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純一朗は、事件に関する、今までのメモを、最初から整理し始めた。メモは、沢田勉の死体を発見した時の状況から始まっている。そして、沢田勉の奥さん、則子との会話も、メモしてある。その中に、ケータイが見当たらなかったとあり、ケータイの番号まで記してあった。そして、藤村刑事から、恐らくあれだけ飲んでいたので、どこかで落としたのだろう、と言われた、とも書いてある。
純一朗は、何気なく、自分のケータイを取り出し、メモにあるケータイの番号に電話をかけて見た。事件直後にも、同じように電話して見たが、その時は電源が切れた状態になったままだった。しかし今回は繋がった。純一朗は期待していなかっただけに驚いたが、思い切って話してみた。
「もしもし。」
「もしもし、あ! おとうさん?」
明らかに、未だ幼い、小学生ぐらいの女の子の声だ。ビックリした純一朗は、すぐさま電話を切った。一体、今のは誰だろう。沢田の娘の声だろうか。だとすると、『おとうさん?』とは、どういうことか。それとも、全く他人の手に渡ってしまっているのか。色々憶測しても始まらない。思い切って、もう一度電話をかけて見る事にした。
「もしもし、田中さんですか?」
「ちがいます。」
「ごめんなさい。あなたはどなたですか?」
「沢田です。」
「あ、まちがえて、ごめんね。」
やはり、沢田勉の娘であった。なくなったケータイのはずだが今は娘が持っている、何故なんだ。調べてみる必要を感じた純一朗は、藤村刑事と早川記者に、ありのままを伝えた。
純一朗が、特に強調したのは、沢田の娘が、『あ! おとうさん?』といった点である。父親は、亡くなったはずではないか。藤村刑事は早速、捜査を開始した。先ず沢田宅を訪問し則子に、沢田が単に事故によって死亡したのではなく、殺害された可能性も出て来たために再度捜査を進めていることを告げ、証拠物件としてケータイを押収した。ケータイは、西警察署で徹底的に調べられた。履歴から始まって設定の変更情況など、改ざんしたとしてもかなりなことが分るらしい。その上で、則子の事情聴取が行われた。
沢田則子の事情聴取の結果、則子の説明に拠ると、無くなったと思ったケータイは、小林課長が沢田のデスクを整理して見付けたもので、その後わざわざ届けてくれたものであるという。則子自身は既にケータイを所持していたので、娘に手渡し自分と娘の連絡用にだけ使うようにしていたらしい。小学生に持たせるのはどうかとは思ったが、持たせてみると便利だったのでそのままにして来たという。小林課長から返して貰ってからは、セッティングを変更したりせずそのまま使用しているとのことである。
藤村刑事は、ケータイの履歴が綺麗に消しこまれている点や、一部改ざんの後が見られることから、引き続き小林課長にも事情聴取をして見ると言っていた。その後間もなく、藤村刑事は、沢田の会社に残された荷物などを、誰がどのように整理したかまで、先に調べた上で小林の事情聴取を実施した。
事情聴取の結果、小林課長からの説明では、ケータイについては、彼の机の引出しに入っていたので、後日奥さんに手渡したという。ところが、日の出興産では、沢田の遺留品チェックを総務部が実施し、小林課長の手を通さずに行ったとしている。この点について小林は、沢田の奥さんから、葬儀の日にケータイが無いことを告げられたので、会社に戻って直ぐに沢田の机を調べたところ、見付かったので暫く自分の引き出しに入れて置いた、と説明しており、内容を消しこんだのは小林自身であることを認め、その理由は奥さんから、見付かったのなら子供に持たせたいと聞いたので、子供が使うなら綺麗にして置いた方が良いと思ったまでだと、説明したとのことである。
さて、純一朗が強調した『あ! おとうさん?』といった点についてだが、藤村刑事が則子を問い詰めたところ、沢田の娘は実は沢田との間に出来た子供ではなく、小林との間に出来た子供であることを、白状したそうである。沢田則子が子供について説明した内容は、次の通りである。
