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早川記者が、ターゲットを殺人事件に切り替える決心をし、純一朗に協力を要請したというのに、それ以降、何の進展もないまま時は流れた。シルバー人材センターから、仕事の話も全く無い。パソコンの指導をしたいと希望したことがまずかったのか。純一朗は、時々顔を出すハローワークに行って見た。六十歳以上の求人が久しぶりに出ている。マンションの管理人を一人募集しており、六十五歳までだ。時給六百九十円。ブラブラしているよりはましか。週四日の勤務というのが気に入った。その程度の感覚で、早速応募することにした。
その後、指定日に面接を受けたが、未だに返事はない。ダメだったのだろう。なにせ、二十三人の応募があったと面接官が言っていた。ダメで良かったのかもしれないと純一朗は思った。純一朗は、神様が、お前には、もっと適した仕事があると言って下さっているのだろうという、容子流の考え方をすることで納得した。それに、面接のときに仕事の内容を説明してくれたが、慣れるまでは、十二階建ての建物の清掃で、手一杯になるだろうという事だった。であれば、清掃員募集とすれば良いのに、と思ったほどだ。六百九十円とは、随分だ。でも、シルバー人材センターの仕事は、六百七十四円という事だったので、それよりは若干高い。ま、これが、現実だ。純一朗は、時折悩む割に本質的には楽天家であった。
早川記者への協力を約束した純一朗ではあるが、何をどうすべきか分らないもどかしさを感じていた。殺人事件の取材をするといっても、現状は何の糸口も見当たらない状態である。糸口が見付かるまで待つより仕方がない。脱税事件も殺人事件も未解決のままであるのに、その取材は、中途半端な形で終わらざるを得なくなっている。一応の区切りを付けざるを得なかった訳であるが、区切りを付けたことで却ってもやもやした気持ちが膨らんだようで落ち着かない。しかし、これからのことをよく考えてみると、ホッとした面も無いではなかった。
一応の区切りをつけたことで幸いなことに、容子との約束を果すため、準備してきた神戸行きの計画を実行出来そうになった。成り行きによっては、旅行の約束を反古にしてしまう事に成りかねないと、内心ハラハラしていたのだが、お陰で容子との約束をどうやら果せそうだ。今回は容子のためというより、むしろ自分の気分転換に、もってこいの旅行になるに違いないと思っていた。
神戸ルミナリエは今や、十二月神戸の街を彩る一大イベントにまで成長した。昨年は、十二日から二十五日までの二週間開催された。今年で七回目となる。ルミナリエとは、元々電飾という意味らしい。神戸では、神戸淡路大震災で犠牲になった人達の鎮魂のために、震災のあった年に始められた。
わざわざ一流のデザイナーをイタリアから呼んで、色とりどりの小さな電球を使用してデザインされた、ゲートや、壁が作り上げられる。この電飾で作られたゲートを潜り抜け、王冠を形作った壁に到達する。それはそれは、見事に、艶やかに、美しく彩られ、見る者の目を楽しませてくれる。特に、闇の中で、カウントダウンが始まり、一斉に電飾に明かりがともる瞬間は、思わずありがとうと叫びたくなる程に感動する。
この震災に遭遇し、危うく一命を取り留めた容子の姉は、この瞬間、今尚命をいただいていることに、そして幸せに過ごせていることに感謝し、亡くなってしまった人たちの無念さを思い、亡くなってしまった人たちに、頑張るからネと心で誓い、そして胸を詰らせる。昨年は、五百万人を突破したと聞く。姉と共に見に行った容子は、その内の一人であった。
純一朗は、話だけで一度も見たことが無く一度は見たいと思っていた。十一月の中頃にヒョンナことから出たのがこの話であった。直ぐに予定を立てて旅行の準備にかかり、ああしようこうしようと大騒ぎ。それはそれで結構楽しんだ。二人は、神戸に戻る度、姉の所で世話になる。毎回なので気も引ける。今回は気分を変えて何処かいい所がないかと探して来た。
