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ワールズエンドの歌姫  作者: 染島ユースケ
6.ワールズエンドの歌姫
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16

「向こうにある展望台のほうが見晴らしはいい。そっちまで行ってみよう」

 足利に案内されて、展望台に続く階段を上る。すると、後ろから身軽そうな足音が近づいてきて、すぐに前を歩く奏介を抜き去っていった。1段飛ばしで階段を駆け上がった、彼方だった。

 さらに前を歩いていた足利のことも追い抜いて、1番乗りで階段を制覇する。そこから、彼方は休む間もなく展望台の中へと入っていった。

「おい、ちょっと待てって!」

 しかし、全然待つ気配のない彼方。仕方なく奏介もペースを上げて追いかける。彼方に続き、前を歩いていた足利を抜き去る。足利に彼方を追いかけるつもりは毛頭ないようだった。

 建物の屋上、展望スペースまでたどり着く。誰もいない展望台に1人、パノラマの景色を全身に浴びる彼方がいた。

 遮るものはなく、そこにあるもの全てに等しく降り注ぐ太陽の光。その中心に立つ彼方は、天使のようだった。量販店の白いTシャツにデニムというチープな服装でも隠しきれない、誰も触れることのできない神々しさ。それを纏ったまま、展望台から空へと飛び去ってしまいそうな。

 ふと、忘れかけていた事実を思い出す。

 彼女は、MiXだ。多くの人々の心を掴んだ、歌姫なんだ。

「かな……姐さん」

 声をかけて、彼方は振り返る。揺れた長い髪が、太陽の光できらきら輝く。

「大丈夫、飛び降りたりしないから」

「そんな、縁起でもない」

「でも、心配そうだった」

「だって、何かと危なっかしいから。……別に飛び降りるとかじゃなくて」

「心配してくれるのは、嬉しい。だけど、大丈夫」

 すると、彼方は淡い光の中で微笑んだ。

「私は今、幸せだから」

 彼方は、本当に幸せそうに言った。

 つまり多田奏介がいなくても、彼方は大丈夫なんだろうか。

 奏介は感じる。自分が透明になっていくような錯覚。

「海渡も、こっちに来て」

 コロッセオのような円形の空間から短い階段を上がり、彼方と同じ陽の光を浴びる。まぶしさで身体が粒子になって、さらさらと飛んで消えてしまいそうな気がした。展望台の頂上に吹く風に乗って。もちろん、実際にそんなことは起こらないけれど。

 彼方の長い髪が風になびく。きらきらと、艶やかに。白い肌と黒いロングヘアー。2色のコントラストが、陽光の中で美しく際立つ。

 展望台から見る景色は、絶景だった。遮るもののない、本当の地平線があった。しかしそれ以上に、奏介は絶景を慈しむ彼方の横顔に見惚れていた。

 すると、彼方は遠くの地平よりも近くのある場所に注目していることに気づく。

「何見てるの?」

「鐘がある」

 自分達がやってきた駐車場から程近い位置。脇道に逸れたところに鐘はあった。結婚式場のチャペルにあるような、西洋風の鐘。

「鳴らしてみたい」

「じゃあ、行ってみようか」

 すると、彼方は奏介に手を差し出した。

「行こう、一緒に」

 一瞬、躊躇う奏介。偽物の自分に、彼方と手を繋ぐ価値はあるのか。

 だけど、今の彼方を傷つけたくはないから、奏介は手を繋いだ。それはきっと、喜多見海渡として。自分の気持ちは、押し殺して。

 ……自分の気持ち?

「どうしたの、海渡?」

「いや、何でもない。行こうか」

 草原から吹き抜ける風に押されて、2人は階段を降りる。並んで手を繋ぎ、ゆっくりと階段を降りていく。その様子は、まるで神聖な儀式のよう。そして、目指す先にあの鐘があるとすると、飛躍しすぎた想像が奏介の中で閃いてしまう。

 頭を振る。あくまで今の自分は、喜多見海渡である。

 鐘の前にたどり着くまで、2人は一定のリズムで歩いた。口数は少なく、それでも奏介と彼方は繋がっているという実感があって、同じ空気を吸っていて、それが余計に奏介のアイデンティティを揺らがせる。昨夜、彼方にとっての何者でもいいと思った自分が霞んでいる。今、正真正銘の多田奏介として隣に立てていたなら、どんなに素晴らしいことだろう。

 やがて、2人は鐘の前へとたどり着く。

 幸せの鐘。

 鐘を支える左右の石柱は展望台で見かけたよりも大きく、正面に堂々と鎮座して歩いてきた2人を出迎えた。

「鳴らしたら、どうする?」

「どうする、って?」

「お祈りすればいい? 願いごと、とか?」

「うん、願掛けするのがいいと思う」

「私、何のお願いごとしよう?」

「何でもいいんじゃないかな。好きなことお願いしてみなよ」

「……わかった」

 鐘に結ばれていた、真ん中のロープを彼方は握りしめる。奏介も彼方の手より拳1つ分上の位置でロープを掴んだ。

「じゃあ、振るよ」

「うん」

 奏介は小さく「せーの」とつぶやいて、2人で同時にロープを振った。

 青空に、突き抜けるような鐘の音が響き渡る。どこまでも広がっていく。それはしばらくの間反響して、時間をかけて快晴な空模様の中に溶けていった。

 空を見上げて、放たれた音が遠くなっていくのを見届ける奏介。それから、そっと目を閉じる。奏介が祈るのは、ただ旅の無事だけだ。

 どれくらい目を閉じていただろう。鐘の音が透き通って消え、草木の緑が波打つ音に変わる。風は相変わらず優しく吹いている。

 ゆっくりと目を開ける。奏介は隣にいる彼方に話しかけようとして、やめた。

 彼方はまだ目を閉じて祈りを続けていた。両手を胸の前で組み、まるで敬虔なクリスチャンのように。

 彼方が祈りを終えたのは、奏介が目を開けてから10秒近く経ってからだった。

「随分と長いお願いしてたね」

「ごめん、待たせた?」

「いや、いいんだ。ただ、どんなお願いをしていたのかが気になって」

「知りたい?」

「それはまあ……でも、話したくないことだったら無理に話さなくてもいいよ」

「大丈夫、教える。海渡には特別」

 海渡には特別。

 その言葉が、奏介の中でやけに引っかかった。

 そして、彼方は話してくれた。鐘の音に込めた願いを。

「奏介とまた会って、ずっと一緒にいられますように」

 それは。

 どういうことだ?

「私は、奏介が好きだから」

 つまり、そういうことなのか。

 なんて面白い冗談だ。

 願掛けなんてしなくても、そんな遠い目で話してくれなくても。彼方が求める願いはほんの数センチ先、すぐ手の届く距離にあるというのに。

 なぜ見えないんだ。

 なぜ自分を、多田奏介として認識してくれないんだ。

 いっそこの場でネタばらしをしてやりたいと奏介は思う。だけど、彼方を壊してはならないという理性がギリギリのところでせめぎ合う。

 その結果、気づいたら奏介は走り出していた。

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