元々、日の出興産に入社して以来、先輩の小林にあこがれていたが、いつしかただのあこがれではなく、奥さんのある小林課長のことを心から愛するようになってしまい、このままではいけないと考えていた矢先、転勤して来た沢田から強く結婚を申し込まれ、自分の気持ちを吹っ切るためにも、自分を愛してくれる沢田との結婚を承諾した。ただ、自分が小林にあこがれ以上の気持ちを持っていたことは、いずれ沢田の耳に入ることもあろうかと考え、お互い過去のことには触れない、という条件を付けての結婚だった。沢田は、子供の誕生を希望していたが、中々恵まれなかった。その内に、心配していた通り、自分の過去のことを何処からか耳にする事となり、次第に冷たくなっていった。丁度そのころ、小林課長が、交通事故で奥さんを亡くされた事をしり、複雑な心境になってしまった。沢田との仲が上手く行かなくなっていたことを、小林に知っていて欲しかったこともあって、課長が名古屋に転勤する直前に、このままで良いものかどうかを相談してみた。小林は名古屋転勤後も何かにつけ心配をしてくれるようになり、いつしか男女の関係にまで発展し、そして子供を授かることになった。その子が今の娘である。沢田は始めの内その事を全く知らなかったし気が付かなかったが、ふとした切っ掛けで、自分には子種が少なく、子供を作るには医学的な処置を必要とする身体である事が分り、娘が自分の子供では無いのではと、疑い出した。則子は離婚を決意し何度も沢田に申し入れたが、沢田は全く聞き要れようとはしてくれなかった。その頃はもう、沢田が何を考えているのか、則子にはさっぱり分らなくなっていたようだ。藤村刑事は、則子に殺意が芽生えたのではないかと、かなり追求したようであるが、それについては、完全に否定したそうで、証拠が無い以上、どうにもならなかったようである。
沢田の四十九日の法要が済んでから、娘に事実を話し、現在では小林のことを『おとうさん』と呼ぶようになったと、供述している。ちなみに、沢田のことは『パパ』と呼んでいたらしい。一方の小林はこの件に関して、則子とほぼ同じ内容の供述をした。小林の場合は、沢田とは逆に、亡くなった小林の奥さんの方が子供の出来にくい体質で、子宝に恵まれなかったため、事実を知った時小林は大変喜んだそうである。結局二人の事情聴取の結果、小林と則子に殺意が全くなかったとも、言い切れない部分が残ったが証拠はないままであった。
純一朗は藤村刑事から、事情聴取の内容を聞き、確かに小林と則子が人を殺すようなことは直感的ではあるが、想像しようにも想像出来なかった。沢田を殺害したとすれば他の人物、つまり岩田に相違ないと思う。その岩田は相変わらず闇の中に消えたままである。池田登志雄が岩田正道という別人に成りすましたのだとすれば、全ての視界が開ける。しかし、それも太田、内山の供述で完全に思惑が外れてしまった。池田登志雄は岩田正道ではなかった。それでも純一朗は、基本的な考え方には自信を持っていた。
確かに池田登志雄と岩田正道が同一人物では無かったが、この一連の事件を取り仕切れるのは、やはり池田登志雄をおいて他には考えられない。よく考えてみると、池田はこれから政界に打って出ようかという男だ。当選すれば、いくら岩田に成りすましたところで、その顔はいずれ公のものとなる。別人を演じたことが明るみに出るのは時間の問題であろう。影武者でも居ると言うなら別の話だろうが・・・。
「うん? あ! そうか、これだ! これだったんだ。きっと自分の替玉を用意していたんだ。」
ここまで来てやっと閃いた。池田という男は相当に頭の切れるヤツだ。ひょっとすると、岩田が架空の人間であることが知れた時、当然池田に嫌疑の懸かる事を予測し、池田に代わる人物まで用意していたのであろう。池田登志雄の意を汲んで池田の思惑通りに動ける人物が存在すれば、池田にとってこれほど都合の良い事はないだろう。池田登志雄の意のままに働ける人物は誰か、つまり池田に一番近い人物は誰か・・・。分った! これで謎が解けた。推理を重ねた上の貴重な閃きであった。
純一朗は、今直ぐやるべき事を早川記者に伝えた。
「ハチさん、池田の写真はダメだったでしょ。今度はね、田島三兄弟と池田事務所を預かる松木達也、それと念のためエコノミープロデュースの名義上の代表である末次義男の写真を、太田、内山に確認するよう手配してくれませんか。」
「分りました。藤村刑事にも連絡して置きます。」
折り返し、早川から電話があった。
