に立つ彼方。だけどそれは、暗殺事件やMiXのPVや署名運動みたいなノイズとは違った、どこまでも正しい不安定さ。
だから、ついついそんな彼方が美しく思えて、見入ってしまう。
『どうか、どうか1人でも多くの支援を、署名をお願いします! あなたの署名が、MiXを、世界を変えるのです!』
街頭演説が、さらに意気揚々と声を張り上げる。それに比例して、群衆も増える。彼方が黙ってその様子を見ている。ビー玉のような目だった。
「行こっか。あれ、うるさいし」
「うん」
そして、2人は駅前を後にした。
号外の新聞は、コンビニのゴミ箱に捨てた。




