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ワールズエンドの歌姫  作者: 染島ユースケ
2.ウィークエンドの歌姫
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「ワタリドリ」

 彼方が言った。

「ワタリドリ、歌ってみたい」

 とりあえず何か4人で合わせてみようという話になった。その時、彼方にリクエストを訊いた時の答えだ。

 幸い、ワタリドリは過去のライブでコピーしたことがあったし、バンドスコアも残っている。演奏は何とか形にできそうな感じだった。

 問題は、言い出しっぺの彼方。

 元々歌の難易度が高い[Alexandros]の代表曲ともいえる「ワタリドリ」は、音域が広い上に歌詞の半分近くが英詞というボーカル泣かせの曲である。実際、コピーした時に歌った奏介の声は、高低差のあるメロディーと畳みかけるように続く英詞に振り回されてへろへろになっていた。決して下手ではないし、それなりに経験もある奏介が、である。

 だから、逆に言えばこれが彼方の歌の力量を知る絶好のチャンスなわけで。

 梨音はなんだかんだで、求めている。ベーシストとしての魂が、音楽を求めている。そして、その魂はワクワクさせてくれるような彼方の歌声を、待ち望んでいる。期待外れだった方が、軽音部から彼女を引き離す口実になるのに。

 どっしりとした貫禄で、ジェロムがドラムと一体になる。横顔の表情をぴくりとも動かさずに、奏介がエフェクターを調整する。昨日、彼方を初めてここに連れてきた時と同じような光景。だけど、一つだけ違う。

 昨日、向かい合っていた彼方が、同じ方向を向いていた。梨音とジェロム、そして奏介で繋がっていた三角形に、新たな点が加わって四角形になっている。

 たった一つの違和感。だけど、最大級の違和感。落ち着かない。

 相反する気持ちを、どう片づければいいんだろう。

「奏介」

 と、その違和感の元凶が奏介を呼び出した。

「どうしたの?」

「マイク、もう使える?」

「あ、まだそれは何も準備してないから……ちょっと待って」

 調整中のエフェクターを放置して、すぐに奏介は彼方のもとへ。

「マイクのセッティングって、やったことある?」

「ううん、ない」

「じゃあ今日のところは、俺がやるよ」

 そして奏介は手際よく彼方の分まで進めていく。マイク用のアンプを移動させ、ケーブルを繋ぎ、高さを調整する。

「高さは、これくらいでいい?」

「もうちょっと、高くても大丈夫」

「じゃあ……これでどう?」

「うん、よさそう。ありがとう」

 そこから先の会話は聞かないようにした。わざと普段より音量を上げて、試し弾きという大義名分の元でベースを鳴らす。いつもより余計に、鳴らす。梨音の、せめてもの抵抗。

 奏介の気配が元の位置に戻った。それを確認してベースの音を止めると、地声に近い声質でマイクチェックをする彼方の声が聞こえた。

『あー、あー、ちぇっくちぇっく、わん、つー』

 梨音と同い年とは思えない、まだ幼さの残る声。そこからまだ、噂で聞く歌声の気配は感じられない。佇まいもどこかぎこちなく、むしろちょっと疑いたくなってしまう。そもそもマイクの準備すら自分で何一つできず、全て奏介がやっていた時点でいろいろ怪しい気がしている。

 だけど、その真偽ももうすぐわかる。

 さて、お手並み拝見といこうか、遠野彼方。

『マイク、大丈夫です』

 彼方の声を聞いて、周囲を見渡す。みんな、準備できている。にわかに湧き上がる、ぴりっとした空気。

 最初の一音を鳴らす直前。ドラムのスティックが刻むカウント。最高潮に達する緊張感。その瞬間が、たまらない。

 爽やかなイントロが、突き抜けた。奏介からギターの音色が真っ直ぐに伸びていく。そこにジェロムのドラムと梨音のベースが絡まり、その音色をさらに華やかに彩っていく。

 そして、梨音は彼方の歌声を初めて聴いた。

 それは、本当に一羽の鳥が羽ばたいていくように。

 羽ばたいた先には、雲一つない青空が広がっているかのように。

 彼方の歌声が、世界観を塗り変えていく。歌に共鳴する心が小さな箱の中を飛び出して、無限の地平線を越えていく。

 それに振り落とされないように、危うく崩れそうになったリズムを整えながら垣間見た、彼方の横顔。

 彼女はただ真っ直ぐ前を向いて。本当に遠くへ飛び立ってしまいそうな表情で、歌っている。

 爽やかで気高く、ぶれない力強さを秘めている。それなのに、時折ガラスのように透き通っていてどこか儚さを感じさせる。そんな彼方の淡い色の宝石に似た歌声は、今目の前できらきらと煌めいていた。

 胸が締め付けられる。こんなにも気持ちいいのに、壮大な旅の始まりのようにワクワクさせられているのに。どうして、こんなにも涙が溢れ出しそうになるんだろう。

 文化祭で演奏したのと同じ曲とは思えない。彼方が放つ歌の躍動的ボーカリゼーション。圧倒的スケール。絶対的存在感。

 今までに感じたことのない感動に揺さぶられつつも陶酔しながら、梨音は気づけば今の自分が鳴らすことのできる全力の音を鳴らしていた。

 梨音は、本能で感じてしまった。

 今の自分は、最高のライブをしている。

 それはもう、言い逃れのできない事実だった。


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