Chapter-3
僕は理事長にメールをした。
思いのほか返信は早かった。放課後僕たちは、待ち合わせて会うことになった。理事長――根津さんは、さらさらの髪を以前より少し伸ばし、制服のブレザーのスカートを翻して小柄な体で走り寄ってきた。まるで少女漫画のヒロインみたいな健気な表情を浮かべて、息をついて頬を紅潮させながら「待った?」と僕の顔を見上げて問いかけてくる。僕たちの背景には、暮れ始めた空と、金色に輝く海があった。繰り返し打ち寄せる波の音が、彼女の声に重なっていた。
「……待ったも何も」
たたんたたん、とすぐ目の前の線路から、電車の音が響いてくる。のどかに去って行く電車を眺めながら、僕は握りしめていたスマートフォンを示す。
「僕はあなたの指定通りに来たんですけど」
僕が昼休みに「ちょっと訊きたいことがあるんですが、お話できないですか?」とメールをすると、彼女から即座に返ってきたメールの内容はこうだった。
本日1620発 JR夕霧駅行きの電車に乗り終点で降りて砂浜で待て
なんで学校の最寄り駅から三十分以上電車に揺られた先の海岸で待ち合わせなのか謎だったけれど、理事長は忙しい身だろうし、まあお願いしているのはこちらだし、と思って僕は素直に指示に従った。けれどいくら待っても彼女は来ず、それ以降のメールには何の返信もなく、電話にも彼女は出なかった。一時間近く、僕はこの人気のない海岸で、一人ひたすら海を眺めていたのだった。
「遅れるなら遅れると連絡をくれたら……」
「おっと。人に責任転嫁する気?私は何も、君がここを離れたら君を殺すと脅していたわけじゃないよ。君がここで私を待っていたのは君の自由意思。私を責める権利は君にはない」
かわいらしい声でひどく憎たらしいことをすらすらと語ると、根津さんはそのままぺたんと砂浜に座り込んだ。制服が汚れるのを気にするつもりはないらしい。迷ったけれど、僕も結局彼女に合わせてその隣に腰を下ろす。
「この場所にした理由は、何かあるんですか」
「海が見たかったから」
「……そんな抒情的な理由ですか」
「忙しいんだよ色々」
寄せては返す波を眺める彼女の横顔は、凛として、けれど少し寂しげだった。
その感じは、出会った頃から変わらない。
「高等部でも生徒として在籍するとは思いませんでした。しかも女子クラスに」
「だってこんな美少女が、いつまでも男子クラスにいるわけにいかないよ」
「というか、わざわざ生徒でいる必要は」
「なんだよ君、私の青春に文句ある?」
「青春したい人が、クラスメイトのこと嗅ぎまわるとか……」
僕が半分かまをかけて悪意のある言い方をすると、根津さんはすごく愉しそうな笑顔を見せて言った。「久島なつきの件だよね?」
「磯崎があなたの名前を出した時点で気づくべきだった。磯崎は久島さんが依頼に来たから彼女を調査していたんじゃない。あなたに依頼されたから、調査してたんだ。その依頼が彼女の依頼の前か後かはわからないけど……」
「それで君はそのことを磯崎くんに教えてもらえなかったから拗ねてるんだ?」
「別に拗ねてませんよ」
見透かしたような顔で笑う根津さんは、かわいくない。
「生徒の個人情報に関わるから、沙原くんにも言っちゃダメ―!って私が口止めしたんだ。磯崎くん、捨て犬みたいな顔して、かわいいのなんの」
「それ、単に面白いから口止めしてませんか」
「当然。私は沙原くんのことだって、充分信頼してるもの」
にこっと笑う根津さん……に、騙されるべきではない、けれど。
「では僕にも、その依頼内容を教えてもらえるんですよね?」
「もちろん」
その言葉どおり、根津さんは全部教えてくれた。確かにそこには、僕が知ってしまっていいものなのか、戸惑うような内容も含まれていた。
「でも、じゃああなたが磯崎に依頼をした後で、偶然久島さんが磯崎に依頼をしに来たってことですか?」
「まあ、半分偶然、半分は誘導の結果かな。磯崎くんがそれなりに信用に足る人物である、と認識してもらいたかったから、彼女の耳に入るように何度か『探偵磯崎めぐる』の話題をクラスメイトに振ったんだ。依頼にまで行くのは予想外だったけど。おかげで磯崎くんも動きやすくなったし、やっぱりさすが私、って感じ。彼女、磯崎くんに追い回されていても、そこまで恐怖を感じている様子はなかったよね?」
「僕のところに苦情を言いには来ましたけど」
とはいえ久島さんが磯崎につけ回されていることについてあの程度のノリで僕に訴えることができたのは、逆に考えると磯崎のことは怖がっていない、ということになるのかもしれない。久島さんの事情を聞いた今は、そんな風に思える。
と、
「沙原くんに苦情を言いに来たんだ。へえ。……沙原くんってさ、女子に警戒心を抱かせない、独特のものを持っているよね」
僕の顔を覗き込むようにして、ふいに根津さんが言った。
「君はたぶん、相当安心できる相手と思われてるよ」
「それって、僕は男扱いされてないってことですか」
僕が言うと、
「あはは。そうかもしれない。あはは。あははは」
根津さんは大口を開け、笑い過ぎだろうというほど、いつまでも笑い続けた。