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「いやいや、すまない。驚かせてしまったね」
その場からのっそりと起き上がった、やや長めの無造作ヘアに細身で丸眼鏡をかけた男。第一印象のせいもあって不健康そうに見える出で立ちの彼は、名を足利と名乗った。職業はフリーのジャーナリスト、らしい。クールビズのシャツにスラックス。傍らには革製のショルダーバッグ。よくみるとちゃんとしていた装いの彼は、確かにホームレスには見えなかった。若干くたびれた様子ではあるが。
「それにしても、どうしてこんなところに?」
「取材に来てたんだ。ここ最近の緊迫する日本海情勢についてのね」
彼いわく、先週から乙江の民宿に宿を取って取材にあたっていたとのこと。今日も精力的に動き回る予定だったが、朝からの猛暑にやられてしまった。歩き回っているうちに、軽い熱中症のような症状に襲われたそうだ。休めそうな日陰の場所を探した末、たどり着いたのがこの廃駅。それから駅の事務室を無理矢理こじ開け、中に入ってベンチで仮眠を取っていたところを3人に見つかった、という流れである。
「君達は? どうしてここに?」
「ギターの練習っす」
「普段から、この場所を使っているのかい?」
「いや、今日が初めてっすね。普段はカモメ島で練習してるんすけど、今日は規制がかかってて」
「ああ、それならさっき見てきたよ。あれじゃあ確かに忍び込むのは難しそうだ」
足利と海渡が和やかに会話を交わしている。しかし、奏介はその会話の中に入ろうとは思わなかった。
奏介は何となく、この男を好きになれない。
丸眼鏡の奥に潜む瞳から、嘘や秘密を見透かされそうな気がする。今の奏介や彼方にとっては、最も相手にしにくいタイプ。
「でも、先客がいてしかも病人ときたらここを使うわけにはいかないっす。俺達は別の練習場所を探すってことで、姐さんと奏介さんはそれでいいっすよね?」
「私はそれでいい」
「ああ……そうだな」
それじゃあこれで! と海渡が言い残して立ち去ろうとしたところで。
「いや、待ってくれ」
足利に呼び止められた。
「僕は少し横になって気分が良くなってきたところだ。どうだろう、もしよかったら君達の音楽を聴かせてくれないか?」