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誤解が解けて、海渡に変化があった。
「姐さーん、奏介さーん、こんなん見つけたよ」
海渡の言葉遣いから敬語が減った。相変わらず呼び方は『姐さん』と『奏介さん』のままだが、これでまた海渡との距離が近くなったような気がした。それが奏介は地味に嬉しかったりする。
「何を見つけたの?」
「これこれ」
彼方が訊くと、にかっと笑う海渡が見せたのはチョークの箱だった。中身を見てみると、まだ未使用の白チョークがぎっしり詰まっている。
「これ、どうするの?」
「せっかくだし使っちゃおうぜ! レッツ落書きタイム!」
室内には大きめの黒板があった。おそらく駅のスケジュールや、伝達事項を書くのに使っていたものだろう。海渡はそれに駆け寄ると、大きく『かなた』『そーすけ』と書いて縦書きで並べた。
それから真ん中に傘をさした。てっぺんにはご丁寧にハート付き。奏介の顔から火が出そうになる。
「お前何書いてんだコラ!」
「にひひー。いやー、お似合いだと思うんだけどなー」
「やかましいこの中学生が! チビが!」
「奏介さん今チビって言った! オレに言っちゃいけないこと言った!」
「おーおー、海渡が反省しないなら何度でも言ってやるよ! こうなったら2対1だ、彼方からも何か言ってやれ……」
と、そこでごく自然な流れで彼方に話を振ろうとして。
顔を真っ赤にした彼方が立っていた。
それは奏介の比ではなく、まるで熱病にでもかかったかのような火照り具合。元の肌が白いので、なおのこと目立つ。海渡もその様子を見て、表情が気まずそうな苦笑いに変わる。
「あ、彼方……?」
すると、彼方はおもむろに黒板の前に立ち、チョークを手に取った。海渡の落書きに、何かを描き加えていく。徐々にそれは形を成していく。
やっぱり世界的ミュージシャンとなると、美的センスにも優れているのだろうか。同じチョークで描いたとは思えない程の、立体的な絵が姿を現していく。最後にハートを消し、名前を人型の枠で囲んで、そこに海渡の名前も加える。いつの間にか、彼方から顔の火照りは消えていた。
「できた」
「彼方、これって……」
「カモメ島のステージ、のつもり」
本当は、訊かなくてもわかった。それくらい、しっかりと特徴を掴んだ絵だ。白い外壁に三角の屋根。舞台は頑丈そうな石造り。それから、そこに立つ3人の影。乙江に来てから、ほぼ毎日通って見ていた風景。今だって、手に取るように思い出せる。
「いつもの、練習風景」
「すげえ! 姐さん絵も得意なの⁉︎ かっけぇ!」
それを見た海渡は、手放しで絵(というより描き手の彼方)をべた褒めしていた。言葉も出ないまま絵をじっと見ていた奏介とは対照的。
「あ、そうだ!」
すると、海渡は何かを思いついたらしい。
「オレさ、姐さんに描いてほしいものがあるんだ!」