Chapter-11
磯崎はもちろん高槻先生の家を知っていた。ちょうどタロウが駆けて行った方向に高槻先生のマンションはあったので、磯崎が一番に連絡をしたのは高槻先生だったらしい。高槻先生は中等部の教師なのでもうあまり関わってはいけないような気持で僕はいたのだけれど、磯崎はそんなこと思いもしなかったようだ。
「高槻先生が、タロウを見つけたみたい」
僕がそう告げると、磯崎の顔は一瞬前が嘘のようにぶわっと明るくなった。
「先生が住んでるマンション、そこの前にいるって。でも、悲鳴がして電話が切れて」
「それは急いで向かわねばなるまい」
「……ハハハ。その人タロウに噛み殺されてたりして。ハハハ」
傍に立っていたお兄さんが、僕たちの会話を聞いてそう言った。磯崎がまた手を出すのではないかと思って、僕はひやっとした。
ところが磯崎は、思いのほかやわらかな笑みを浮かべると、
「それは大丈夫ですよ。あの先生はね、運に恵まれた素晴らしい人なんですから」
そう言って、「ハイ、お兄さんはもうお帰りくださいね、ハイハイ」とおどけた仕草で彼を促した。お兄さんは磯崎の豹変にあっけにとられつつ、家の方へと歩いて行く。
僕は高槻先生の運について思わず考えた。先生は、ちょいちょいひどい目に遭っているイメージが強く、僕が知る範囲で考えるととても運がいいようには思われない。だいたい、「運に恵まれた素晴らしい人」というのは……それは果たして褒め言葉なのだろうか。
「磯崎のさっきの電話は?」
「ああ、宮山先輩だ」
「へ?」
宮山先輩とは。
ついこの間、ボールペンを探してほしいと嘘の依頼をした挙句、磯崎に自分の罪をなすりつけてきた先輩だ。
「み、宮山先輩が磯崎に?何の用で?」
「白鳥くんと連絡をとりたかったんだが、電話をかけてもつながらないので、宮山先輩に電話をしてみたんだ。宮山先輩もつながらなかったんだが、さっき折り返しかけてくれた」
「ちょっと待って。あんなことがあったのに宮山先輩に連絡をとるとか」
僕は混乱した。宮山先輩は、新入部員の白鳥くんにちょっとした負い目を感じるのがいやで磯崎に罪をなすりつけようとした。白鳥くんは白鳥くんで、磯崎にとある負い目があった。磯崎はその場を丸く収めるために宮山先輩の罪を自分からかぶり白鳥くんに謝罪してみせた。僕から見れば不愉快きわまりなかったこの出来事から、まだ一ヶ月と経っていない。それなのに、磯崎と宮山先輩、磯崎と白鳥くんが連絡をとりあう関係になっているというのは、一体どういうことなのか。
「白鳥くんはめでたく詩歌研究部に入ったし、三年生を除くと二人きりの部員なのだから、宮山先輩が白鳥くんの予定を把握している可能性は高い」
「そうだとしても。……そもそもなんで白鳥くんに連絡をとりたかったの?」
「白鳥くんは人気の放送部員だ。彼にタロウの飼い主募集をお昼の放送でアナウンスしてもらおうと思っていた。とりあえず話をしたいので予定を訊こうと思って、ここに来る前に電話をしていた」
僕は正直、開いた口がふさがらなかった。
磯崎はまったく気にしていないと本人にも言っていたけれど……白鳥くんは、磯崎のことを「胡散臭い」と言っていた人である。そのうえで磯崎は、白鳥くんの大事なノートを汚したことになっている。その状態で、なぜそんな「お願い」をしようという気になれるのか。いくらなんでもこだわりがなさすぎる。無神経なのか、それとも達観しているのか。
「……で、ええと。宮山先輩は何て言ってたの?」
「白鳥くんは今日は詩歌研究部には来ない予定になっていて、放送部の方のコンクール準備の話しあいがあると言っていたと。かなり重要な話しあいなのでその間は電話は出られないと思うが、緊急の用事であれば自分が放送室まで行って伝えてもいい、と」
僕は宮山先輩の、太った身体とちょっとずる賢そうな小さな目を思い浮かべた。一体どうしたというのだろう。めちゃめちゃ親切じゃないか宮山先輩。
「犬は嫌いではないと言っていたので、先輩にも来てもらえるように頼んだ。白鳥くんの部活が終わってからでいいので一緒に来てもらえないかと伝えてある」
「ここに?」
「ここの地図を送ったが、変更だな」
磯崎は、手早くスマホを操作した。
それから僕たちは、高槻先生のマンションに向かった。