神戸の西に位置する舞子にしゃれたビーチホテルがお奨めと、容子の姪からの情報を受けて早速手配した。二十一日の予約が取れた。ルミナリエ開催中の二週間で、一番人出の少ない日を選びたかった。しかし、そう上手くは行かないものだ。このイベントがいつまで続けられるか、先の見通しの立たない今のご時世だ。見られる内に見ておこう。容子も出来れば毎年見に行きたいと言っている。年に一度、この程度の夢は果してやりたいものだ。二十一日の土曜日は久しぶりに神戸へ行ける。ルミナリエは、毎年、趣向を凝らして少しずつ彩りに変化をつけている。犠牲者の鎮魂のためだから、可能であるならどんなに豪華になっても構わない。出来たら息切れしない事を祈りたい。
純一朗たちが楽しみにしていた神戸への旅行も、充実感と思い出をお土産にあっという間に終わってしまった。今年の神戸ルミナリエは白を基準にしてデザインされており、すっきりとした演出であったように思う。全国各地でも同様な催しが増えて来ているが、殆どがこれまでの神戸のように彩りが艶やかである。神戸は一歩先を行っているのか、白色中心で清純さを強調していた。
舞子のビーチホテルは明石大橋を伴う海の景色が素晴らしく、奨められて泊まった値打ちがあった。しかし、折角のホテルは一泊のみで、結局また姉のところで世話になる。楽しい時間は何故かあっという間に過ぎ去ってしまう。苦しい時間はいつまでも続いているように感ずるのに。同じ時間なのにどういう訳か。慌しく、昨日の最終の新幹線、レールスターで帰ってきた。容子は朝から姉の所や、友達と結構長時間話し込んでいるが、随分楽しそうだ。そんな様子を見て純一朗の心が和む。
クリスマスイブ、純一朗と容子は、パソコンに映し出された、デジカメで撮った神戸ルミナリエの写真を何度も何度も見返した。お陰で今回の里帰りは、楽しく充実したものになったと、感動をあらたに二人は喜んだ。純一朗は、今回の旅の思いでに、写真を編集してスライドショウを作成することにした。出来上がったら、どの程度の重さになるか分らぬがフロッピーかCDで皆に送るつもりで、早速制作に取り掛かった。
十二月二十五日、八戒こと早川記者から久しぶりに電話があった。声が明るい。
「オヤジさん、お元気ですか? 何か新しい情報でもありませんか? 」
「うん? その声は何か掴みましたね」
「ええまあ、オヤジさんはどうかなと思いましてね。」
「いやあ、事件がらみの情報はチョットね。旅行してましたしね。」
「へえぇ、どちらに? 」
「神戸ルミナリエを見に。」
「いいですね。羨ましいですよ。我々、クリスマスもくそも無いですもんね。まして、旅行なんて、とても無理。」
「その内、年取れば自然に出来るようになりますよ。ま、それまで頑張って仕事を優先させて下さい。」
「いや、実はですね。内山の供述の中に、沢田さんが殺されたと思う、という部分がありましたよね。その根拠というヤツが分りましたよ。」
「あ、そうですか。で、それはどんな?」
「内山が供述したところに拠るとですね、沢田さんが、五月と、六月に大阪のエコノミープロデュースを訪問しているんです。」
「二回ですか。」
「ええそうです。二度とも夜、北の新地で、沢田、岩田、内山、太田の四人で大騒ぎをしたらしいのですが、一度目は突然の訪問で、岩田社長もビックリしていたようで、名刺交換した後、かなり長時間話し込んでいたようです。」
「名刺交換? 」
「ええ、で六月の二度目は、前もって連絡をした上で訪問して来たらしいんですが、その時、何かもめていたようなんです。その後七月に入って、社長から例の発言を聞いて直ぐに問題人物は沢田だと直感したという訳です。さらに、沢田が死んだと聞いて、内山はてっきり殺されたと思い込んだらしいんです。」
