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結局、足利の前で即席のライブを開催することになった。ブルーポートの初ライブが、まさかこんな形で開かれるとは。
「いやあ、楽しみだなあ」
足利が能天気に言う。3人は黙々とスタンバイする。準備が終わったタイミングを見計らって、奏介は彼方と海渡を集めた。
「今日は海渡がメインで歌いなよ。ギターは俺と彼方で弾いて、MCも俺がやる。海渡なら俺達の持ち歌もいけるでしょ?」
「大丈夫っすけど、マジっすか?」
「マジで」
「私、ギターなの?」
「ああ、せっかくの機会だからギターに専念してみるのがいいと思う。ここまでちゃんと練習してきてるから、普段通りやればいい。それに、彼方の歌は……」
奏介はちらり、と足利を見る。彼は無言かつ無表情で携帯を操作している。
「姐さんの歌が、どうかしたんすか?」
「いや……何でもない。そういうことで、彼方はいけるか?」
「わかった、やってみる」
それから演奏する曲と立ち位置を決め、簡単な打ち合わせを終えた。3人は唯一の観客である足利と向かい合う。その様子に気づいた足利も、携帯をポケットにしまう。
「準備できたかい?」
「すいません、お待たせしました。これより俺達『THE BLUE PORT』のスペシャルライブ、始めたいと思います」
予定通り、奏介がライブを仕切る。足利の拍手が部屋に反響した。
音楽が始まる。
今まで奏介や彼方、そしてジェロムズが鳴らしてきた音楽。それが『THE BLUE PORT』の音楽として、再び息を吹き返す。
初めて聴く、本番での海渡の歌声。そこには、2人とはまた違った良さを持つ歌声があった。部屋の窓を開け放って一望した水平線。屋根の上から見上げた宝石の夜空。カモメ島のステージから見下ろした深緑の波風。それらの景色をぎゅっと凝縮して、歌声に昇華したような。海渡の歌には、爽やかな余韻を残す清涼感があった。
そんな歌は、奏介や彼方には歌えない。彼だけに出せる、唯一無二の歌声。
奏介は、改めて思う。歌声は、比べるものじゃない。MiXの歌が、この世の歌の全てじゃない。人を感動させる歌声は、ヒットチャートの常連だけとは限らない。ライブハウスにも、ネット上にも、そして今ここにも。世界の至るところで響いている。
世の中の人間は、もっと耳を澄ませるべきだ。絶え間なく錯綜するテロや戦争のニュース。騒々しく夢物語を主張するシュプレヒコール。大人の思惑や欲望によって作り上げられた見せかけのアイドル。そんなものに騙されるな。本当に正しいのは、自分が見て聴いて感動したもの全てだ。
もう余計なMCはいらないと思った。だから、1曲歌い終えた海渡に目で伝えた。
そのまま行け。
海渡も黙って、強気な眼差しでうなずいた。彼方も、その仕草で察してくれたようだった。2曲目。
いつの頃だったか、夏樹が言っていたことを思い出す。
ロックバンドが死んだとは思わない。音楽人口が減っても、まだ希望はある。確か、そんな話だった。
今、自分はその希望を目の当たりにしている。
アンプやマイクやエレキギターがなくても、海渡の歌声はまさにロックの希望だった。
ノンストップで3曲。最後の音が霧散した瞬間、奏介の全身を駆け巡る達成感。
久しぶりの感覚だった。最後にライブハウスのステージに立った、あの日以来かもしれない。
余韻に浸って半ば放心状態だった奏介の魂。1人分の拍手で、現実に引き戻された。
「ははは、これは素晴らしい。いいライブだった」
足利はスタンディングオベーションで3人を称えた。顔を見合わせ、全員の顔がぱっと晴れる。3人の間に漂う、充実した安堵の空気。同時に、少しだけ奏介の足利に対する見方が変わった。思っていたより、悪い人ではないのかもしれない。音楽は、人をピースフルにする。それは、MiXに限ったことじゃない。
「さて……イイものを見せてもらったし、僕はそろそろ失礼するよ」
「あれ、まだ休んでなくて大丈夫っすか?」
「無理は禁物」
「そうですよ、もう少し様子をみた方が……」
そんな3人の心配の声をよそに、足利は「平気平気」と言いながらショルダーバッグを背負って立ち上がる。
「元々具合は良くなってきていたところだし、君達の音楽を聞いて元気が出てきた。だから心配はいらない。いろいろありがとう、助かったよ」
礼を言い、事務室を出ようとした一歩手前で足利は止まった。振り返った横顔が見えた。
「そういえば、君達は地元の子かい?」
奏介はドキっとした。しかし、返答に窮したところを海渡が代わりに答えてくれた。
「うち、すぐ近くで喫茶店やってるんす。海沿いの通りにある『BLUE PORT CAFE』ってとこっす。今日は休みっすけど、よかったら店が空いてる時に食べに来てください! あ、でも昼時は混むんで注意っす!」
「ふむ……それはよさそうだ。機会があったら使わせてもらうよ。それじゃ、またどこかで」
顔色の良くなった笑顔を見せると、足利は目のくらむような直射日光の中に消えていった。
奏介は妙な胸騒ぎを覚えつつ、駅を出る足利の後ろ姿を見送った。
ゆらり、と陽炎で背中が揺れた。