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Chapter-1

「犬を誘拐してほしいの」

 そっぽを向きながら彼女は言った。

女子の依頼人というのは珍しかった。僕たちの通う学校は高等部からは共学になっているけれど、ホームクラスは一学年六クラス、その中で女子クラスは一つしかない。

 とはいえ僕には、ちょっと思い当たることがあった。授業自体はホームクラスと関係ない単位制だから、そこでは普通に女子を見かける。僕と磯崎はかぶっている授業が少なく、その場にも磯崎はいなかった。あれはたしか日本史の授業が終わった後だ、五人ほどのちょっと派手な女子集団から、磯崎の名前が聞こえてきたのだ。磯崎は変人だけれど、背が高く彫りの深い顔立ちなので知らない女子から興味を持たれやすい。彼女たちは磯崎が校内で探偵を名乗っていること、学校内ネットに探偵としてのHPを持っていることを話題にしていた。

 彼女たちのうちの一人が、ネタにもなるし、ひやかし半分で依頼を申し込んできたのだろう。

 いや、でも。 

「一年六組久島なつきさん、依頼は犬の誘拐」

 笑顔で依頼内容を復唱する磯崎の横で、僕は彼女を観察した。女子についてこんなことを言うと姉に蹴りを入れられる気がするので決して口に出したりはしないけれど、なんというか、目の前の彼女は身だしなみにかなり隙のある子だった。整えていない眉毛はぼさぼさと濃く、肩までの髪は外向きに盛大にはね上がっている。ブレザ-の着こなしが何となくもっさりとした印象で、赤い棒タイは今にもほどけそうだ。顔の造り自体はやや団子鼻なことを除けばむしろそこそこ整っているけれど、どうも垢ぬけないというか、磯崎のことを話題にしていた女子集団とはちょっと雰囲気が違う。彼女たち一人一人の顔は、正直まったく覚えてはいないのだけれど。

「どんな犬ですか?」

 けれどもどちらにせよ、彼女がひやかしで依頼に来たのは間違いないだろう。罰ゲームとか、じゃんけんで負けたとか、そういうのかもしれない。だって自分から依頼を申し込んできたくせに、彼女の態度はあんまりだった。磯崎の質問に対して、

「普通の犬よ」

 そっけなく答える。依頼する気があるのだろうか。

「その犬の飼われている住所はわかってますか?」

「だいたいね」

「教えていただけますか?」

 磯崎の問いに、彼女は首を傾げると、「あのさ」と切り出した。

「あのさ。私、規定よく読んでなかった」

 彼女は磯崎の手元にある、依頼内容を印刷した紙に目をやりながらぶっきらぼうに言う。

「依頼項目のとこ。『悪事以外』って書いてある」

「ええ」

「だからこの依頼は、受けられないよね」

 初めからそう言って帰るつもりだったのだろうか。立ち上がりかける彼女に、けれども磯崎は言った。

「依頼は無論お受けしますよ」

 僕は目を剥いた。しかし磯崎は平然と続ける。

「ただ、今のままでは情報が足りない。犬を特定するための情報、犬が普段いる場所の情報は最低限必要です」

「ちょっと待って。飼い犬の誘拐は犯罪だよ?」

 思わず僕は言った。少し前に漫画で得た知識だけれど、たしか窃盗罪になるはずだ。

 依頼人は突然僕が口を挟んだことに驚いたのか、びくりと肩を震わせた。

「そのとおり」

 磯崎はけろりと答える。

「だったら……」

 僕のことばを磯崎は妙に愉しげな顔のまま片手を上げて制すと、依頼人に向き直って言った。

「ご安心ください。依頼はお受けしますから」

 そう言われて、依頼人の方がうろたえているのがわかった。彼女――久島さんは口をへの字に曲げるようにしながら、「その人の言う通りじゃない。なんで」とぼそぼそと言った。

 磯崎は笑顔のまま答える。

「『悪事』はしない。でも何が悪事で何が悪事でないかは定義が難しい問題だ」

「犯罪は悪事じゃ……」

「ともかくあなたは犬の誘拐をしてほしいと思っている。そこにはまちがいなく、何らかの願いがある」

「な、」

「願いを叶えるのが探偵の仕事です」

 そうだろうか、と僕は内心思う。

 ともかく、まっすぐな目を磯崎に向けられて、彼女は完全に動揺していた。磯崎の反応は、完全に予想外だったにちがいない。彼女は口をぱくぱくさせ、しかし何も言わないまま突然立ち上がると、勢いよく扉を開け、そのまま面談室を飛び出して走り去ってしまった。

「……僕は何か間違えたのだろうか」

 残された磯崎は、呆然として言った。

「間違えたんだろうね」

 僕は言ってやった。

 磯崎は、ひどく情けない顔をした。


「……だから僕は、彼女は単なるひやかしで来ただけで、真面目に依頼する気なんて初めからなかったんだと思うよ」

 翌日。面談はないものの予約した面談室9で「調査」を始めている磯崎に、僕は言った。同じことを、彼女が去った直後にも言っていた。けれども磯崎は、耳を貸そうとはしなかった。

「何もないなら、わざわざ依頼を申し込んで面談にまで来たりしないはずだ」

「だってあの態度見ただろう?依頼はてきとうに考えただけだよ」

「じゃあなんで依頼に来た」

「だから……君がちょっと女子で話題だったから、話のネタになるかと思ったんだよきっと」

「久島なつきは友だちがいない。常に一人でいる。学校内では同性・異性を問わず、会話を交わすことはほとんどない」

「それは誰情報?」

「僕の情報だ」

「もしかして、学年全員もう把握したの?」

「当然だ」

「……ともかく。それなら、逆にそうやって話のネタを用意して、友だちを作ろうと思ったのかもしれないよ」

「しかし彼女がそうやって誰かに近づこうとした形跡はない」

「それは誰情報?」

「……僕の情報だ」

「情報源に女子がいるんだね。そうでなかったら女子の情報、そんな風にリアルタイムで得られないよね。いつのまにそんな繋がり作ったの」

「女子には変わりないが。情報源は理事長だ」

「理事長!?」

 僕は思わず大声を上げた。

 内緒の話だが、うちの学校の今の理事長は、実は僕たちと同い年の女の子である。そして僕たちと理事長は、中等部の頃からちょっと個人的な関わりがあったりする。

 とはいえ理事長に情報を頼むなんて……そこまで大ごとにするような案件だろうかこれは。

「久島さんは依頼をキャンセルしたはずだろう?その子のことをそんな風にマークするなんて、逆にいやがらせだよ」

「逆にいやがらせ。たまにはいいんじゃないか?」

 磯崎はとぼけたように言う。

「暇なんだね」

 僕は言った。

「暇な探偵のところにのこのこ依頼に来たのが運の尽きだ」

 磯崎は、悪人のような顔をしてにやりと笑ってみせた。

 そして数日後。

 僕のところに苦情が来た。



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