Chapter-2
「あなたの友だち、どうかしてるんじゃない?」
数学の授業で、僕は同じ教室に久島さんがいることに気づいていた。授業が終わり、ぼんやりと一人で筆箱にペンをしまったりしていると、ふいに近づいてきた彼女が言った。
「磯崎のこと?磯崎はたしかにどうかしてるよ」
「なによそれ」
「なによそれと言われても」
ムッとした顔で、彼女は僕をにらみつけた。
同じ授業をとっていた僕の友人たちが、遠巻きに僕と彼女を見ている。
僕は立ちあがり、彼らに先に教室に戻ってくれるよう伝えた。「磯崎の話みたいで」と言うと、にやにやしていた彼らの表情がほんのり同情モードに変わった。たぶん誤解されているけれど、依頼に関することは個人情報だし、誤解させておいた方がいい。
四時間目だったので次はお昼休みで時間があった。数学の先生に追い出され、僕たちは廊下に出た。
「磯崎くんは、根に持つタイプなの?」
人気のない廊下で、久島さんは切り出した。
「どうかな」
「一度依頼に行ったら、ストーカーになるの?」
「……どういうこと?」
久島さんは不機嫌そうに目をそらし、教科書を持つ手を落ち着かなげに振ったりしながら、
「私は嘘ついてない」
と言った。
「うん」
「自分のことはわかってるし、うぬぼれてたりもしていない。そういう興味を持たれたとか思ってるわけじゃないから。そこは勘違いしないで」
「うん」
「磯崎くん、毎日私についてくる」
「え?」
「私、あれから毎日あの人につけまわされてるの。本人は、距離をとって尾行しているつもりかもしれないけど。あんな目立つ人だし、いやでも気づく」
久島さんは唇を震わせながら、絞り出すように言った。
磯崎の、下手な尾行……。
僕に向かって「地味だから尾行に向いてる」とか失礼なことを言う磯崎だけれど、磯崎は探偵を志してるだけあって、決して尾行が下手ではない。顔を知られている相手の尾行だって、いつもうまくやり遂げる。僕自身も磯崎に尾行されて気づかなかったことが何度もある。尾行する時、磯崎は微妙に膝や腰を落とし、その長身をそれほど長身と思わせない、それでいて不自然ではない姿勢をとる。そして鼻筋の通ったその整った顔を微妙に歪めたりすぼめたりして、いつもの磯崎とは何だか違う顔つきをしていたりする。僕たちは顔や背格好以外でも、その動き、歩き方なんかでその人をその人と認識しているものだけれど、異常に器用で異常に身体の柔軟性が高い磯崎は、そういうクセみたいなものまでも、別人のように変えることができる。正直目の前に立っていても、しらばっくれられるとこちらが自信を失うレベルだ。そんな風にした上で、絶妙に距離をとり、洞察力と観察力、経験と方向感覚を駆使して決して見失うことなく、相手の後を追う。その磯崎がこんな風に言われると言うことは。
つまり磯崎は、敢えて彼女にばれるように尾行をしているということだ。
「あのさ、そもそもなんだけど、どうして依頼を申し込んだの?」
僕は訊ねた。
「それは……」
磯崎は彼女は友達がいない、と言っていた。けれどもそれは校内の話のようだった。この前のこともあるし、他校生にも磯崎に興味を持っている子たちはいる。話のネタ、という線は、やはり消せないのではないかと思う。
「学校で探偵を名乗るなんておかしな奴だからさ。どんなだろ、って好奇心で?」
僕は責めているととられないよう、冗談めかして付け加える。「僕も知らない奴がそんなことしてたら、ネタで依頼してみるかもしれないけど」
「ネタってそんな……」
ところが彼女は、そんな僕のことばに逆に腹を立てたように言う。
「遊び半分で、わざわざ依頼を申し込んだりしないから」
どうして僕が責められないといけないのか、釈然としないけれど。
「じゃあ、どうして?」
あくまでも穏やかな調子で、僕は訊いた。
けれども彼女が示した反応は、シンプルな拒絶だった。
「言いたくない」
目も合わせずにそれだけ言うと、彼女はそのまま走り去ってしまった。