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わかっていたことだけど。
遠野彼方がついにうちのクラスにやってきた。
多田奏介の後をついて、遠野彼方がやってきた。
その様子を、渡部梨音はじっと見ていた。机に肘をつき、しかめっ面のまま微動だにせずに2人を観察、というよりは「監視」していた。
本当は最後まで尾行してやりたい気持ちもあった。しかし、2人並んで歩く姿を見せつけられるのが想像以上に堪えたので、梨音は先回りして教室で待ちかまえ、現在に至る。
「お、おい、渡部? お前もしかして遠野に多田を奪――」
「黙れ」
「す、すんません……」
梨音は隣の鈴木をギロリと睨みつけ、一言で黙らせた。「あああかんわこれ……惨劇が起こるわぁ……」とうわごとのように呟きつつ鈴木はフェードアウトしていったが、今は気にしないようにしておく。
今まで周囲に無関心だったクラス内の人間も、ただならぬ様子に少しずつ気づき始めていた。そして、いつもは誰もいないはずの席に彼方が座った瞬間、教室内で渦巻いていた違和感は決定的なものになった。
あれ誰? あいつってずっと不登校だったやつだろ? 名前何だっけ? 何で今日来たんだ? あいつ多田と一緒に来たのか? いやまさか、たまたま同じタイミングだっただけじゃね?
クラス中に広がっていく疑問符。それを自己解決していくひそひそ話。気に入らない。奏介もその話題の中に巻き込まれていること含め気に入らない。
そもそも、そんなに気になるなら、誰からでもいいから話しかけてくればいいのだ。少なくとも、奏介は話しかけていた。なのに、それくらいのこともできないのかあんたらは。
とはいえ、1人で勝手に悶々している自分も、クラスにいるその他大勢と同類なのかもしれない。そう考えていると、今度は梨音の中で自分自身への嫌悪感が募っていく。
「あー……いらいらする」
まるで生理と風邪が同時にやってきた時のような感情の不安定感が梨音を襲う。うっとうしい。
と、今話題になりつつある人物、多田奏介本人がやってきた。梨音の心持ちとは反比例に、機嫌が良さそうである。そりゃそうだ。朝から遠野彼方といい感じになってたわけだから、ご機嫌に決まっている。
「……おはよー」
「お、おはよう」
しかし、梨音の様子を察してか、奏介の表情が若干強ばった。静電気みたいな、ぴりぴりとした緊張感が2人の間に漂う。
「どうした?」
「別にー」
「いや、絶対機嫌悪いだろ? もしかして、彼方のこと?」
「はいそうです、って言ったらソウはどうにかしてくれるの?」
「それは……」
「私は、反対だからね。あの子をうちに入れるの」
「そんなに嫌いなのかよ、あいつのこと」
「当たり前でしょ」
梨音は机に寄りかかっていた背筋をピンと伸ばし、びしっと手元にあった赤ペンのペン先を突きつけた。
「いい? バンドってのはチームプレイなの。それはあたしよりもあんたがよくわかってるでしょ? それを踏まえて、いかにもゴーイングマイウェイなあの子を絶妙なバランスの上に成り立ってたあたしらスリーピースの中に強引にねじ込んだらさあどうなる? きっと十中八九間違いなく空中分解よ。方向性の相違によって解散っていうバンドによくありがちなバッドエンドが喜び勇んで駆け寄ってくるのよ? そーゆー超ハイリスクを犯してまであの子をうちのバンドメンバーに加える覚悟はある!?」
「え、えーっと……」
奏介は完全に気圧され、目が泳ぎまくっている。梨音は完全にいい負かしたと思った。そこに。
「奏介」
目の前に立つ、空気の読めない女が一人。遠野彼方だ。
「私、部室に行ってみたい」
いきなり。
梨音が呆気に取られていると、そのぎくしゃくした雰囲気を察してか、奏介が慌ててフォローに入った。
「え、えーと、今は部活の時間じゃないから、部室はまた放課後に案内するよ、そうすれば部長もいるし、いろいろ軽音部のこととか説明できるから――」
「あのさ」
奏介の話をぶった切って、梨音は口を出した。
「せっかくなんだし、軽音部以外の部活も見てくればいいんじゃない?」
心の奥底でぐつぐつしている感情は表に出さず、顔に貼り付けたような営業スマイルは絶やさず、可能な限り優しい声で。しかし、そんな梨音の見せた最大限の配慮は彼方には届かず。
「いやだ」
たった3文字で返された。梨音の怒りのボルテージが上がった。営業スマイルがひきつっている。しかしここでキレたら負けである。
「ど、どうしてかなー?」
どうにかして会話のキャッチボールを続けようとする。しかし、そんな梨音の見せたギリギリの努力は彼方には通じず。
「奏介がいないから」
ありえない大暴投で返された。梨音の怒りのボルテージがさらに上がった。営業スマイルが消える。奏介はずっとどうしていいかわからず固まっている。そして、彼方はついにトドメを刺した。
「この人、なんか怖い」
怒りのボルテージが振り切れた。
梨音は立ち上がる。クラス中の視線が刺さったような気がした。彼方の表情はぴくりとも動かず、奏介は世界の終わりを見たかのような顔をしていた。
「ちょっとトイレ行ってくる」
トイレの個室の中、梨音は頭を抱えた。
「これからアレとどうつき合ってけばいいのさ……」
無情にも、始業のチャイムが鳴り響く。
結局、個室に逃げ込んだままでは答えは見えなかった。