くせっ毛
高校になってから、静は自分のくせっ毛が気になるようになっていた。
小学校や中学時代はほとんど気にしたこともなかったのだが、薄い色合いの髪にくりくりのくせっ毛を、今は嫌いになりつつある。
静の友人たちは、綺麗な黒髪のストレートの娘が多かった。
艶やかでさらさらとしたロングヘアを見るたびに、自分の髪と比べてしまう。
羨ましい、と思ったことは、一度や二度ではない。
自分もああいう髪型がいいな、と思い、伸ばそうとしたこともあった。
だが、生来のくせっ毛はそれを許してない。
少しでも伸びてくると、爆発でもしたかのようにあちこち広がりまくってしまう。
整えようとしてもなかなかまとまらず、鳥の巣のようになってしまうのだ。
結局それが我慢できず、いつもいつもショートカットにしてしまう。
眼鏡にショートカットは、静の目印。
そんな風に、友人たちは言う。
だが、静はそのどちらもあまり好きではなかった。
嫌いというほどではないのだが、このままではそのうち嫌いになってしまうかも。
特に今の静にとって、見た目はとても大切である。
一人、気になる異性が居るからだ。
文芸部の先輩で、一つ年上。
男女ともに友人が多い人で、すごく優しい。
一つ上の先輩。
高校二年生の先輩は、静にとってはとても大人だ。
背も高く、穏やかに笑っている姿は、それまで関わってきた「男子」とはまるで違う。
「男性」と言えばいいのだろうか。
とにかく、大人に見えるのだ。
そんな先輩の近くには、同級生の友人がいる。
長い黒髪の、とても落ち着いた女子の先輩だ。
色々な部活に顔を出している人で、行動的でありながら、堂々とした態度で女子からも男子からも人気がある。
魅力的な女性だ。
それに引き換え、静はどちらかと言えば引っ込み思案だ。
名前に反して落ち着きはあまりなく、おっちょこちょいで失敗ばかりしている。
それを挽回しようとしてまた失敗してしまうので、悪循環だ。
だんだん自分が嫌になってくるが、どうしようもない。
何とかしたいと落ち込むものの、それでどうにかできれば苦労は無いのだ。
この日の失敗は、静にとって致命的なものであった。
部活で使う原稿用紙を、床にぶちまけてしまったのだ。
慌てて拾おうと一枚を掴み上げると、汚れてしまっていることに気が付く。
床に紙がすれると、ゴミで妙な跡がついてしまうのだ。
慎重に一枚ずつ拾おうとするものの、慌てているせいでうまくいかない。
何とかしようとしているうちに、先輩が部室にやって来てしまう。
気になる異性であるところの先輩に、恥ずかしいところを見せてしまった。
羞恥心で真っ赤になり、ますます手元がおぼつかなくなってしまう。
そんな静を見て、先輩は面白そうに笑い、拾うのを手伝い始めてくれる。
申し訳なさで何度も謝りながらも、静は一枚一枚丁寧に紙を拾い上げることができるようになっていた。
先輩の笑顔を見て、それまでの焦りが嘘のように落ち着いたからだ。
代わりに心臓がうるさくなり始めるが、今はそれでも問題ない。
先輩にこれ以上迷惑をかける方が、問題だと思ったからだ。
原稿用紙を拾い終え、先輩にお礼を言う。
そうしていると、自分の落ち着きのなさを情けなく思う気持ちがぶり返してきた。
一つ嫌なところを思い出すと、後は際限がない。
失敗を取り戻そうとして失敗していしまうところも。
直ぐ慌ててしまう落ち着きのなさも。
流行りなどとは程遠い、やぼったく見える眼鏡も。
くしゃくしゃのくせっ毛も。
謝りながら、何とか苦笑いで乗り切ろうとするものの。
感情は言うことを聞いてくれない。
じわじわと目頭が熱くなってきて、静は誤魔化すために少しうつむいた。
その時だ。
短いくせっ毛をすくように、暖かな何かが頭を撫でた。
なんだろう、と視線だけを上げて、その正体に気が付く。
先輩の、気になる異性の手。
優しく、大切なものを撫でるようなゆっくりとした動きだと、静は感じた。
その心地よさに、感情は一気に持ち直す。
それどころか、舞い上がる様に高まっていった。
声をかけると、先輩はゆっくりと手を放す。
しまった、何も言わなければもっと撫でてもらえたかもしれないのに。
そんな風に思い、惜しむように目を見つめるが、後の祭りだ。
申し訳ない、その、すごく撫で心地が良さそうだったものだから。
