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休憩を終えてから車を走らせ、30分ほどで景色が拓けた。遠くに護衛艦らしき船の浮かぶ海も見えた。見慣れていた日本海ではなく、久しぶりの太平洋。
「街も見えたし、そろそろ昼飯にしよう」
昼ご飯は足利の希望で味噌ラーメンになった。特に反対意見もなく、市街地で見つけた店ののれんをくぐる。臨時休業の店舗が目立つ中で見つけた、よくある街のラーメン屋。昼時を少し過ぎていたせいか、それとも物騒な社会情勢のせいか、他の客は見当たらない。
「みんな味噌ラーメンでいいか? それじゃあ、味噌ラーメンの並を3つ」
注文を頼むと思っていたよりもすぐに味噌ラーメンが3つ運ばれてきた。アツアツの湯気が視覚と嗅覚を刺激して、食欲をくすぐる。
最初の1口から、3人は黙々と麺をすすった。シャキシャキと鮮度のあるもやしとキャベツ。脂ののった肉厚のチャーシュー。もちもちとした食べ応えのある太麺。それらを絡み合わせ、しっかり主張しつつも素材の美味さを引き立てる濃厚スープ。そこへ、さらに深みのあるコクを演出させる北海道バター。
ふと、奏介はちょっと前のことを思い出す。彼方に海渡とその両親を加えた5人で食卓を囲んだ毎日。もう戻れない日々。だけどこの1杯のラーメンに、それと似た温かさを感じた。奏介は涙が出そうになる。それをテーブルに置かれたティッシュで拭いて、鼻をかんでごまかす。これは泣いているんじゃない。全部熱々な湯気のせい。
辛いことが続く旅だ。それでも腹は減るのだ。このラーメンを食べている瞬間は、確かに3人とも幸せの味を噛み締めていた。
あっという間に3人は完食する。そして余韻に浸っているところで、足利は話を切り出した。
「これから高速に乗って、早ければ今日中には道東エリアに入れると思う」
「そんなに早く行けるんですか?」
「北海道は面積の割に人も車も少ないから、割と楽に行ける。普段通りならば、の話だが」
「検問、ですか?」
「それもある。その影響で渋滞に巻き込まれたら面倒だからな。だが、それよりも怖いのは……暴動だ」
「暴動……」
物騒な単語が出てきて、奏介は息を呑む。
「とある情報によると札幌や小樽、旭川なんかの都市部ではなかなかカオスな状況になっているらしい。デモや暴行、略奪。そんなのが日常的に横行しているそうだ……煙草、吸っていいかな?」
どうぞ、と奏介が促すとケースから1本手に取る。ジッポライターで先端に火を灯した。
「それで、問題になってくるのは今日の宿の話だ。荒れていて危険な市街地を避けて行くとなると、旅館や民宿レベルの宿でも探すのは難しくなる。最悪、野宿も念頭に入れておいたほうがいい」
「そんなに難しいんですか?」
「今日通った道を思い出してみるといい。まともな市街地以外に宿はあったか?」
なかった。思い出す限りでは、そもそも民家よりも緑が多かったくらいだ。
「だから、もしかしたら今日も車中泊になるかもしれない。なるべく見つけられるよう努力はするが、心の準備はしておいてほしい」
「足利」
ずっと黙って聞いていた彼方が言った。
「足利はずっと、そういう旅をしてきたの?」
「そうだな……同じような旅もあったし、これよりもっとひどい旅もあった。うっかり野宿なんかしたら、モノだけじゃなく最悪命まで取られかねない旅もある」
ふぅー、と足利は真上に長く汽笛のような白い煙を吐いた。
「色々な旅で色々な景色を見てきて、色々と知りすぎてしまったな、僕は」
「それは、どういう意味?」
彼方がさらに踏み込む。彼方は見極めようとしているのかもしれない。足利が、信用に足る人物なのかどうか。
「僕はジャーナリストだ。だから今まで様々な国と地域を見てきた。隣国から難民が押し寄せた国。麻薬とマフィアに支配された国。一党独裁で弾圧が繰り返された国。そして、その時まさに紛争の真っただ中にあった国。どの国にも、それぞれの営みがある。しかし、その営みのレベルはどこもかしこも一部の貴族以外は惨めなもんだった。金で人がモノのように買われる国があったし、人の命が紙切れのように散っていく国もあった。僕のこれまでの旅はそんな人間の愚かさと弱さを見せつけられた、地獄巡りの旅だ」
煙草の煙と共に吐き出した言葉は、淡々としながらも一言一言が重い。その胸に響く重さが、足利の話は嘘ではないことを物語る。
「人間は、いつの間にか大きな力を持ちすぎた。本当なら、人間はもっと慎ましく生きるべきだったんだ」
半分ほどの長さになった煙草を、足利はスチール製の灰皿にすり潰す。
「すまんな、余計な話をしてしまった。さあ、行こうか」
3人は揃って席を立つ。
地獄巡りの旅。そのキーワードが、奏介の脳裏に強く残った。
それは、炎に包まれた乙江以上の地獄だったんだろうか。それを確かめる術は、奏介にはない。
そして、結局足利は敵なのか、味方なのか。その見極めも、まだあやふやなままだ。