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今からちょっと昔、壁ドンというものが流行っていた。
それを男の人にされると、女の人はドキドキしてしまうらしい。そう聞いた当時小学生の梨音は、奏介に壁ドンをやらせてみたことがある。
結果は「意味わかんない」の一言に尽きた。
まさか、その結果が数年後に覆されることになろうとは。
「ちょっと待て」
今。この瞬間。梨音はまさに「壁ドン」をされていた。筋骨隆々なアフロの巨人に。言うまでもなく、ジェロムである。
確かに、梨音はドキドキしていた。しかし、本来はこういうドキドキじゃないはずだ。もっと青春の香り漂う、爽やかでセンチメンタルな鼓動でなければいけないはずだ。
ところが今の自分が肌で感じているのは何だ。ただの殺伐とした緊張感じゃないか。
「梨音」
「ひっ」
名前を呼ばれただけで、この迫力。近い。でかい。暑苦しい。とにかく圧が半端じゃない。
「お前、遠野彼方に嫉妬してるな?」
「なっ……!?」
「でも、遠野君の歌声は認めるしかない、そうだろ?」
端的な指摘。それで梨音の肌はぞわっと逆立った。
「し、嫉妬って何の嫉妬よ?」
「そいつは自分のハートに訊くんだな。それともあれか? 俺がご丁寧に指摘してミステリー小説の探偵がトリックを明かすみたいにに公開してやったほうがいいのか?」
「いや……遠慮しとくわ」
「だろ? だから俺がお前にくれてやるのはヒントだけだ。後は自分でシンキングタイムだ」
少しだけ、ジェロムからの圧が緩む。梨音の気持ちも多少は落ち着いた。このまま、事態は収束するかに思えた。
ところが。
「梨音は、奏介のことが好き?」
思いも寄らない方向から、爆弾が飛んできた。彼方だ。
「えっ……ちょっ、ええ?」
まず奏介が爆死した。さっきまで一言も声を発していなかったのに、今は梨音よりも狼狽している。火だるまである。
「ベリオン、このデスマッチの結末は後で必ず俺に報告だ! 健闘を祈る!」
ジェロムはそう言い残すと、奏介をすかさず衛生兵の如く回収し、部室の外へと脱出した。
こうなっては梨音も黙って死ぬわけにはいかない。怯んだ心を奮い立たせて応戦する。
「じゃあこの際訊くけど、あんたはどうなのよ? 奏介のこと、どう思ってるのよ?」
「私は、奏介が好き」
直球。逃げも隠れもしない、堂々とした答え。だけどその答えは、梨音にとって想定の範囲内。
「でも、たぶん梨音のことも好き」
「えっ」
これは、想定の範囲外。
「梨音のことは、きっと好きになれる気がする」
「な、何を根拠に……?」
「それ」
すると彼方は、何かを指さした。色白な指ときれいに整えられた爪の先。その延長線上を辿っていくと、梨音のベース用のケースが鎮座している。
「あたしのケースが、どうかしたの?」
「ケースじゃない、それ」
彼方がじっと指し示した物はつまり――




