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田島商事は、耕運機などの機械類と石油製品を販売し、一方で運送業を営む地元の大手企業である。当時、一船ごとに捜査が進められ、純一朗のところへも、熊本の捜査員がやって来た。業界の仕組みや、商習慣などを良く知らない捜査員に丁寧に教え、事件の核心がどこにあるかの推測をした。この事件、商品である軽油を引き取った田島商事に対して嫌疑は懸かったものの脱税をしたという確証は得られず、全面解決には到らなかった。しかし純一朗が提供した業界の仕組みや、商習慣などの情報は、捜査上大いに役立ったと、わざわざ礼状を貰ったほどだった。今回の事件にもまた、田島商事の名前が出ており、事件の発端も前回同様、熊本である。前の一件を知るものであれば、例え九年という歳月が流れたとてピンと来るのは当然であった。
純一朗は、当時、田島商事が脱税の張本人に違いないと考えていたが、結局脱税の嫌疑が懸かっただけで、無罪放免になったことに少なからず疑問を感じた。恐らく、背景に政治的な圧力があったのであろうと、野放しにされたことを残念に思った。純一朗は、熊本での元石油販売店、西島石油社長の容疑事実を始め、この事件のもっと詳しい内容を、純一朗の性格的なこともあってか、どうしても知りたくなった。
熊本県警が、香川県に協力を依頼して田島商事の事情聴取を始めたとする記事が、十五日の朝刊に出たということは、熊本での元石油販売店、西島石油社長の逮捕に関する新聞記事は、それよりも前、十月の初めに掲載されたと想像される。しかし、『毎朝新聞』を幾ら探しても見付からなかった。この種の詳しい記事は、恐らく地方新聞であろう。熊本の地方新聞、『熊本デイリー新聞』であれば、掲載されているに違いない。純一朗は知りたい一心で、福岡市総合図書館に向かった。
福岡市総合図書館は、福岡タワーの直ぐ側にある。レトロ調にデザインされた近代的な独立した建物で、周囲は憩いの場となっている。駐車場のスペースも充分に取ってあり、福岡県下最大級の規模を誇る図書館である。全国各地の新聞を集めたコーナーを、受付で教えて貰い、『熊本デイリー新聞』のファイルを探し出した。このコーナーでは、地方新聞も含め各社の新聞が各月毎にファイルされており、いくら古い記事でも係員に申し込めば出して貰える。純一朗は先ず十月のファイルから、西島石油社長、西島秀雄逮捕の記事を探した。記事は直ぐに見付かった。
同社長が逮捕された記事は十月四日の朝刊に掲載されていた。そしてそのファイルのお陰で、その後の取り調べの進捗状況を、日を追ってかなり詳しく、知ることが出来た。要所要所をメモに取り、他の新聞での関連記事掲載の有無も確認したところ『毎朝新聞』の地方版にのみ掲載が見られた。何年ぶりかで図書館に来た純一朗は、折角図書館に来たのだから、この際、確認して置いた方が良さそうな事はついでに調べて置くことにした。
図書館の閲覧室は、多人数掛けのテーブルや、三方を囲いで仕切ったテーブルが数多く並べて置いてあり、多くの人が利用しているが、チョット気になるのは、図書館で借りた本を読んでいるのではなく、明らかにここに勉強をしに来ている若者が随分いることだ。色々な事情があるのだろう。でも悪いことではない。
純一朗が、石油業界を離れて、既に相当の年月が経っている。石油取引の知識もかなり忘れてしまっている。軽油税についても然りで、現行の課税額が幾らになっているのか分らない。脱税事件に最も必要な知識と言える。そこで、現行の軽油税を確認して置くことにした。
純一朗の記憶では、軽油税は確か、軽油一リットル当たり二十四円三十銭であった。現在はどうなっているのだろう。まさかそのままではないはずだ。調べてみると、やはり、軽油一リットル当たり三十二円十銭になっている。随分アップしたものだ。昔のリッター当たり十五円に比べれば倍以上になっている。一般の消費者がガソリンスタンドで軽油を購入すれば、地域差はあるが一リットル七十二円前後であろうか。四十五パーセントが税金という訳だ。純一朗は続いて、軽油引取税納付義務者の資格についても確認することにした。
