Chapter-8
「沙原くん。よもや君は、僕が犬殺しを本気で請け負うと思ったのではあるまいね」
久島さんが去った後、座り直した磯崎が言った。
「……ごめん。正直、ありえると思った」
冗談めかした磯崎の質問が、僕の否定を期待しているのはわかっていた。僕が謝ったので、磯崎は少し傷ついたようだった。
「でも、それにしたって……彼女は実際そう思ってたりもしたんだよね。犬にしてみたらひどい話だよ。死んだ方がましなんじゃないかなんて決めつけられて殺されるなんて、たまったもんじゃない」
「『いやな人たちに一生鎖に繋がれているぐらいなら、死んだ方が幸せじゃないか』……あれは彼女自身がそう思ったことがあるから出たことばだろう。でも、彼女は死ななかった。殺す気もなかった。僕はそう思う」
磯崎は、神妙な顔をして言った。
「まあ、迷ってたから……ずっと迷ってたから、はじめもあんな態度だったのかなあ」
僕は残っていたコーヒーを飲み干した。
磯崎は敢えて訊いたりはしなかったけれど、僕が理事長に事情を聞いたことは、たぶん察しているのだろう。
「今日、これから行くんだろう?」
僕は訊ねた。
「無論」
磯崎は答える。
「僕も行った方がいい?」
「無論」
「どうするの?」
「さっき言っただろう。まずは調査。だが今回の件については対応にあたって大きな問題がある。沙原くんの協力は不可欠だ」
「大きな問題ってなに?」
「犬は僕が苦手だ」
「……もう一回言ってくれる?」
「犬は僕が苦手だ」
「『僕は犬が苦手だ』ではなくて?」
「僕は犬が大好きだ。犬が僕を嫌うんだ。いや、訂正する。犬だけじゃない。猫も馬も鳥も……生き物全般」
真剣な顔をして言う磯崎を、僕はまじまじと見た。
「……なんだ?」
「まあ、あれかな。動物って、唐突な動きをする人とか、オーバーアクションの人とか嫌がるしね。話し声がうるさい人も」
「見くびってくれるな沙原くん。僕の嫌われっぷりは悲しいことにそんな生易しいものではない。あれはまだ僕がいたいけな幼児だった時、僕の番になった途端いきなりポニーが脱走した。知り合いの家のいつもは大人しいラブラドールが、僕を見たら突如吠えてパニック状態になった。どのような人間が動物に嫌われるか、これでもかなり研究したんだ。君がさっき言った唐突な動きとオーバーアクション、馴れ馴れしさ、うるささ、におい。考えうるあらゆる要素について改善して試したが、駄目だった。乗馬クラブのインストラクターも、ドッグトレーナーも、親の知り合いの愛猫家も、動物行動学者も、みな首を傾げたんだ。この身体が、動物が嫌う電磁波でも発しているとしか思えない。僕はどうやら呪われている」
天井を仰ぐようにして磯崎は言った。
大げさだなあ、と僕は笑った。
けれど実際、磯崎のこの時の説明は、大げさでも何でもなかったのだった。