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遡ること半年前。
ベースを始めてまだ1ヶ月弱の梨音は、部室で奏介から1枚のルーズリーフを渡された。そこに書かれていたのは、見覚えのない歌詞と、その上に小さくルビのように振られたアルファベット。
「何これ?」
「今度、年末にライブやるから。だからオリジナル曲、作ってみた」
「ほぉー」
梨音はルーズリーフに目を通す。目を通しつつ、奏介の様子を伺う。
奏介は抱えたレスポールギターをしゃらしゃらと鳴らす。鳴らしつつ、梨音の様子を伺っている。
「……ソウってさ、わかりやすいよねー」
「は、はぁ? どういう意味だよ?」
「『オリジナル曲の歌詞を見せたはいいけど実はちょっと恥ずかしくて反応が気になって仕方ありません』って顔してるよ」
「なっ……!」
そのリアクションが、わかりやすさに拍車をかけていた。
「ソウのそういうところ、いいと思う」
「ば、バカにしやがって……!」
「否定しない」
梨音はケタケタと笑い、奏介は顔を赤くする。
それに、いいのはそのリアクションだけじゃなくて。
「……この曲も、きっといいと思う」
「もういい……って、え?」
「褒めてあげてるんだから、喜びなさいよ」
今度は梨音がほのかに赤面する番だった。でも奏介は基本的に鈍いから、そのわずかな肌の色の変化には気づかない。
「で、どうするの? 早速練習してみるの?」
「もちろん、もう時間もないしアレンジを考えながら部長とも合わせてすぐに練習しないと。それから――」
梨音は夢中に話す奏介を見つめる。
音楽のことになると玩具を与えられた子供のように、目をきらきらと輝かせる奏介。
ある時は、まだ慣れない作詞や作曲に頭を抱え、それでも逃げず必死に音楽と向き合おうとする奏介。
ひとたびステージに立つと、鋭い熱量を秘めてギターを鳴らす奏介。
そして歌えば、芯が通っていてそれなのにどこか儚さを湛えて聴く者の心臓をきゅっと締め付ける、ボーカリストとしての奏介。
あたしは、そんな奏介のことが――奏介のことが、なんだ?
「おい、梨音? 聞いてるか?」
「え、あ、ごめん」
「ちゃんとしろよー、新入部員」
「うわ、その言い方なんか生意気! ソウのくせに!」
「ソウのくせにって何だ! そっちのほうが生意気だろ!」
ほっとする安定感のある言い争い。それで絡まりかけた思考は消えて、2人はその他愛もない言い争いを続けながら、早速練習の準備を始める。
梨音がケースから出したのは水色のジャズベース。初心者用の安物だけど、梨音は楽器屋で奏介が選んでくれたそれを気に入っていた。奏介いわく「梨音は水色が一番似合う」とのこと。いいじゃない、水色。
すっかり手慣れたチューニングなどもろもろの準備を終えて、梨音から奏介に提案した。
「ねえ、もう合わせてみない?」
「え、部長いないよ?」
「いいじゃん、できないことないし」
「まあ確かにそうだけど……じゃあ、頭からさらっとコード弾きで一回だけやる?」
「任せなさい!」
「じゃあ座ってやるか」
「こっちにパイプイスあるよー」
そう言って、梨音は一度畳んだパイプイスを2人分引っ張りだした。1つを広げて、奏介に差し出す。
「はいどうぞ」
「どうも……ってかやっぱり、梨音はまだ初心者だし――」
「初心者って言うの禁止。さっさと合わせてみましょ」
「――はいはい」
呆れ顔を見せつつも、奏介は結局梨音に従う。腐れ縁同士の、いつものやり取り。初心者とかベテランとか、そんなことは関係ない。梨音はただ奏介の創った音楽を、一刻も早く形にしたいのだ。自分達の手で。
すると、カウントもなく唐突に始まる軽快なリフ。梨音が奏介を見ると目があった。
「ほら、いつでも来なよ」
奏介はずっと梨音から目を放さずに待っている。奏介のくせに、生意気だ。
「望むところ……!」
心の中でカウントして、梨音もタイミングを合わせて音を鳴らす。足下までズシンと響く重低音。まだまだ単調なリズムしか刻めないけれど、梨音は丁寧に書かれたコードを辿っていく。
それに寄り添うようにして、奏介の音色。一度音の波に乗ると、ごく自然に梨音のベース音と調和した。コーヒーとミルクが渦を巻いて混ざり合うように、2つが1つになる。梨音と奏介の音が、1つになる。
さらに、奏介の歌声が彩りを添える。いつもより優しく聞こえる、奏介の歌声。まさに真っ白な角砂糖が甘くまろやかに味を整えつつ、コーヒーのほろ苦さを引き立てるような、そんな感じ。
この瞬間が、ずっと続けばいいのに。
そう思いつつ、梨音の右手は4弦の上でぎこちないステップを踏んでいた。




