13
行きの半分もかからない時間で、部屋まで戻ってきた。
「彼方!」
大至急で鍵を開け、ドアを開ける。そこには、彼方の姿。
窓を全開にして、バルコニーから大きく身を乗り出した彼方の姿。
「やめろ!」
慌ててバルコニーに駆け寄る奏介。彼方の身体を背後から掴んで、手すりから引き剥がす。
「あ」
「うわっ」
焦っていたせいか、離すのに勢いがつきすぎた。奏介は彼方もろとも後ろ向きによろけた上、バルコニーと部屋の段差で思いっきり躓いた。
やばい、と思ったときはもう遅い。彼方を抱えて受け身も取れない状態のまま、奏介の身体は重力に従うしかなかった。
盛大な音を立てて、奏介はフローリングの床に墜落する。
「痛……っ!」
悶絶。また息ができなくなる。
足利に投げられた時といい、今夜の奏介はやたらと背中を痛める。しかも今回はダメージの蓄積に加え、彼方の重心が容赦なく乗った分余計に効いた。
それでも、何度かの深呼吸の後で痛みが引いてくる。それと比例して、奏介は徐々に周りが見えてくる。
自分はフローリングに倒れている。バルコニーから風が吹いている。部屋には1番弱い照明が灯っていて、足利はまだ帰っていない。
仰向けになる。自分の頭上約20センチ上空に、彼方の顔がある。いつの間にか、彼方が自分にマウントポジションを取っている。身動きが取れない。
「どこにいってたの?」
頰に温かい感覚が触れた。薄暗くてわからなかったが、涙だ。
「嫌な夢を見て、覚めたら誰もいなかった。私、怖くなった。通路も真っ暗で進めなくて、このままずっと、部屋の中で1人ぼっちになるかと思った……」
彼方は、泣いていた。孤独を訴える声は、明らかに震えていた。
「もう、1人にしないで……海渡」
この期に及んでも、奏介は『奏介』ではなかった。落胆すると同時に、当然の報いのような気もした。縋る彼方が、いつかの梨音と重なったから。
『奏介は……いなくならないでね』
今の彼方と同じ表情で、梨音は訴えた。
『俺は、いなくならないよ』
過去の自分は、そう答えた。
しかし、奏介はその約束を守れなかった。その後ろめたさは消えないし、過去の事実を変えることはできない。それは、海渡のことだって同じだ。自分はあまりにも多くの人を傷つけ過ぎた。だったら、だからこそせめて、目の前にいる彼方のことは。
「1人にしないよ……姐さん」
奏介は手を伸ばし、彼方の頰に触れた。冷たくて、涙で濡れていた。
自分が何者であろうと、どんなに無力だろうと、世界の果てまで彼方とともにいよう。その先に待ち構えるのがバッドエンドだったとしても、受け入れよう。それが無力な自分にできる、彼方への唯一の救済であり、責務だ。
不意に、重低音のエンジン音が空一面に響き渡った。1つや2つではない、不特定多数の重なり合って増幅する轟音。
「何だ?」
2人は立ち上がり、バルコニーから空を見上げる。
「飛行機」
彼方がつぶやいて、夜空を指し示す。
点滅する赤い灯を伴って、巨大な飛行機の影が飛んでいた。きっと自衛隊の軍用機だろう。2人の頭上を悠々と通過していく。東から西へ。夜に溶け、渡り鳥のように巨大な群れをなして。
その目指す先は、焼け落ちた乙江の街か、あるいは新たな戦場か。それは、奏介達にはわからない。しかし、自分の力が遠く及ばないところで、世界が大きく変わろうとしているのを肌で感じた。
エンジン音が遠く離れていく。2人は西の空に消えていく機械仕掛けの渡り鳥を、いつまでも見届けていた。