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練習を終えて駅の外に出ると、外はすっかり夜の空気だった。カクテルのように交わる、群青と橙のグラデーション。点々と灯り始める街灯。日中の暑さは嘘のように消え、代わりに海から吹き付ける夜風は、時に肌寒さすら感じさせる。
帰り道の途中でコンビニに立ち寄った。柏では見たことのないオレンジの看板が印象的。そこで海渡が作った手書きの楽譜をコピーした。出来立てほやほやの惣菜やお弁当に食欲をそそられたが、ここは我慢。家に帰れば、もっと美味しい晩ご飯が待っている。
「いやー、今日は楽しかった! 充実した!」
「俺も楽しかった。こんなに丸一日ギターに打ち込んだのは、久々だったからな」
「私も、楽しかった。新曲聴けたし」
「歌詞のほうも、もう少しでできそうなんでしょ?」
「もう頭の中で構想はあったし、今日3人で練習してさらにイメージが固まったから今日中に作れるはず! できれば夕飯ができる前までに!」
「ははは、海渡は何もそこまで焦らなくたっていいのに」
「何のんびりしたこと言ってんのさ奏介さん! 鉄は熱いうちに打て! 思い立ったが吉日! 善は急げだよ!」
と、そこで携帯が鳴った。奏介と彼方は携帯を持っていないので、鳴るのは海渡の携帯しかない。
「あ、母ちゃんからだ。もしもーし」
何か会話を交わしているが、もちろん内容は奏介からはわからない。しかし、海渡の表情は徐々に曇ってきて、「え、今から?」「マジでー?」と面倒くさそうなコメントが出てきた。それから「2人にも訊いてみるわー」と言って。
「なんか自家用のソースが切れちゃってたみたい。それでオレ達に買ってきてくれって話なんだけど、行く?」
「私は別に構わない」
彼方は淡々と答える。すると、海渡は少し困ったような顔を見せた。奏介は察した。
「じゃあ俺と彼方で行ってくるよ」
「え、でも……」
「夕飯できる前までに完成させるんだろ?」
躊躇していた海渡だったが、奏介のその一言に背中を押された。
「奏介さん……あざっす! 歌詞、絶対今日中に完成させるから!」
それから海渡はすぐに通話中のままだった電話で2人が買い物に行ってくる旨を伝えた。
「うん、そう……オレはちょっと先に済ませたい用事があって。2人もそれでいいって」
そういえば、海渡は2人と言っているけど彼方からちゃんとした同意をもらっていなかった。奏介は少し気になって、横目で彼方の様子を確認する。相変わらずはっきりした感情が表に出ることはない。ただ、もしかしたら一緒に行きたかったのかな、という漠然とした空気を感じる。少し悪いことをしてしまっただろうか。
「母ちゃんからもOKもらった! だから申し訳ないけどここはお言葉に甘えるっす!」
「おう、両親にもよろしく。とりあえずソースだけでいいんだよな?」
「そう、中濃ソースでよろしく!」
「了解、じゃあ買ってくるよ。スーパーはどっちだっけ?」
「次の通りを曲がって山のほうに進んでくとあるけど、だいたい歩いて10分くらいかな?」
「わかった、それじゃあ行ってくる」
「ご武運を!」
「そんな大げさな」
そんな何気ない会話を交わしながら、奏介と海渡は手を振って別れた。彼方も奏介の傍らで控えめに手を振りつつ、海渡をじっと見つめていた。
後に奏介は、この選択を後悔することになる。
もしここで一緒に海渡も買い物に行っていれば、確実に未来は変わっていた。
そんな小さな選択の差で大きく運命が変わってしまうほどの事件が、この後の未来で待ち構えていた。