28
薄明るくなってきた視界に広がるのは、原生花園だった。
見たことのないような種類の草花が生い茂っている。一面の色彩は蒼。空と海と地面の境界が曖昧で、少し靄がかかったような淡い蒼。朝の空気を、ありのまま表現したような色。
その中に続く一本道。けもの道を一回り広くしたくらい、人間1人が歩ける程度のでこぼこ道。
そんな悪路を、彼方と奏介は進む。はやる気持ちを抑えつつ、奏介が彼方を引っ張る形で進む。
すると、唐突に彼方は言った。
「私のせいで、みんな傷ついた」
「……どうしたんだよ、急に」
そこから、明らかに彼方のペースが鈍る。彼方を引く手が重い。
「ジェロムは捕まった。梨音が泣いてた。足利は撃たれた。世界中の人が、戦争を始めた」
とうとう、彼方の進む足が止まった。
「足利は怪我したけど……部長や梨音はまだ今どうしているかはわからないし、世界中の人なんて心配してたらキリがない」
「でも、奏介までいなくなった」
改めて言われて、奏介は言葉を失う。
「奏介は私を嫌いになった。だから、いなくなった。きっとそう」
奏介の中で、今まで堪えていた何かが崩れていく音がした。
「……そんなことない」
「そんなことある」
彼方が反論するほど、壊れていく。
「……それは絶対にない」
「どうしてそう言い切れるの?」
そして。
「俺が奏介だからだよ!」
とうとう、言ってしまった。
でも、止まらなかった。もう止まれなかった。
「海渡は死んだ! 乙江の街は焼け野原だ! だから俺がずっと海渡を演じてた! 海渡の振りをして、彼方を見守ってきた!」
今まで守り続けてきたものを、全てひっくり返してしまった。
「嫌いになんてなるものか! 旅の間だけじゃない! 彼方の歌を桜吹雪の中で聴いたあの瞬間から! 俺はずっと彼方のことを見てたんだ!」
奏介の口から言えるのは、もはやこの言葉だけだ。
随分と回り道をしてしまった。しかも、完全に後出しだ。
男として、最高に格好悪いと思う。
だけど、どんなに格好悪くても、言うしかないのだ。今更後には退けず、このままでは前に進めない。いい加減、認めるしかない。
「俺も——」
息を吸った。大きく。
「彼方のことが好きだ!」
刹那、世界の全てが静止したような気がした。凪いだ海。広がる草木と潮の香り。立ち枯れの木々。全てがぴたりと。
止まった時間の中で、彼方だけが動いた。
「わからない」
彼方は言った。
「海渡? 死んだ? 乙江? 焼け野原? 奏介? 好き? どうして? どうして? どうして?」
ふらついて、倒れこむ。それを奏介は慌てて支えた。
「海渡? 奏介? あなたは誰? 死んだ? 嘘はやだ。 嫌い。好き? 奏介は好き?」
「彼方……彼方、しっかり!」
うわ言のように垂れ流される、単語の羅列。
彼方の目を見た。からっぽだった。焦点は定まらず、その瞳には何も映っていない。それでも瞼が閉じることはなく、まるで人形のようになってしまった目が虚空を映していた。
「海渡? 焼け野原? 知らない。乙江。戻りたい。海渡に会う。奏介が好き? わからない?」
彼方の単語を聞き取るうちに、奏介は気づいた。
きっと、彼方は乙江の空爆を認識していない。あの時の記憶が、すっぽりと抜け落ちていた。だから海渡の死を認識できず、記憶の整合がとれずに混乱している。
「彼方、落ち着いて——」
銃声。
まるで、追い討ちをかけるかのように響き渡った一発の破裂音。聞こえた向きは明らかに自分達がやって来た方角。つまり、まだ足利がいるかもしれない方向だった。
考えられるのは、河合ら追っ手がすぐそこまで来てしまっているということ。それから、足利がもしかしたら。
そこまで考えて、奏介は嫌な想像を無理矢理振り払った。
「……行こう」
昨夜から、何度目かの「行こう」。そのたびに彼方はちゃんとした反応を示していたが、今回は違う。
「行く? どこに? わからない。乙江? 行きたい」
まるでロボットのように、単語を並べ続ける彼方。そんな彼方を負傷兵のように肩で支えながら、奏介は歩を進める。
世界の果てまで、きっとあと少し。