石油販売業そのものは、誰でも何時でも営むことが可能である。しかし、軽油を取引する場合、一般的には、軽油引取税納付義務者の資格がないと、課税済みの軽油であれば問題はないが、未課税の軽油を仕入れたり購入したりすることは許されない。元売資格を取得している者は、例外として、未課税軽油の販売と共に購入も許可されている。元売資格とは、石油メーカーが取得している精製元売あるいは販売元売、そして商社が取得している輸入元売の三元売を指す。
もう少し具体的な説明に拠ると、石油メーカーがガソリンスタンドを営む石油販売店に軽油を卸す場合、一般的には未課税のまま卸すため、石油販売店はこの軽油引取税納付義務者の資格を取得して置く必要がある。資格を取得すれば、石油販売店は未課税軽油を仕入れることが出来る訳だが、仕入れた未課税軽油の内、当月販売した軽油の販売数量を、ガソリンスタンド毎に整理し、翌月初に、そのスタンドが所在する各県に販売数量を申告し、軽油引取税を地方税として申告数量に基づいて納めることになっている。つまり、石油販売店は未課税の軽油を仕入れることは出来ても、納税せず未課税のまま販売することは許されない。消費者は常に課税済軽油を購入することになる。
地方税である軽油税は、各県の高速道路や一般道路などを整備するために使用されることを目的としており、ガソリンスタンドを所有する会社がそのスタンドの所在する各県ごとに、それぞれのスタンドでの販売実績を申告し、それに基づいて税金を納める、いわゆる申告課税となっている。ただし、船舶用の燃料及び農耕用機具の燃料として軽油が使用される場合は、道路で使用されるものではないため、納税の対象外である。
元売という立場の企業は、全国各地の石油販売店に未課税の軽油を卸すわけだから、納税義務はない。納税義務があるのは購入した石油販売店にある。もし、この地方税の納税義務を元売に負わせたとすると、全国各県に納めた数量を毎月チェックし、申告をしなくてはならなくなり、元売業務が滞ってしまう。ちなみにガソリンは国税であるため、卸す段階で課税される。軽油税を地方財源とするところに複雑さが生まれる。
図書館で軽油に関する知識を、一通りおさらいした純一朗は、改めて事件を振り返った。そして、新聞に『西島石油』ではなく、『元、西島石油』と報道されている点に注目した。つまり、この会社は既に存在していないことを意味している。
前回の事件でもそうであった。最初に逮捕された会社社長は、会社設立後、たった四、五ヶ月で会社を閉鎖している。背後で操る人物が脱税をした後、さっさと店をたたむよう指示をしたためであろう。会社を設立した社長は石油販売会社の社長と言っても、石油のことは元より、軽油税にいたってはチンプンカンプンのズブの素人で、にわか作りの社長のため最初から最後までキョトンとしているような人間だ。このにわか社長、悪いことをした意識は全く無いというより、何も分っていないため、逃げも隠れもしない。ただ、かなりの報酬が貰えると聞き、欲のため美味い話に乗ったに過ぎなかった。今回の西島石油の場合はどうだったのだろう。
西島石油は、平成十三年十一月に設立され、直ちに軽油引取税納付義務者の資格を取得し、十二月より石油販売業を開始しているが、ガソリンスタンドは近々オープンする旨の計画書を提出することで認可を受け、今年平成十四年の三月末、廃業届を出している。
「やっぱり同じ手口だ。」
純一朗には、九年前の事件の再現に思えた。家に帰った純一朗は、メモを読み返した。事件は、熊本県がこの脱税を告発したことを受け、県警が捜査に乗り出したため、明るみに出ることになった。
熊本県警は、今年の一月に西島石油が販売した軽油が、一万四千五百キロリットルであることを確認し、内わずか五百キロリットルだけが申告、納税されたことを突き止めている。単純に計算すると、一万四千キロリットル、が脱税の対象となり脱税総額は、四億四千九百四十万円にも上る。今回も前回同様、捜査を非常に困難な物にしている。西島石油の帳簿が一切残っていないから、というより最初から帳簿が無いからである。しかも、一ヶ月間だけの取引で、その後間もなく廃業処理をしている。西島社長に確認しても数字の全体像を全く掴んでいない。
