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ワールズエンドの歌姫  作者: 染島ユースケ
5.夏休みの歌姫
131/177

34

 その時のことを、奏介は断片的にしか覚えていない。

 巨大な流れ星。

 街を飲み込む火の海。

 降り注ぐ火の粉と瓦礫。

 突如迫り来る死の気配から、彼方を連れてがむしゃらに逃げて逃げて逃げた。時折つまずきそうになりながら、息も絶え絶えにたどり着いたのはさっき出たばかりの駅舎。

 内陸部でまだ被害を受けていない駅舎の中は静かだった。しかし、幸か不幸かその分周囲が置かれている状況をよく把握できてしまった。

 すっかり暗くなった夜の中。ブルーポートがあったはずの方角。海沿いの街は不気味なほど真っ赤に染まっていた。まるで血を流しているかのように。

 全方位から反響するサイレン。何かが爆発したような破裂音。室内からでも感じ取れる禍々しい熱気。焦げ臭いにおい。

 逃げまどう人々の姿は、逆に見当たらない。自分達とは別の方向に逃げたのか、あるいは逃げ遅れて——

「————っっ‼︎」

 想像してしまった。奏介は突然の吐き気に思わず口を押さえる。耐え切れずに窓を開け、そこから吐いた。同時に、重い風邪をひいた時のような気持ち悪い寒気に襲われる。

 現実を受け入れられなかった。それでも現実は容赦なく無抵抗な自分に殴りかかってきた。

 喜多見海渡と家族はみんな死んだ。

 一瞬でこんな火の海になって、助かるわけがない。全員即死だ。

 よく見ろ。これが戦争だ。これが遠野彼方を救い出した、代償だ。

 現実という名の魔物はそんな呪詛のような言葉をつぶやきながら、奏介の精神を完膚なきまでに叩きのめした。

 ついに奏介は外の地獄絵図から目を背けた。今まで背負ったままだったギターケースも取り落とし、壁にもたれかかった。力なく床にずり落ちる。涙目な視界に事務室の中が映る。

 そして、とどめを刺された。

 そこには、書き遺された絵があった。外の炎に照らされて、はっきりと見えてしまった。

 海渡が叶えるはずの夢だった。だけど海渡は、もうここにいない。

 あの時、海渡を先に帰らせなかったら。自分達と一緒に、買い物に行っていたら。

 きっと、海渡は死ななかった。

 これは、自分が殺したと同義ではないのか。

 奏介は絵を見る。絵もまた、奏介を見ている。たくさんの観客が、奏介を見ている。恨みのこもった視線で、奏介を責めている。

 お前が海渡を殺したお前が海渡を殺したお前が海渡を殺したお前が海渡を殺したお前が海渡を殺したお前が海渡を殺したお前が海渡を殺したお前が海渡を殺したお前が海渡を殺したお前が海渡を殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前がお前がお前がお前が————

「うああああああああ‼︎」

 奏介は床に転がったままだったチョークを黒板に投げつけた。絵にわずかな白い傷跡を残して真っ二つにへし折れる。それから、折れた2つを両手に持って、塗り潰した。黒板から視線を感じなくなるまで、観客の顔をぐりぐりと塗り潰した。

 やがて塗り潰される面積は徐々に拡大していく。結局絵の全体像が把握できなくなるまで、奏介は無我夢中に黒板を真っ白に染めた。 持っていたチョークは半分以上すり減って、両手も真っ白になって。しかし、それでも奏介の心が慰められることはない。

 全部なくなってしまった。

 自分達の荷物や所持金。居心地のよかったブルーポート。見晴らしのいい部屋。優しく迎えてくれた拓渡さんに春海さん。屋根の上とか、カモメ島とか、思い出の場所の数々。そして、あまりにも大きかった海渡の存在。

 全部全部、なくなってしまった。絶対に失ってはいけないと思っていたのに、こんなにもいとも簡単に。

 自分は、あまりにも無力だ。

「…………っ」

 奏介が打ちひしがれていると、小さくか細い声と息づかいが聞こえた。部屋の隅で、しゃがんだままだった彼方から。焦点がぼんやりと定まらない目で、こちらを見ている。

「彼方……」

 ぼろぼろの身体と心を引きずるようにして、奏介は彼方に近寄った。そうだ、自分にはまだ彼方がいた。元々は彼方のために自分が始めた旅だが、今はそんなの関係ない。奏介は寄りそえる何かが欲しかった。

「彼方……」

 奏介は座ったままの彼方と同じ目線で呼びかける。すると、彼方の目が奏介を捉えた。

 ゆっくりと、小さく口を開け、彼方も名前を呼んだ。

「海渡」

 海渡?

