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純一朗と容子は、毎晩八時半過ぎから十時くらいまで室見川の河川敷を散歩することを日課としている。しかし夏になって、朝の陽ざしの強さに負け、そうかと言って、朝、陽が昇る前に起きて出掛けるまでの気力は無く、結局朝を取りやめ夜散歩することに変更していた。夏の夜の河川敷は花火を楽しむ人達で、割に人出があって寂しくはない。
散歩のコースは決まっている。家から川沿いの道路に出て、その道路から河川敷に降りる。河川敷に降りたところから、約五キロの散歩コースが始まる。行きに下流にある室見橋を渡って、帰りに上流にある福重橋を渡る。二つの橋を渡ることで、グルッと一周する感じだ。沢田さんが亡くなっていた現場は、いつもスタート時に利用している河川敷に降りる階段のすぐ側で、もちろん散歩コースの中であるが、グルッと廻った最終地点になる。
事件当日も二人で歩いているが、それらしき気配は全く感じられなかった。ただ、帰りに利用する福重橋を渡って、こちらの河川敷に戻るための階段を降りたところに、薄い黄色の、比較的新しい自転車が放置されていた。時間は十時近かったはずだ。鍵は二つ、ハンドルの中心部に引っ掛けたままで、施錠されていなかった。容子とその自転車を触りながら
「容子、ええ自転車やな、これ乗って帰ろうか? 」
「何言うてんの、誰かその辺で釣りでもしてはるんよ。」
「うちのよりずっとええな。」
と話したことを、二人ともはっきりと覚えている。沢田夫人から聞いた自転車の特徴とほぼ一致していた。もっとも、自転車が放置されていた場所は、現場より三百メートルほど上流に位置していたが・・・。純一朗はそれが、沢田さんの自転車であったように思えてならない。
自転車を見掛けた翌日、つまり死体を発見した日、警察から戻ったその夜は、さすがに気が乗らず散歩に出ることはしなかったが、次の夜は、見掛けた場所にすでに自転車はなく、あたりを見回したが見当たらなかった。もしあの自転車が沢田さんのものだったとしたら、何故あの場所に止めていたのだろう? いくら酔っていたとしてもあんな所に止めるだろうか? 現場からは少し離れ過ぎている。また、酔って川に転落するような状態の男が、駅から自転車に乗ってあそこまで行けるだろうか? そもそも現場までいったい何をしに行ったのだろう?
色々と自転車についての疑問が湧いてくる。純一朗は、容子にも話してみた。容子も
「言われてみればおかしいね。」
と言ったが、しかし続けて
「ジュンさんね、沢田さんの自転車と決め込んでるわ。それにそんなことを推理するのは、警察の仕事よ。」
と一蹴された。容子には、警察が事故死と判断したことを今更蒸し返すようなことに、興味はないのであろう。
沢田夫人の話では、沢田さんは
「今日は、遅くなる。」
と言って家を出ている。『遅くなる』とは、おそらく最終の地下鉄に間に合わずタクシーで帰宅せざるを得ない時間を指していると想像出来る。とすると、何故、予定より早い時間に室見川河川敷の現場に戻っていたのか。室見川河川敷にどんな用があったというのだろうか?