「ふーん、そうですか・・・。しかし、チョット待ってください。今たしか、一度目のとき、名刺交換をしたと言われましたね。それっておかしいんじゃないですか。だって、この件、もし二人の共謀であったとすれば、その時期に名刺交換はないですよね。」
「そうなんですよ。警察のダンマリも、その辺に原因があるようですね。二人の共謀によるものと見て、捜査を打ち切ろうとしていたんでしょうけど、そうは行かなくなった、と思いますよ。」
「内山の供述が、正しければ二人の共謀説は完全に崩れます。面白くなってきましたね。やっぱり、他に黒幕が存在するんじゃないですか? 」
「当初からの、オヤジさんの推理が正しかったのかも知れません。ま、以上報告して置きます。」
「すると、これからは? 」
「ねばり強く行くしかないでしょうね。」
純一朗は、自分の推理の妥当性を正式に認めて貰えたように思った。それにしても、この年末の急がしい時に、大変なことになったものだ。これからは、新たな証拠が出ない限り、推理を重ねて行くしかない。出来る限りの推理をして見よう。もやもや解消のためにも、この謎を何とか解き明かしたい。妙にワクワクした気持ちになった。年の明けるのが待ち遠しく思えた。
純一朗は毎年、年の瀬を迎えると一年を振り返る。今年も色々なことがあった。個人的に良かった事を上げると、ワールドカップで日本が初めて決勝リーグへ進んだこと、読売巨人軍が西部ライオンズに四連勝で十二年前の雪辱を晴らしたこと、そして、年末に容子と神戸ルミナリエを初めて見に行ったこと位か。記憶に残る良かったことが余り無かったようだ。
逆に、悪かった事は、まず、無職のまま新年がスタートしたこと。そして、七月の初めに、交通違反で切符を切られゴールドカードに傷を付けてしまったことを、思い出す。一方通行の道路を逆走したのだから当然と言えば当然だ。しかし、純一朗はこれに腹を立て、警官に噛み付いた。何故なら、物影に隠れた警官が違反をした車を待ち伏せしている。点数稼ぎのためなのか。本来の警察官の役目からすれば、入ろうとする車に、ここは一方通行の道だから、入ってはだめだと事前に教えるのが筋だろう。事故や事件を未然に防ぐことが最も大切な役目ではないか。本末転倒も、良いとこだ。一年の半分、何事も無く過ごしてきたのに台無しになってしまった。さらに九月早々には、沢田さんの死体を発見してしまった。未だに尾を引いている。たった一年の間に個人レベルでも、上げれば切りがない程に、色々なことが起きる。まして、テレビや新聞で毎日報道される日本国内の出来事は、とても言い尽くせない。今年は特に、楽しいことよりも悲しいことや醜いことや辛いことが多い一年だったように思う。それも年々激しさを増して来ているように思える。このままでは、日本は滅びてしまうのではないか。
幾ら純一朗が日本を憂いても、どうにもならないが、それでも一年を振り返り、多少なりとも世の中の役に立てるんだと思うことで、新たな勇気とエネルギーを持って新年を迎えたい。例年通り、年末の大掃除や買い物を手伝って、新たな年を迎える準備も整い、やっと一息つけた。紅白歌合戦も終了し、二人で、今年一年を振り返りながら、年越しそばで締めくくる。とうとう一年間、無職のままだった。
純一朗を気遣って、そのことを一言も言わない容子に、改めて感謝した。容子は別に気遣っているわけではなく、たとえ無職でも、年金も入るし、まあどうにかなると、その問題については、余り考えないようにしていた。それよりも、純一朗が元気で、何かに生甲斐を持ち続けてくれるのが一番と、そればかりを願っていた。お互いを思いやり、信頼し合った夫婦は、来年もどうぞ良い年でありますようにと祈りを込めて今年最後の床についた。




