目覚まし時計の音から始まるデート術
目覚まし時計がなる前に目が覚めた。
窓から光が差し込んでいる。
陽光を受けて光る文字盤の長い針は、6、短い針は6と7の中間あたりを指している。
昨日セットしたのは七時だから、予定よりも少し早い。
チクチクという音を起床のBGMにするにはあまりに殺風景な程爽やかな朝だ。
浮き足立った心はまるで、雲のように。
軽く火照った顔はこの日差しのように。
全く、今日という日に相応しい。
僕は布団を大きく蹴りだして、ベットから降りて、大きく伸びをする。欠伸をする。
台所にあった食パンにマーガリンと苺ジャムを塗って、卵を焼いて、早い朝食にしよう。
そう思って歩きだそうとした時、足から紙の擦れる音が聞こえた。
今日のための、計画表だ。計画だけでなく、恋愛指南のようなことも書いてある。
①彼女と待ち合わせ。遅刻厳禁!8時30分には出る。(服は頑張りすぎないように)
何故か時間の所に何度も消しゴムで消したあとがあったが、初めてのデートだ。
きっと、緊張して夜寝れなくて寝坊してしまうだろうと思って久しぶりに目覚まし時計を動員したのに、杞憂だった。
②水族館。コースは別途記載。館内レストランにて魚を見ながら昼食。
③近くのカフェでお茶。初回だし、重くならないようこの辺りで解散。駅まで送る。
あたまに刷り込むほど読み込んだ。
そうだ、そうだ、今日なのだ。
苺ジャムよりも甘く、この熱したフライパンよりも熱い、デートを楽しむんだ。
服装は頑張ってると思われないよう、カジュアルに、でも無難すぎずに…って、そんなに服があるわけじゃない。
あるものを適当に着るような僕の誘いを、なぜ彼女は受け取ってくれたのだろう。いや、誘えた自分を褒めるべきか。為せば成る、為さねば成らぬ、何事も。恋愛って、多分そんなものだ。少なくとも受け身がちだった中高生の僕に何か成ることはなかった。
だからこそ、この自分で掴み取ったチャンスをモノにするのだ。
そう意気込んで扉を開けると眩しいほどの光が入り込んで来た。天も確実に僕に味方している。腕時計を確認すると、8時半。十五分で駅に着くから計画どおり。さあ、行こう。
道行く全てが新鮮に見える。きっと、彼女の隣で見るこれらはもっと、美しいだろう。
彼女と会う前の今でさえこれ程幸せなのだから。想像してもしきれない。溢れる喜びは鼻歌となって、リズムをうつ。「あら、その歌『恋』ね。」「ええ。」「ごめんなさいね。私もその曲好きなの。ところでー」
朗らかな日常の一コマに相応しい、老婦人と恋する若者の会話。ただ、それだけだと思ってた。「〇〇スーパーって、どこにあるかしら」「ああ…それなら」まだ時間に余裕はあるし、遠回りだが駅の方面ではある。
「ありがとう。貴方何だか楽しそうね」「ええ。今日デートなんです。」老婦人はぱっと顔を明るくして笑った。「それなら、早く着いても『今来たとこ』って言うのよ。」
スーパーに着くと花がそっと散るようにふふっと笑って老婦人は礼を述べた。
僕は歩き出す。まだ20分前、大丈夫だ。最低5分前だ。つんつんと服を引っ張られた気がした。振り向くと小さな女の子がいる。
「どうしたの?」僕は時間が気が気でないが微笑みかける。「あのね、木に風船がね」
女の子はそう言って植え込みの木を指さす。
「待ってて」内心ため息を吐きながら気によじ登る。意外にも登りにくい。やっと風船を掴んで、降りると女の子の服が汚れているのがわかった。彼女なりに頑張ったのだろう。
「はい。あと、これも。ハンカチで服ふきな」「ありがとう!かのじょにもやさしくね。でも、いらない。かのじょに使ってあげて」彼女だなんて、ませた事を…それどころじゃない。急がないと。別れもそこそこに走る。角を曲がる。拍子になにかにぶつかった。「いた…た」老人と、荷物が錯乱している。「ごめんなさい!」しまったと思うが、遅い。老人はよろよろと立ち上がったが、いかにも頼りない。僕は取り敢えず荷物をかき集める。「すまんな」「いえ僕こそ…どちらへ?」「そこの駅まで」ならば都合が良い。付き添って行こう。ぶつかった罪悪感も少し、放っておけないのも少し、とにかく「僕も駅までなんで、荷物持ちましょう」
「おお、ありがとう」
荷物は結構重たくて、足取りは遅くなる。
「駅へは、どうして?」「おや?そういうのは自分が先じゃないか?」老人は元気そうな笑顔を見せた。「実は、デートで」「ほう、若いっていいねえ」ニヤニヤとしている老人を見て、彼を手伝った事を後悔した。
「では」やっと駅の構内に着いて走り出そうとする僕を老人は引き止めた。「君は優しい人だから、きっと彼女さんとも上手くいくよ。」「ありがとうございます。」時計を見る。9時を、10分も過ぎている。「それとな、待ち合わせに早く着きすぎても待ったとは言ってはいけないよ。『今来たとこ』あくまで、これだ。飲み物でも買っといてあげればコロり、だ。」
老人は手を振って歩いていった。もうそれはないです。と叫びそうになったがおさえて、ロータリーの側の噴水に向かって走る。
いた。彼女の後ろ姿を捉える。ここで安心からか彼女を驚かせようという雑念が入った。
そっと死角から近ずいて、近くによる。
1mもなくなったころから彼女の匂いがした。
柔らかそうな髪、華奢な体、いつになくドキドキして息が苦しい。必死に押さえ込んで、「わっ」と肩に触れる。つもりだったが勢い余って叩いてしまう。「きゃっ」彼女は珈琲のカップを手に持っていた。それが、拍子にこぼれてしまった。手から落としたわけでなかったが、服にかかってしまう。「ご、ごめん…あっこれ」僕は慌ててハンカチを渡す。
「ありがとう」彼女は僕を攻めるわけでもなくそう言った。「遅れた上に、こんなことして…ほんとに、ごめん…」「ううん。君のことだから、困ってる人でも助けてたんでしょ?」「そうだったっけな」「行こ」彼女は珈琲のカップをひとつ、渡してくれた。
「あ、砂糖入れたけどよかった?」「うん、ありがと」
僕は珈琲をグイッと飲む。甘い。甘い。んで、ほんのちょっぴり苦い。体がぼーとして、そして僕は目を覚ました。
目覚まし時計がなる前に目が覚めた。
時計の針は4時を指している。
何度か似た夢を見た気がする。いろんな人を助けて、アドバイスをもらう。そんな、夢。
そうだ…『彼ら』には悪いけど、遅れたくないから明日は8時半より、早めに出よう。
8時15分なら、きっと間に合う。計画表を拾って、時間を書き換える。ついでに、アドバイスも追記…なぜか、不思議な気持ちがした。まあいい。僕は明日のデートへの期待と、決意を胸に。
そして眠りにつく。