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奏介は目を覚ました。
目に入ったのは、白。ぼやけた真っ白な空間。しばらくして、それがLEDの照明で照らされた白い天井だとわかった。少し遅れて嗅覚や聴覚にもスイッチが入る。清潔感を象徴するような、かすかな薬品の匂い。規則的に聞こえる電子音。
自分の名前を呼ばれたような気がする。それからすぐに、慌ただしい足音が周囲から聞こえるようになった。何事だろうか。ぼんやりと、他人事のように考える。
「多田奏介さん」
名前を呼ばれた。少しずつはっきりしてきた意識を、その方向に向ける。白衣を来た男の人が立っていた。
「具合は、どうですか?」
「……よくわからないです」
今の奏介には、わからないことが多すぎた。ここはどこなのか。自分はどうしてここにいるのか。自分の存在が、霞になっているような気がした。
「ここがどこかは、わかりますか?」
「……病院、ですか?」
「その通り。では、ここに搬送される前までの記憶は、覚えていますか?」
最初、記憶は真っ白な霧の中だった。だが、少しずつ晴れていく。
「……北海道……野付半島……夜明け……」
言葉にするたびに、鮮明になる。薄れる霧の中に人影が見える。最後に見た景色。世界の果て。その真ん中で歌った彼女は最後に——
「……彼方……彼方!」
思い出した。最後に大輪の花を咲かせるかのような歌を紡ぎ、散っていった彼方。真っ赤な血。まさに花弁の如く散らして。白くなった肌。鈍色のカッターナイフ。脳内で絶え間なくフラッシュバック。
「っっ————‼︎」
天と地がひっくり返りそうなめまい。それから頭の中心を突き刺すような頭痛に襲われた。周囲の音と白い天井が遠くなっていく。
「落ち着いて。ゆっくり深呼吸をして」
あまりの苦痛で、白衣の男に縋るようにしがみつく。彼の言葉に従い、大きく息を吸って。吐いて。何度か繰り返して、奏介は冷静さを取り戻した。周りの空間が、正しい位置に戻ってくる。
「すいません、一度に多くのことを思い出させ過ぎてしまいましたね」
「いえ……ただ、1つだけ教えてください」
まだ荒い息づかいのまま、奏介は訊ねた。
「彼方は……遠野彼方は、どこにいますか?」
「それは、私にはわかりません」
彼は迷いもなく明確に答えた。
「申し遅れましたが、私はあなたの担当医で野中と申します。あなたの現在の容態、今後の健康状態の不安については相談に乗れますが、それ以外のことについてはお答えできません」
きっと、本当に知らないのだろう。だから、奏介もそれ以上問いただすことはしなかった。
「……わかりました」
今は、そう答えるしかなかった。半ば、諦めに近いような心境で。
自分はやっぱり、彼方を守れなかったのかもしれない。