⑥籠城戦
仕掛けたのはこっちが先。蹴りを繰り出す。が、避けられた。くっそ。
ただでさえこっちは本調子じゃ無いってのに、しかも5年ぶりに酒を飲んだのが拙った。
女は避けた先にあった俺のスポーツバックを手に応戦し始める。
俺のバックは表面がビニール質の、持ち手が細長い、型崩れしないハードタイプのやつだった。しかも中には何だかんだで5年分の荷物がそこそこの量詰まってる。
そのバックを女は自分の体を軸に遠心力を使って振り回す、振り回す。それに俺も蹴りで応戦するが、痛っ!この野郎っ!もう許さねえっ!!
腕で顔や体をガードしながら無理矢理女の間合いに入り、バックを引っ掴んだ。
俺は女から武器を取り上げようと力任せにバックを引っ張る…が、女も必死なのだろう、『これが女の力か!?』という程の馬鹿力で、俺の予想以上の抵抗を見せる。
(この女!やっぱ、ぜってえっ、可愛くねえッ!!)
蹴りを出しても掠るだけでヒットにはならず、女の顔は真っ赤、汗を掻き、乱れ髪を貼り付かせ、焦燥も露わ、最早ナンパした時の面影など欠片も見られない。
「くそっ!いい加減、諦めろ、よっ!」
だが、今度こそ、と何度か反動を付け力任せにバックを引っ張った…その瞬間に狙い定めたかのように女はバックを手放した。
「うおっ」
背中が大きくのけ反り、体が宙を泳ぐ。しかも、ツイてない事に踏鞴を踏んだ俺の後ろにはテーブルがあって、更に体勢を崩した!
その一瞬の隙を突き、女はトイレへ猛ダッシュを決め込む。
「くそ女っ!!」
俺も直ぐに体勢を立て直し女の後を追い掛けるが、時すでに遅し。無情にも俺の前でトイレのドアは閉まり、ガチャリと鍵のかかる音がする。
バンッ!と、俺は悔し紛れに扉を殴る。蹴る!
「この糞女ぁっ!!出てこいや、ごらあっ!!」
殴る!蹴る!蹴る!蹴る!殴るっ!!
ガチャガチャガチャッ!!
激しくドアノブを回し、引く。が、回らないし、引けない。その無理な負荷に耐えかねて扉が、ドアノブが苦しい悲鳴を上げる。
このままではドアノブだけ捥げてしまいそうだ。
そうなった場合、どうなるんだっけ?開くのか?まあ、いいや。
「今すぐここ開けろっ!…おーい!おいっ!(ガンッ!)なァ、今、出てきたら許してやるかラァ?…チッ、おいこら、これ以上手間かけさんなよ!ブス!カスッ!こんなチャチぃ扉、いつでもぶっ壊せるんだぞっ!この野郎!聞いてんのか!ごラっ!!…返事しろやっ!!(ガンッ!)」
その後も罵詈雑言の嵐。
けど、そうして一人で叫んでいる内に徐々に頭に上っていた血も冷めてきて、あんまり大騒ぎし過ぎるとホテル側に通報される恐れがあるとか、備品の弁償とか色々、冷静に物事を考えられるようになってきた。
勿論何かを壊したところで悪いのはそうさせた女の方であって、俺に弁償する義務も義理も無いんだが、俺が見たところ女は大した蓄えを持ってそうにない。それどころか下手すりゃマイナスの可能性だって有り得る。
そんな女にラブホのトイレのドア一枚、弁済する能力があるか無いかと訊かれりゃ、そりゃあるんだろうけど。その時は時間も手間暇も掛かるし、何よりこの時期のリスクを俺は出来るだけ背負いたくなかった。
…まあ、どっちみちこんな所に立て籠もったところで勝敗なんざ目に見えている。特にスッパでトイレは寒さ的にきついだろう。
対するこっちは快適快温、リラックスできる充分なスペースがあって、布団やテレビ、頼めば食事だって出てくる。
唯一出来ないのは大便ぐらいなものだが、そっちの方も今のところ心配は無い。要は催す前に片を付ければ良いだけの話だ。
それに、何も押すだけが能じゃない。
俺は念のため扉から目は離さないまま、そろりとその場から離れる。と、取り敢えずガウンを羽織り、床に落ちていた俺のバックとソファの横にあった女のバックを回収、それに持久戦も視野に入れクッションもゲットした。
一瞬、冷蔵庫にビールを取りに行こうかとも思ったが、トイレが近くなりそうだったから止めた。
女のバックからは某有名ブランドの柄付き財布が覗いている。
俺はその中身を想像し、ニヤリと一人ほくそ笑みながら踵を返した。
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