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2021年3月。柏DOMe。
2階の明るいバーカウンターのフロアから、薄暗い階段を降りていく。ライブ前の心地よい緊張感とワクワク感が、空気を支配していく。階段を一段降りるたびに、濃くなるその密度。
そして、ライブハウスの観客席。端に赤いベンチが設置されているだけで、あとはほぼ全席立見のスペース。その空間で、数十人の人間が同じ方向を向いて立っている。隣の人の背中と触れるか触れないかの人口密度で、ある人は友人と雑談しながら。ある人はスマホの画面からSNSのアプリを開きながら。
そんな中、こちらに向かって手招きする人の姿を見つけた。
「ソウ、こっちこっち」
手招きをしていたのは梨音だった。呼ばれた奏介は人混みの中を縫うように進む。そして呼んでいた梨音と一緒に舞台袖へと向かう。その間に携帯を取り出す。
「もう、どこ行ってたのよソウは」
「ごめん、鈴木とついつい話し込んじゃって」
「あのエセ関西人は話し出したら止まらないんだから、適当に切り上げないと」
梨音から軽く注意されながら舞台袖に潜り込むと、中ではすでに残りのメンバーが揃っていた。
「おう、来たな」
腕を組み、どっしりとした佇まいでジェロムが待っていた。
そして、その隣には。
『奏介、遅いよ!o(`ω´ )o』
顔文字込みのかわいらしいメッセージが、ジェロムズ共有のメッセージとして投下される。その送り主は。
「ははは……ごめん、彼方」
目の前に立つ、小柄な少女。遠野彼方。
かつて、世界を席巻した歌姫。その後、晴れて正式にギタリストとしてバンドに加入した、ザ・ジェロムズのメンバー。
そして、今は多田奏介の彼女。
『いいよ、許す╰(*´︶`*)╯♡』
彼方はまた携帯にメッセージを打ち込むと、はにかむように、にかっと笑った。
「ちょっと2人ともー、こういう糖分多めのやり取りは個人でやりなさいよー! バンドの士気に関わるでしょー!」
しびれを切らした梨音が彼方に摑みかかる。だけど、彼方の表情は無邪気な笑顔。楽しそうだし、照れくさそうでもある。2人とも。
「……今度は2人にベリースウィートなラヴソングでも書いてもらうか?」
ジェロムが隣でそんなことをボソッとつぶやいたが、奏介は聞こえない振りをした。
「お待たせ! ジェロムズのみんな、出番だよ!」
ステージにいたスタッフからお声がかかる。そのスタッフとは、今回特別に手伝いに来ていた夏樹だった。黒いスタッフ用Tシャツが似合っている。さらにその隣には冬馬が同じスタッフの格好で見守っていた。
「DOMeもジェロムズも、久しぶりのライブだから盛り上げてくれよ。俺達も、影ながら応援してるからな」
「任せろ冬馬! 終戦記念のチャリティライブなんて、クールなステージを用意してくれた礼だ。全力で盛り上げるさ」
ジェロムが筋骨隆々な胸を叩いて言った。
「そうね。それに何より、彼方とライブできるのは超楽しみにしてたし。あたし達が、今日いる人達の中で一番盛り上がって、盛り上げないとね!」
梨音が、強気に言い放った。
「ああ、俺も……」
そこで、不意に彼方と目が合った。
そこには弾けるような、透明で純粋な笑顔があった。
ああ、もうこれ以上の言葉は、いらないな。
不意に、ステージが闇に落ちる。登場のSEが流れ始めた。観客が、一体になって盛り上がり始める。
薄暗がりの中で、夏樹がいつでもどうぞとジェスチャーで示す。
「……行こう!」
4人は同時に歩き出す。
観客の拍手は、さらに大きく。
そして彼方は、ジェロムズは再びステージに立つ。
スポットライトを浴びながら、歓声に応えながら、それぞれの定位置へ。
奏介はギターを手にして、ふと、彼方の姿を見た。
彼方が持っているのは、かつて譲り受けた海渡のギター。
そのせいか、奏介は錯覚した。
彼方の立ち姿が、海渡のそれと重なった。今ここに、海渡が立っている。
「海渡……?」
すると、奏介の目に映る海渡はニカッと笑った。乙江で何度も見た、子供みたいに無邪気な笑み。そしてすぐに、その幻は霧散した。
奏介は確信した。海渡の魂は、同じステージに立っている。そう感じた瞬間、奏介は身体が軽くなった気がした。
すると、海渡が消えた後。彼方が同じ笑顔を奏介に向ける。自然と奏介も、笑顔に変わる。
それから全方位を見渡して。梨音も、ジェロムも、笑顔に変わる。そして、正面にいる大勢の観客も、これから笑顔に変えてやる。
しかと見届けろ。これが、俺たちの音楽だ。
『——始めるよ』
ジェロムズの音楽が、高らかに鳴り響いた。
最初の曲。それは、海渡が遺した曲。タイトルもなく、未完のまま眠っていた曲。
それを今、解き放つ。
『空の彼方』
♪
君は鳥籠の中
鍵を解いて空を見上げ
広げた翼はまだ傷ついたまま
青い鳥、夢の続き
チョークで描く
まぶしすぎる空と海がきらめいていた
水平線混ざり合った
僕ら見た夏色は
離れ離れになった
僕らの胸の中
小さな手の内に
握りしめた希望とともに
見上げてた空の彼方
随分遠くまで来たな
胸の内でつぶやいて
遠くを見つめる君の横顔を見てた
つないだ手は離さない
誓った夜
美し過ぎる夏の星座が瞬いていた
2つの伸びる影
朝日に照らされて
翼の傷は癒えた
ここから飛び立つんだ
さようなら青い鳥
どこまでも飛んで行け
幸せ願う遥か彼方
またいつか出会う日まで
再会を祈りながら
<了>