そんな先輩の言葉に、またしても心が舞い上がる。
きっと、励ますために撫でてくれたのだろう。
そんな先輩の優しさと。
嫌いになりかけていたくせっ毛を褒めてくれたこと。
少し褒めてもらっただけで、それも、お世辞と分かっているのにこれなのだから、我ながら簡単だ。
感情は言うことを聞いてくれない。
この日から、静は自分のくせっ毛が少しだけ、好きになった。
自責の念に苛まれ、誠司は頭を抱えていた。
前の席に陣取り呆れた顔をしているのは、友人である五華である。
長い黒髪のこの悪友は、なかなかに男前な性格をしており、男女ともに人気があった。
昔から好いていたという社会人の恋人を最近になり射止めており、恋愛に疎い誠司にとってはよい相談相手にもなっている。
そんな悪友の前で頭を抱えているのは、やはりその「恋愛」が原因であった。
「で? 件の後輩ちゃんの頭を撫でた、と」
「そうだ。彼女が自分の失敗で項垂れていたというのに、反射的に撫でてしまった」
己の行動を悔やむ苦しげな表情で、誠司は自らが犯した罪を吐露した。
にもかかわらず、悪友は胡乱気な表情を浮かべるばかりである。
「その行動に何か問題があるのかね?」
「問題しかないだろう。羞恥で身を小さくしている彼女の頭を、その心情を慮ることもなく己の欲望のまま蹂躙したんだぞ」
「蹂躙って。もう少し言い方というものがあるだろうに、そんなエロ同人みたいな。大げさではないかね? むしろ撫でたことで、慰めたと捉えるべきなのでは」
あまりに楽観的な悪友の言葉に、誠司は僅かに眉をひそめた。
「流石に楽観が過ぎやしないか。意中の異性にでも撫でられたならともかく、気にもかけない相手に頭を触られるというのは気味の悪いものだろう」
「それに関しては同意するけれどね。彼女は特に嫌がらなかったのだろう? ならば別に気にする必要はないのではないかね。いや、別の意味でもっと気にした方がいいとは思うのだけどな、君の場合は」
「先輩であり、今まさに手伝いをしてくれた相手に対して、強く主張することができなかっただけだろう。彼女は少し遠慮が過ぎるところがあるからな」
「かもしれんけれどもね。もう少しポジティブに考えられないものかね」
悪友はそういうが、誠司そう簡単に楽観論を持ち出す気にはなれなかった。
元々慎重すぎると言われる性格の誠司だが、こと彼女に関してはことさら慎重になっている。
何しろ、意中の相手であるからして。
どんな風に思われているかということに関しては、何にもまして気を付けるようにしているのだ。
「考えられるわけが無いだろう。ただでさえ僕は魅力に乏しいわけでだな。見た目がいいわけでもないし、スポーツの類も苦手だ」
「その割に体育の成績はいいではないか、君は。ほかの科目もずいぶん良いようだが」
「成績とスポーツは別だろう。高校の過程ならば、まだ努力で相応に補うことができる」
「私はその努力というのが苦手なので成績周りは壊滅的な訳だが。まあ、既に将来は約束されているのでどうでもいいんだがね。まあ、それはいいか。今は君のことだ」
「そうだ。僕が彼女に働いてしまったのは、セクハラやパワハラになるか否か。それが今の問題だろう」
「また大袈裟な。では、こういうのはどうだろう。私がそれとなく彼女に接触し、それとなく最近起きたことについて尋ねてみるのだよ。自分でこういうのもアレだが、私は意外と人望があってね。そういった話を聞きだすのは十八番なのだよ」
手前味噌的な発言ではあるが、事実この悪友は妙に顔が広く、人望も厚かった
昔からの悪友である誠司には信じられない話ではあるが、頼りになる人物と認識されているらしい。
件の彼女とも交友があり、一定の信頼を寄せられているといるのだから、世の中と言うのは不思議だ。
「いや、しかし。しかしそれは、なんというか、卑怯というか」
「なに。君が言うように心的ストレスを彼女が感じたとするならば、そのケアは必要だろう? 意外とため込むタイプの娘でもあるわけだし」
「そういう考え方もあるか」
「なに、礼はいらんよ。今度、私が恋人と遊びに行くとき、アリバイ作りに協力してくれたまえ」
「僕も一緒に出掛けたことにする、とかいうアレか。別に構わないが」
「よろしく頼むよ。何せ若い情熱というのは、たまに欲求を満たしてやらないとしばしば暴走することもあるからして、ね」