容子と違って、純一朗の疑問は益々膨らんで行く。いくら関係ないとは言え、スッキリしないことを放って置けない、しかも頑固でお節介焼きな性分の純一朗は、容子が止めるのも聞かず、西警察署の藤村刑事を訪ねた。
藤村刑事は、喫煙コーナーで一服しながら片目を細めて新聞を読んでいた。たまたま暇だったのだろう。
「どうされました? 」
と言いながらにこにこして迎えてくれた。純一朗は、一件落着した事件ではあるが、その後何かスッキリとしないものを感じ続けていることを話し、疑問に思う点をかいつまんで話してみた。すると藤村刑事は嫌な顔もせず、
「分りました。今回の件一応ご説明して置きましょう。」
と言って、当初からの警察での捜査内容を大雑把ながら話してくれた。もちろん話せる範囲であろうが・・・。
それに拠ると、先ず、自殺、他殺の両面捜査を実施したが、自殺する動機も無くまた、殺される理由、あるいはその様な痕跡や事実も見当たらなかったため、検死の結果も含め事故死という結論に至った、とのことである。
自転車の件は、藤村刑事もすでに知っていた。純一朗が、沢田さん宅を訪問した後、沢田夫人から紛失届があったそうである。
「藤村さん、私が川で見た自転車が、もし沢田さんの物であるとしたら、やはり、私が言ったような疑問が残りますよね。」
「おっしゃる通りですが、その自転車が見付からないことには何とも・・・ね。」
確かにそうではあるが、疑問符が消えないまま、警察を後にした。純一朗は、その時藤村刑事から得た新たな情報で更なる疑問を持つことになった。
刑事から得た情報とは、沢田さんが、事故当日、中洲のスナック『マギー』で六時過ぎから八時頃まで、上司の小林勇治業務課長と飲んでいたというものである。『マギー』は沢田さんの行き着けのスナックで、その日、かなりハイピッチでウィスキーを飲んで帰ったそうである。小林課長の証言に拠ると、課長は業務をある程度沢田さんに任せていた関係で、月に一度か二度、例会と称して沢田さんと飲む機会を作って打合せをすることにしていたという。その日も二人だけの例会で、特に、沢田さんに心配するような点は無く、いつもより飲むピッチが速かったぐらいで普段と変わりなかった、と話している。
純一朗の新たな疑問とは、沢田さんが朝、業者との付き合いで遅くなると言って出掛けたのに、上司である小林課長と飲んでいたという、予定と行動のズレにある。しかも、前もって例会を予定していたというではないか。奥さんには、面倒なので、業者との付き合いを理由にしたとも考えられる。しかし、今日は課長との付き合いで、という理由でも別に良かったではないか。課長との付き合いを隠す必要はない。まして、例会であれば尚のことだと思う。
この点は、警察で、さほど問題にはならなかったようだ。純一朗は、とかく何でも自分の性分で判断する所為か、こんなことにも、どういう訳か引っ掛かってしまう。諦めが早い割に拘る性分が、すでに頭をもたげていた。
沢田さんの一件で、純一朗がいくら疑問を持ったとしても『一件落着』した事件を今更どうすることも出来ない。容子の言う通りだ。全ては、警察に任せておけば良い訳で、素人の純一朗の出る幕などどこにもない。
すでに、秋を告げる箱崎宮の『放生会』が始まっていた。これからは、急ピッチで季節が移り変わって行く。純一朗は、時と共に次第に事件のことを忘れていった。それよりも、今後の生活のことが重く圧し掛かっていた。還暦を過ぎて、仕事を持とうにも持てない者の、あるいは共通の悩みであろう。
純一朗は、浪速通商㈱のリストラ策に手を上げて五十五歳で繰り上げ定年を志願した。退職金を多少余分に貰うことが出来たが、決してそれが目的で志願した訳ではなかった。そうではなく、自分の所属する燃料本部、言い換えれば、石油業界の将来が先細りであり、本部の存続そのものを検討せざるを得ない状況に失望していたことが第一点、再就職への自信が妙にあったというより、軽く見過ぎていたことが第二点。そして、未知の世界への憧れのようなものが芽生えていたことが第三点。さらに、体調が余り思わしくなく、このまま仕事を続けて行く気力が乏しくなっていたことがもう一点。大まかには、以上の理由で、退職志願をした。
純一朗は、浪速通商を退職すると間もなく、体の異変に気が付いた。毎日が気だるくてしょうがない。容子に付き添われて、肝臓の精密検査をした。エムアールアイで、腫瘍と思われた部分が血管腫と分り、ホッとしたものの、原発性胆汁性肝硬変であることが分った。難病指定を受けている病気である。発症しなければ普段通りの生活をして差し支えない病気なので、特別心配することは無いが、酒を飲むなどの無理は一切出来ないことが分った。