「海渡、どこ行ってたの?」

「違う……俺は海渡じゃない。よく見ろ、奏介だよ」

「奏介……」

 彼方はじっと見つめる。その瞳は、果てしない暗闇。

「海渡、奏介はどこに行ったの?」

 何かの冗談かと思った。

「海渡、聞いてる? 奏介はどこ?」

 でも、奏介の行方を訊ねる彼方はどこまでも真剣で、無垢で——狂っていた。

「海渡、海渡」

 彼方は奏介の身体をゆする。それでも、彼方は彼を海渡だと思い込んでいる。奏介を狂わせる余裕すら持たせず、催促する。

 すでに、彼方は壊れてしまった。どうにか形を保っているだけの、ひびだらけの器だった。

 だから、奏介はこれ以上彼方が壊れてしまわないように。形が崩れてしまわないように。丁寧に言葉を選んで。

「奏介は……今助けを呼んでる。だから……もうちょっとしたら会えると思う」

「……わかった」

 彼方は、どうにか納得してくれたようだった。間違ってはいなかったと思う。ベストではないが、ベターな答えだったと思う。

 だけど、奏介は怖かった。自分が自分ではなくなってしまいそうで。海渡もどきになってしまいそうで。

 自分は誰だ? そんな問いかけが頭の中で反響する。徐々にそれは大きくなって、しかし、いつの間にか「誰かいるのか?」になっていることに気がついた。自分からではなく、確かに駅舎の外から聞こえてくる声。

「ここです……っ」

 はっと反応して、縋り付く思いで声を出す。だが絞り出す声は嗄れて、喉は渇き過ぎてむせた。それでも、奏介が発したSOSは声の主に届いてくれたらしい。

「駅の中か? そこにいるのか?」

 声が、足音と生きた人間の気配を連れて近づいてくる。

 聞き覚えのある声だった。しかし、拓渡でも春海でも、一番待ち望んでいた海渡のものでもない。

「……そんな気はしてたが、やっぱり君達だったか」

 遠くで燃え上がる炎で、幽霊みたいにゆらゆらとした細身のシルエットが浮かび上がる。数時間前、同じ場所で遭遇した足利だった。白いシャツにはすす汚れが目立つ。肌には汗がにじんで、毛先が額に貼り付いている。息も荒い。炎と黒煙と熱気の中を、必死にかいくぐって逃げてきたようだった。

「君達は2人だけ……そうか」

 足利は1人足りないことに気づいたが、すぐに察してくれたようだった。その気遣いが、逆に苦しい。

「足利さん」

 奏介は訊いた。

「これから、どうするんですか?」

「とりあえず、この場所を離れるよ。今のここは……あまりにも危険すぎる」

 その言葉は心の闇と絶望に溺れかけた奏介にとって、目の前に投げ込まれた藁だった。

「だったら、お願いがあります」

 奏介は、藁をも掴みたかった。

「俺達も……連れて行ってくれませんか?」

「……いいんだな?」

「はい」

 元々、長居するべきじゃなかった場所だ。さらに言えば、この街を訪れるべきじゃなかった。海渡に出会うべきじゃなかった。そうすれば、こんな身体が引き裂かれそうなほどの悲しみを背負うこともなかった。

 全ては手遅れだ。だったらせめて、この街を捨てて、誰もいない場所へ。彼方の心が救われる場所へ。

「連れて行ってください。世界の果てまで」

「世界の果てか……わかった」

 足利は手を差し伸べた。

 奏介はその手を強く握った。

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