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「こんにちは、お待ちしていました。足利さんからお話は伺っています。あなたが多田奏介さんですね?」
「はい」
建物の中に、白衣を着た女性がいた。彼女が、ここでの遠野彼方の担当医だと自己紹介した。名前は中嶋と言った。パリッとした汚れ1つない白衣。後ろでシンプルに縛っただけの艶やかな髪。縁なしフレームの細身の眼鏡。すらりと伸びた姿勢。白衣よりも、上等なスーツが似合いそうな印象の女性である。その佇まいに一瞬だけ河合の姿が重なるが、彼のような高圧的な雰囲気はなかった。一方、大きく表情が動かないところなんかは、どちらかといえば彼方に近いかもしれない。
「遠野彼方さんは2階にいますので、ご案内します。こちらへ」
中嶋の後に続き、奏介は建物の2階へ。清潔な香りが漂っている。しかし、病院特有の消毒臭さというよりも、新築家屋のそれに近い。内装は真っ白な壁面に、手すりや床面が木目調。空調は室内全体に効いていて、傷や汚れは見当たらない。本当に新築なのかもしれない。
「彼方は……今どんな様子なんですか?」
緊張感を含みながら、奏介は中嶋に訊ねた。
「命に別条はありません。もちろん意識もあります。……ただ1つ、後遺症が残っています」
「後遺症?」
「はい。本当なら私から伝えるべきなんでしょうが……詳しくは直接、本人から訊いてください。彼女が自分の言葉で伝えたいということですので」
「……わかりました」
もうすぐ、彼方に会える。しかし、彼方には後遺症がある。境目の曖昧な期待と不安が、胸の奥から込み上げてくる。
階段を上ってすぐ、突き当たりの部屋で先導していた中嶋の足が止まった。
「こちらの部屋に、遠野彼方さんがいます」
それから、彼女は念を押す。
「中に入りますが、よろしいですか?」
「はい、お願いします」
せっかくジェロムが奮い立たせてくれた決意を無駄にしないよう、奏介はすぐに答えた。
すると、中嶋は首から下げていたカードを取り出した。ドアの脇、インターホンらしき部分に通す。指紋認証らしき手続きをパスすると、ドアロックの機械的に外れる音が聞こえた。
「これでロックが解除されました。ここから先は、多田さん1人でお入りください」
「それも、彼方の希望ですか?」
「はい」
中嶋は、表情を変えずに頷く。しかし、その眼差しに彼女なりの優しさと励ましを感じた。
「行ってきます」
そして、奏介は扉を開けた。
その先に、彼方はいた。