楽観的に退職したものの、世の中そんなに甘いものではなかった。再就職先を探すのにどれ程苦労したか。容子にも随分心配をかけた。しかし容子は決して笑顔を絶やすことなく、何とかなるから大丈夫、と呑気そうに振舞って、純一朗を励ました。十ヶ月掛かってやっと健康食品メーカーへ再就職した。この間、体調の方はどうにか回復した。
しかし、再就職はして見たものの、この会社の販売方式が、いわゆるマルチ商法であり、営業法も健康講座と称する会を全国で展開し、その席で体験談を販売店に発表させ、あたかも、その健康食品がどの病気にも利くような印象を与えることで会員を増やし、売上を伸ばすといった手法をとっている。この体験談というのが、誠にあやふやだ。この健康食品を食べたので健康を取り戻せたのかどうか全く根拠も無いのに、このお陰で、と発表する。協力してしまう顧客も顧客なのだが、薬事法に触れるギリギリの線での営業法が採用されている。
会社の中身を知ってしまった純一朗は、そんな会社に段々嫌気を感じていった。そしてついに、たった三年余りでこの会社を辞めてしまった。容子に、もう少しのあいだ我慢出来ないの? と言われ、何度か我慢をして勤めを続けたが、だんだんストレスに耐えられなくなり、そして限界に達してしまった。体のことが一番心配であった容子は、何も言わなかった。純一朗の、頑固で物事に拘る性分が、粘りの糸を断ち切ってしまった退職と言える。その後無職が続いている。
無収入の状態が長く続けば、苦しくなるのは当たり前だ。健康食品の会社を辞めた当初は、どういうものかサラリーマンに復帰する気にはなれず、しばらくは自分を見つめ直してみようと思った。ゆっくり本も読みたかった。しかし二年以上もの間、こんな状態が続くとは、当時思っても見なかった。
紀伊国屋書店の入り口でコンピュータ学校の営業に捕まったのがきっかけでパソコンを習い始めた。日頃、パソコンぐらい操作出来ないとこれからの世の流れには付いて行けないであろうという思いはあった。捕まった結果、パソコン教室に通い、先ず、パソコンの基礎とワープロを習うこととなったが、最初の頃はブラインドタッチなんてとても及びも付かなかった。ところが不思議なことにそれが少しずつ出来るようになり、オフィス系と言われるワードやエクセル、アクセスは勿論、今ではイラストや動画の制作も手掛けるようになった。二年半足らずの成果、若い者に比べれば、テンポは遅いかも知れぬが、この年で大したものだと、自画自賛している。奥の深さはともかく、幅広くパソコンの知識を持った事で、今後、シニアを対象にパソコンの家庭教師が出来ればと考え、自作のホームページをネットに乗せて呼びかけた。しかし反応は全くなし。チラシ配りも試みたが効果なく、僅かばかりの蓄えも底を着きかけて来ている。今後の生活のことが重く圧し掛かって来たのも、当然の成り行きであろう。
毎日約一時間二十分の散歩を除けば、殆ど一日中パソコンの前に座っている純一朗を見て、容子が心配して言った。
「ジュンさん、また体、壊してしまうんやない? パソコンの前に座りっぱなしよ最近は、何か他のこともせなんだら、目にも悪いんと違うの? 」
「・・・ 」
言われてみればその通りだ。純一朗自身もこのままじゃ『いかんな』と思っていた。気分を変えて、食事の後片付けや掃除を手伝うようにはなったが、一日中パソコンにクビッタケ状態であることに変わりは無い。
容子に指摘されたからという訳ではないが、久しぶりにハローワークに顔を出して見た。が、状況に変わりは無く六十歳以上の就職はまず難しい。しかし、そこに置いてある色々な資料の中からシルバー人材センターの存在を知り、早速その足で、姪の浜駅のすぐ近くにある福岡市シルバー人材センター西支部を訪ねた。係りの女性から詳しい説明を聞いたが、結論を言えば、本気で仕事を探している者にとっては、不十分な組織に思えた。
