Chapter-4
この次の日に起きた出来事については、僕は後で聞いた。以下は磯崎と久島さんに聞いた内容を、まとめたものである。彼らは直接言わなかったけれどそうに違いない、と思える部分は、僕が多少補った。
その日の帰りも、磯崎は久島さんを「尾行」していた。電車に乗り、降りて駅を出て、家への道を歩いている途中で久島さんが振り向くと、目が合った磯崎は笑顔で手を振ったという。久島さんはついに耐え切れず、数十メートル走って戻り磯崎の元に行き、直に文句を口にした。「どういうつもりなの?」と。
「尾行のつもりだが」
にこにこと、磯崎は返した。
「こんなバレバレの尾行……だいたい、なんのつもり……なんで……」
「なぜならば、久島さんに依頼をされたので」
「依頼はキャンセルしたんだってば」
「申し訳ないが、依頼のキャンセルは認められない」
「そんな」
「ちゃんと話を聞かせてもらえれば、認めるかもしれない。だがあんな中途半端な状態では、僕の方も諦められない」
「……暇なの?」
「まあそうだ」
「……自覚ないのかもしれないけど、磯崎くん、結構女子に人気あるみたいだよ。こんなことしてないで、別の子追っかけたら」
「僕が必要としているのはあくまでも依頼人だ」
「誰かにてきとうに依頼してもらえばいいじゃない」
「君の依頼が先だ」
真顔でそう告げた磯崎について、「顔のいい人ってなんか変な圧があっていやだ」と久島さんは語っていた。ともかく磯崎に見つめられて動揺した久島さんは、走ってその場から逃げ出した。そうしてそこに、「彼」は現れた。
「なつきちゃん!」
にこにこして……けれどその目は久島さんいわく、どことなくとろんとして、濁っている。磯崎が言うには、一見愛想がよくて「普通」っぽい、取り立てて妙なところもない男。磯崎も僕も、もちろん久島さんの手前彼のことは一切知らないふりをした。久島さんの母親の、過去の再婚相手の息子。久島さんが小学四年生の時に久島さんの兄となり、久島さんが中学二年生の時に母親が離婚するまで同じ家で暮らしていた。親の再婚時、お兄さんは高校三年生だった。父親の再婚、新たに増えた家族との関係、そういったことも、御本人にとってはいろいろと大変なことだったのかもしれない。受験に失敗して、彼は浪人生となった。予備校には通っていたらしい。受験のプレッシャーとか、大学生となり一年先へと進んでいるかつての同級生たちへの気後れとか、いろんなストレスがあったのかもしれない。ともかくだからといって、彼のしたことは決して許されないことだけれど。
女子もいろいろだからね。女子としての警戒心が強いタイプもいれば、まったく無頓着でそういう意識が薄い子もいる。理事長は、僕にそんな風に話した。入学時の面談で、本人がカウンセラーに打ち明けたという。自分はぼうっとしているタイプで、そんなことは考えもしなかった、と。はじめのうちは、なんだかよくわからない、という感じだったのだ、と。軽い冗談のようなノリで、普通の、家族としてのスキンシップの範囲なのかと思った、と。ただ、それがだんだんとエスカレートして、途中からどうも変なのではないか、と思い始めた、と。けれども新しい家族であり兄として受け容れなければいけない相手なので、なかなか抵抗ができなかったのだ、と。兄妹の秘密だよ、自分たちが仲良くやっていくために必要なことだよと言われたり、このことを知ったら母さんはおまえを憎むかもしれないよと言われたり、他の人に話したら恥ずかしいのはおまえだよと言われたり、このことを知ったら皆がおまえにいやな目を向けるだろうと言われたり……あれこれと吹き込まれて、悩んで、けれどもついに母親に打ち明けたのが中学二年生の時。それだけが原因ではなく、ちょうど母親と夫の関係もうまくいかなくなっていたタイミングだった。それから程なく二人は離婚し、久島さんとお兄さんは赤の他人となった。……筈だった。
「ちょっと気になったんだ。杞憂ならそれに越したことはないんだけどね。調べたところ、今年の春大学を卒業した彼は就職に失敗して、今のところアルバイトもせずにぷらぷらしている。香々見学園は彼と父親が暮らす家から徒歩圏内だ。何故久島さんが、おそらくは忘れたい記憶のあるその家の近くのうちの学校に通う気になったのかは謎だけれど……。ともかくそれとなく久島さんをガードしてほしくて、磯崎くんに依頼することにしたんだ」
理事長はそう語っていた。
理事長の想像とは違って、お兄さんが現れたのは彼の家の近くではなく久島さんの家の近くだったけれど。
ともかく、ちょうど磯崎の目の前で、久島さんとお兄さんの再会はなされたのだった。