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2015年6月30日 AM4:00
液晶画面の窓だけが、彼女の世界を照らしていた。
六畳の部屋で明滅する、作り物めいた長方形の光だ。
時刻は午前4時。PCの周囲以外は真っ暗で、周囲の物音は極端に少ない。聞こえる音と言えば、彼女が時折マウスをクリックする音。時を刻む時計の音。絶え間なく唸るPCの稼働音。それから、彼女自身のか細い呼吸音。
暗い部屋の中で、黒縁眼鏡をかけた彼女の顔が浮かび上がっている。見た目からして年齢は小学生から中学生の境目くらい。部屋の暗闇に溶ける長い黒髪。PCのブルーライトのせいで顔色はだいぶ青白い。しかし、元々血色のいいほうではなさそうである。
パジャマを着た小柄な背をさらに小さく丸めて、彼女はディスプレイを凝視している。わずかに唇が動く。誰にも聞こえない声でささやいた一言は「どうしよう……」。
PCの画面が、彼女に問うていた。
『アップロードしますか?』
簡単なイエスかノーかの二択問題。だけど、彼女はこの画面で止まったままかれこれ10分くらい硬直していた。
彼女は音楽が好きだった。さらに言うと、音楽を聴くよりも歌うことの方が好きだった。彼女の孤独を癒すのはいつも大好きな音楽だった。だから、いつか自分の歌も多くの人に届いて、それを聴いた誰かを助けることができたらいい。そう思っていた。
そして、今アップロードするか否かで悩んでいるそれは、そんな彼女の歌声を詰め込んだmp4ファイル。言い換えるならば、彼女にとっての夢へ近づく第一歩。
一瞬、画面がブラックアウト。スリープ状態に入りかけたところで「あっ……」と声を漏らし慌ててマウスを動かす。画面は再び目覚め、彼女に問いかける。
『アップロードしますか?』
手を止めていたさっきよりも明るい画面で、くっきりと。それは、彼女に返答を急かすかのようで。
そして彼女は、意を決して目の色を変えると、静かにマウスを左クリック。
『はい』
この瞬間、彼女の歌声は広大なインターネットの海へと放たれた。
そして、彼女の歌声は世界中の多くの人へ届けられることとなる。彼女の願い通りに。
しかし、同時に彼女の歌声は世界の歴史を大きく変えることとなる。彼女の願いとは、裏腹に。
時代の波に呑まれ、翻弄される未来まであと数年。
そんな未来を、いまだ純粋過ぎる彼女は知る由もなかった。