純一朗は、何か仕事を探さなくてはと、多少焦りを感じながらも、一方でいくら探しても無いものは無いのだから、焦っても意味が無い。よくよく考えてみれば、確かにまだ年金を貰うようになったばかりの年だとしても、一般的には初老と呼ばれる年齢になっている男が、多少経済的に生活が苦しくなっているとは言え、毎朝、四季折々の姿を見せる室見川河川敷の遊歩道に、愛妻と共に散歩に出掛け、日々、好きなパソコンに向かっている訳で、そんな自分が今後のことで、そんなに思い悩む必要も無いのではないか。案外恵まれている方かもしれない。ケセラセラで『日々是好日』を目指し精一杯生きて行けば、それはそれで充分ではないかと、自分に言い聞かせて納得しようとしていた。
思いもよらぬ事件があって以来、容子が嫌がることもあり、本来の朝の散歩に戻すことにした。事件後しばらくは、今まで通り夜の散歩を続けたが、川の縁に花が置いてある現場を通る度、事件を思い出してしまう。夜は特にそうだ。コースを変えようかとも思ったが、其処を外しては散歩が始まらない。
幸いなことにここのところ随分過ごしやすくなった。川には、ユリカモメもボツボツ戻り始めて来た。朝の空気はやはり一味違う。マイナスイオンの所為か気持ちがいい。容子との会話にも事件の話は出なくなった。
室見河畔の桜並木の木々が、青く茂った木の葉を少しずつ脱ぎ始めた。日頃、室見川の近くで生活をしていると気が付かないでいるが、この川には、四季折々の変化がはっきりと映し出される。
毎年三月の末頃には、河畔の桜並木が見事に咲き誇る。文字通り枯れ木に花が咲き、花見客で随分と賑わう。そして下流の、室見橋当たりでは、『しろうお』漁が盛んに行われ素魚の踊り食いが楽しめる。桜と『しろうお』のシーズンが過ぎ、五月『博多どんたく』で街が賑わう頃、川の両サイドの河川敷はつつじの花で埋め尽くされる。ところどころで紫陽花も色を添える。そして七月、博多が夏の祭り『祇園山笠』で一色に染まり、フィナーレを迎えると、クマゼミが一斉に鳴き始め本格的な夏が始まる。其処ここで、バーベキューを楽しむグループでいっぱいになり、花火に興じる姿が、九月まで続く。さらに季節によって、渡り鳥達が入れ替わり、これまた川は違った賑わいを見せる。河川敷の遊歩道は、一年中、健康志向の人達が、ジョギングや散歩を朝晩楽しんでいる。
純一朗たちが、夜の散歩をしていた時期は、九時を過ぎると満潮になり、河口近くの室見橋当たりは、水嵩がかなり増し、『あご』なのだろうかあるいは『はぜ』なのか、潮の流れに乗って跳びながら上ってくる。二、三メートルはゆうに飛んでいる。わりと大きな魚に見える。それもかなりの数だ。どの魚も、三回ずつジャンプするようで、見ていて飽きない光景だ。これからは急に涼しくなる。そろそろ秋本番、紅葉の季節を迎えようとしていた。
十月十五日、『毎朝新聞』の朝刊を見ていた純一朗は、おやっと思う記事が目に留まった。『巨額の軽油税脱税容疑で、会社社長に事情聴取』とある。思わずこの小さな記事に引き付けられた。
内容に拠れば、熊本県警察本部は、熊本の元石油販売業者、西島石油社長、西島秀雄を地方税法違反(軽油引取税法違反)容疑で逮捕し、調べを進めたところ、四国、丸亀に本社を置く、田島商事が本件に大きく関与していることを突き止め、香川県警察本部に協力を依頼し、事情聴取を始めたとのこと。また、総合商社菱和商事福岡支店も同じく本件に関与していると見られかなり大掛かりな組織的犯行の可能性があることを示唆していた。
純一朗が、この記事に興味を持ったのも無理はない。純一朗が浪速通商㈱を退職する三年程前、およそ九年前のことだが、良く似た事件があったからだ。しかも、この類似した事件で多少の関わりを持ち、そのために捜査に心ならずも一役買うという経験をしたことがあるため、いまだにピンと来るものがある。今回も関与している会社や場所などが余りにも酷似している。これは同一種の事件に違いない、背後の組織も同じであろうと思い、この件を注意深く見守ることにした。
当時、純一朗は顧客への販売ではなく、業者間での転売として、同業の山東交易㈱に、在庫処分をするために軽油五百キロリットルを売り渡した。ところがなんと、その船一隻分の軽油が複数のルートをたどり、結局脱税の対象になってしまった。現物は、純一朗の浪速通商の小倉油層所から、四国の田島商事㈱の油層所に第八興神丸で直接運び込まれていた。勿論純一朗が脱税に直接関与した訳ではなかったが、取引の過程で最初の売主、つまり出荷主という立場で一枚加わることになってしまった。もともと正義感の強い純一朗は、自分が売り出した品物が何度も転売されたのち、間接的にも脱税に繋がってしまったこと自体に、大変な不快感と憤りを覚え、その後の捜査に積極的な協力をした。