熊本県警は、二つの商社が西島石油に未課税の軽油を販売したと断定し、販売量を西島石油ではなく商社サイドでチェックした。この二つの商社はともに、元売資格を有する輸入元売であるため、未課税軽油の販売が許される。軽油引取税納付義務者の資格を有する西島石油に未課税軽油を販売しても問題は無い。一社は、菱和商事㈱福岡支店で、九千五百キロリットル、もう一社は山東交易㈱大阪支社で、五千キロリットルの未課税軽油を西島石油に販売。山東交易は菱和商事からの依頼でこの仕事を引受けたと証言している。彼らの仕入先は、公表されていないが数社ある模様だ。仕入先は不明ながらも、その軽油の出荷場所は、大和石油の神戸油層所からの五百キロリットルを除き、すべて、日の出興産の精油所ないしは油層所から出荷されていることが確認され、それらの軽油は全て香川県丸亀の田島商事に持ち込まれている。
純一朗はじっと考えた。九年前の事件と同様に今回の事件にも必ず黒幕が存在するはずだ。前回も黒幕の薄い影に、かなり迫ったが結局決め手に欠き、当事者だけが罰を受けた。同一フィクサーと見て取れる。その意味では、田島商事は黒幕の一人に違いない。
この事件の難しさは、まず、告発をする側の県の立場だが、新規に誕生した会社が、いきなり脱税をしてもあまり被害を受けた実感が無いし、また分りにくい点が一つある。というのも、従来の税収入が極端に減ったということであれば、比較的分りやすいのだが、逆に増えている中での脱税だ。
今回のケースでも、熊本県にしてみれば、西島石油が設立されていなければ、五百キロリットル分の税収入は無かった訳であるが、設立されたことで、はっきりと五百キロリットル分の税収入が増えている。脱税によって、約四億五千万円の税金を捕りそこなった事実は大きいが、元々無いものと思えば、痛くも痒くもない。新規の会社が、五百リットルという、ガソリンスタンド七、八件分の扱い数量に相当する軽油をいっぺんに販売してくれたことで得た税収入に、県税は脱税されたとは露知らず、とりあえず喜んだはずだ。申告課税制であるため、一万四千キロリットル分もの納税が為されなかったことに気付く由も無い。県に対して、『こんな不正行為があったぞ!』といったタレ込みか何かがない限りなかなか気付くものではない。純一朗には、タレ込み云々といったその辺の事情はこの時点で分らなかったが、地方税の盲点を知り尽くしてそこを上手く突くフィクサーという黒い影が、前回同様存在しているであろうことは、はっきりと意識した。
図書館の新聞ファイルで、事件の輪郭を掴んだ純一朗は、毎朝、新聞に隈なく目を通すようになっていた。その後間もなく、関連記事が掲載された。その記事を見て純一朗は
「やっぱりそうだったんだ。」
とつぶやいた。
先ず、十月十九日に佐賀県警が元、岡野商事の岡野文三社長を、続いて十月二十日に長崎県警が元、大久保石油の大久保芳彦社長を、それぞれ逮捕したことが報道された。熊本から佐賀、さらに長崎へと事件が大きく発展したことで、純一朗の熱い血が騒ぎ出した。九年前の事件と同様に、表面上の解決をしただけで事件を終わらせるようなことが決してあってはならない。一度だけならまだしも二度までも、こんな大掛かりな脱税を断じて許す訳には行かない。根本的解決を目指し、首謀者を検挙すべきだ。純一朗の正義感にさらなる火がついた。
事件の詳細を知るために、純一朗は再度、図書館に走り、佐賀県と長崎県の地方新聞を調べた。佐賀県、長崎県、共に内容は熊本県と全く同様で、違うのは、西島石油が岡野商事と大久保石油に代わったこと、二月に佐賀県で、一万二千キロリットル相当分、三月に長崎県で、一万六千キロリットル相当分の脱税容疑という、扱い月と数量が代わっただけで、各県とも五百キロリットル分だけ納税されている点までも同じである。
三県を合計すると、脱税の対象となった数量は、四万二千キロリットル、脱税額は十三億四千八百二十万円になる。とてつもない金額に上った。はっきりした記憶はもうないが、九年前の時と比べて、三倍以上の脱税額になると思われる。ひょっとすると、前回は予行演習で今回が本番なのではないか。ならば、今回こそ黒幕まで暴き出さねばならない。
ついに放って置けなくなった正義感に燃える純一朗は、立場を忘れ、事件解決に向けて一石を投じてみたくなった。暇に任せ関連記事を探すために、毎朝、図書館に通い始めた。勿論、関連各県の地方新聞を読むためである。