「どういう意味だ?」
意味が分からず尋ねる誠司の顔を見て、悪友は呆れたように肩をすくめる。
しばしば使われるこういった言い回しの意味を測りかねるたび、悪友は似たような反応を示す。
それを見るに、恐らく色恋の機微に関する事柄であろうことは分かるのだが、誠司にとってそれらは全く未知の領域であった。
「まあ、いいさ。誰もいない夕暮れの部室で、君になでなでをされてどう思ったか。彼女に確認してくることにしよう」
「待て。なんだその不穏な言い回しは。特になでなでというのは一体」
「なでなではよいものだろう? 特に君が好んでいるという彼女の柔らかそうな髪を指でもてあそぶというのは、なかなかに蠱惑的で甘美な味わいだっただろうと思うんだが。実際どうだったんだね? 眼鏡フェチの君としてはあの潤みがちな瞳も相まって相当なダメージを受けただろうと想像しているんだが」
「何を言い出すかと思えば。僕は別に眼鏡フェチではない。あの眼鏡と髪型が彼女には実に似合うと言っていただけでだな」
「なるほど、彼女フェチか。別の意味で重症な気がするが。いや、喜ぶべきかな。君は本当に恋愛に興味が無かったからね。おかげで最近ではたっぷりと惚気話を聞かせてやることができる」
「いいから、行くなら早くいけ!」
「そういいなさるな。まったく、それにしても本当に君はアレだな。私じゃなかったらリア充爆発しろと蹴りの一つも入れる所だぞ。まあ、私でなかったら早々にくっつけようとするかもしれんが」
手を振りながら部屋を出ていく悪友を見送り、誠司は溜息を吐いた。
一体何が言いたいのか理解できないが、何かしらからかわれているらしいことだけは理解できる。
アレの人望が厚いというのだから、世の中というのは全く奇怪だ。
「あのいいようでは、彼女が少しでも、僕を憎からず思っているようじゃないか」
自分で声に出してみて、誠司はあまりの現実味のなさに苦笑を漏らす。
彼女は、実に魅力的な女性だ。
可愛らしく、おどおどとした見た目に反し、しっかりと芯の通ったところがある。
何事にも一生懸命で。
失敗しても、それを取り戻そうと努力を惜しまない。
自分の気持ちをごまかそうとする笑顔ではなく、時折こぼれる心からの笑顔は、見るたびに心臓が止まるかと思うほど衝撃を誠司に与えている。
恐らくこれが、恋愛感情なのだろう。
そう気が付いてからの日々は、大変だった。
気が付けば彼女のことを考えていて、目で追っている。
新しい何かを発見するごとに、彼女のことを知る度に、惹かれていく。
そして、惹かれれば惹かれる程に、自分の凡庸さ、魅力のなさに愕然とする。
理屈っぽく、行動より思考を尊ぶ性格は、いささか学生らしさに乏しい。
運動も苦手だ。
他人を観察する悪癖は、未だに抜けていない。
それまで誠司は全く知らなかったのだが、恋愛というのは実におかしな心理状況を作り出す。
今まで気にも留めなかった自分の欠点が浮かび上がり、否応なく自分自身を苛むのだ。
僕はこんなにも駄目な人間だっただろうか。
頭を抱えるが、どうしようもない。
せめて悪友が彼女の心を穏やかにしてくれることを、願うばかりである。
また同じ部活で顔を合わせるわけでもあるのだし。
と、そこまで考えて、誠司はその問題にようやく気が付いた。
果たして彼女は、またきちんと部活に来てくれるのだろうか。
唯一の接点であるそこがなくなれば、誠司は彼女と顔を合わせることすら出来なくなる。
自分は何ということをしてしまったのか。
いや、自分の欲望以前に、彼女が心を痛めていたら。
ぐるぐると回る思考に苛まれ、誠司は深い溜息を吐いた。
もし悪友がこの場に居れば。
「友人としては面白んだが、こんな面倒くさい男のどこがいいのかね」
等と言っていたかもしれない。
物事をしっかりと考えるというのは、誠司の長所でもあり、短所でもあった。
時に特徴というのは、魅力にも欠点にもなりえるらしい。
誠司が自分の短所を受け入れられるようになるには、もう少し時間がかかりそうであった。
なんかね、あれよ。
連載中のやつ書いてたんだけど、思いついて書いてみた訳ですよ。
書いた人の名前、アマラさんって言うんですけどね。
なんか普段はコメディ系書いてるわけなんですけど、たまにこういうのが書きたくなるわけ。
何かしらの反動なのかしら。