20
それからすぐに空は闇に包まれ、乙江を出て2度目の夜がやってきた。
学校に潜り込んだ時の緊張感とは裏腹に、穏やかな夜の時間が流れていた。夕飯には保健室に置かれてあった電気ポットを拝借し、3人で足利が用意したカップ麺を食べた。シャワーは宿直室にあったので、それを使った。彼方との間で感じた気まずさも、3人で過ごす夜の中では鳴りを潜めていた。
周囲にバレたら面倒なので、夜が更けても部屋の明かりはつけずに足利持参のランタンのみ。しかし、それもまた粋なもんだと奏介は思う。まるで夏休みのキャンプのようで、少しわくわくしてしまう。夜の学校というと怪談話があったり七不思議があったり、正直不気味なイメージしかなかった。でも一度入ってしまうと、案外居心地は悪くないと思う。1人じゃないからだろうか。
そんなことを考えながら、歯磨きをしに流し台へと向かう。懐中電灯と歯ブラシ、歯磨き粉を手にスリッパをぺたぺたと鳴らす。
流し台の前に立ち、わしゃわしゃと歯を磨く。辺りに懐中電灯以外の明かりはない。目の前にある鏡に映るのは、背後の真っ暗闇。永遠に続きそうな、周囲の無音。
「…………やっぱり怖いな」
前言撤回。歯磨き粉の泡を吐いた奏介は、蛇口を捻って大げさな量の水を出す。それくらいの音がないと、正気を保てなさそうな気がした。そのまま恐怖心をごまかすようにうがいをして、歯ブラシをすすいで、ふと前を見た。
鏡に映った、背後に人影。
「ひっ————…………‼︎」
思わず持っていた歯ブラシを落とした。ホラー映画のように絶叫はしなかった。というより、出せなかった。実際にホラー映画のような恐怖シーンと出くわしたら、声は出せなくなる。喉の奥が引きつって、石のように固まってしまう。
「ああ、すまない。驚かせてしまった」
奏介は悪霊の呪いによって夜の学校に囚われるところまで想像して、声の主が足利であることに気づいた。よくよく見てみれば、人影は少しくたびれた様子のいつもの足利である。奏介の緊張が緩んだ。普通に声が出せるようになる。
「足利さん……どうしたんですか急に?」
しかし、ぼんやりと立つ足利の表情は暗かった。周囲の雰囲気の分を差し引いても、普段より沈んでいるように見える。
「奏介君に、伝えておきたいことがある」
いいニュースではなさそうだった。それから、遅まきながら足利が何かを持っていることに奏介は気づいた。新聞紙。それを奏介に差し出す。
「途中で買った今日の新聞だ。ここを見てくれ」
足利が持参したペンライトで照らして、見てほしい新聞紙の紙面を指し示す。丸々見開き1ページ。全体的に文字の小さい紙面の中でも、特に小さく書かれていたのは五十音順に並べられた人名の羅列だった。
「これは……」
「乙江町の、行方不明者リストだ。ここを見てくれ」
足利が示したその中に、見覚えのある名前があった。
喜多見拓渡。
喜多見春海。
そして——喜多見海渡。
奏介はわかっていた。わかっていたつもりだった。しかし、実際はどこかで淡い期待を抱いていたのかもしれない。きっと、海渡は生きていると。またどこかで再会できるかもしれないと。
だが、そんな期待もとうとう潰えてしまった。あの戦火の中で行方不明と言われたら、実質的な死亡宣告に等しい。
「畜生……!」
奏介は新聞を両手でしわくちゃに握ったまま、その場に崩れ落ちた。
「やっぱり、彼が本物の喜多見海渡なんだな?」
足利の質問に答えられない。全身に力が入らない。一方で涙腺からはとめどなく涙が溢れた。乾いていた新聞紙に雨粒のような染みをつくる。
「……外の空気でも吸いに行くか? 彼方君ならもう寝ているから、そんなに遠く離れなければ大丈夫だろう」
足利からの提案に、奏介は黙ってうなずいた。