「オヤジさん、これから四国、丸亀へ行ってきます。」
「え、丸亀まで?」
「ええ、それが、オヤジさんからの指示を藤村さんに伝えたんですよ。そしたら藤村さん、写真の手配が出来ないんでアンタに頼む、って。言うんですよ。」
「うーん、そりゃ、ご苦労様です。」
「選挙絡みの取材とでもして、写真を撮る積りですけどね。」
「気を付けて、行って来てください。良い写真をね。」
どうやら、何の容疑もない人の写真を幾ら警察と雖も、しかも藤村刑事の独断で確たる証拠もなく、とても手配出来なかったのだろう。三日後に、ハチこと早川記者から電話を受けた。かなり興奮した様子である。
「オヤジさん、やりましたよ! オヤジさんの読みが見事に的中しました。岩田が逮捕されました。」
「松木達也ですか?」
「その通りです。」
「太田、内山の証言ですね。」
「そうです。彼らに、松木の写真を見せたところ、岩田社長に間違いないと認めたそうです。明日から、藤村刑事が取り調べを開始しますよ。これでこの事件やっと全面解決に向かうと思います。」
ああ、良かった。これで全てのことがはっきりする。これからは捜査の進捗状況を黙って見て行けば良い。純一朗は、長い間の苦労がやっと報われたと胸をなで下ろした。早川のエネルギッシュな若さと、藤村刑事の捜査班の方針を曲げてでもという、粘り強い姿勢があってこそ事件解決に漕ぎ着ける事が出来た。
全てを仕組んだのは池田登志雄だろうかそれとも田島浩司だろうか。何れにしても、今回の事件を計画したヤツは相当に頭の良いヤツだ。九年前も同じメンバーが仕組んだ事件であったのだろうか。それともう一点、磯部代議士との関係も気になるところだ。
西警察署に捜査本部が設置されて以来、初めて本部が活気に満ち溢れたと聞く。藤村刑事のお手柄が本部内できっと評判になっていることだろう。純一朗は、何よりもそれが嬉しかった。本格的な捜査は、これからだ。早川記者は、『毎朝スクープ』独占で、この事件を取り上げると言っている。これまた喜ばしいことだ。記事になるのが待ち遠しい。
その後の新聞に、加藤儀一殺害の実行犯二名と、殺人教唆の疑いで、池田登志雄、松木達也が、そして、沢田勉殺害及び死体遺棄容疑で、池田登志雄、小林勇治が逮捕された。さらに、地方税法違反(軽油引取税法違反)容疑で、池田登志雄、田島浩司、田島淳哉、松木達也、小林勇治が逮捕された。内山重敏、太田高之は、地方税法違反幇助罪に問われることとなった。間もなく全ての事件が立件され、起訴されるであろう。
三月に入り、純一朗の『マンションの管理人』という新たな仕事が始まった。管理人の仕事というのはマンション内の清掃が主な業務で、後は住人の苦情処理係のようなところもあるが、特に難しい仕事では無い。ただ面白いもので、毎日掃除をしているだけで、住人の各家庭内が結構見えて来る。子供の躾具合や家の片付き具合そして夫婦仲に至るまで自然に見えて来るから不思議だ。仕事には直ぐに慣れた。半日の仕事に精を出し、充実した毎日を過ごせるようになって来た。そんな折、早川記者から、三月第四週売り出しの、『毎朝スクープ』に、「大型軽油脱税事件、殺人事件に発展」という見出しの記事が掲載されるので、楽しみにしていて欲しいと連絡があった。春を迎え、室見川河川敷は連日花見客で賑わっている。
三月三十日の日曜日、朝十時過ぎに玄関のチャイムが鳴った。出て見ると発売されたばかりの週刊誌を持った早川記者が立っていた。
「オヤジさん、ついに出ましたよ。」
ハチは、満面に笑みを浮かべ、週刊誌を手でかざした。
「やあ、おめでとう。」
「今回は、ホントにオヤジさんのお陰です。」
「また、そんなオーバーな。」
「いえいえ、オヤジさんの眼力というか洞察力がなかったら、この件、間違いなくお宮入りでしたよ。」
「そんなことはないですよ。誰かが気付くことばかりですよ。」
「あ、特別捜査班で、事件解決の功労者として、藤村刑事が表彰されましたよ。」
「そりゃ良かった。」
「藤村さんから他社には出ていない情報を随分貰えましたしね。助かりました。これも、オヤジさんのお陰です。」
「ハチさん、もう良いよ。」
「本当に勉強させて貰いました。自分はまだまだ若いということも分りましたし。今日は、先ずもって、ご報告とお礼をと思いまして。また改めて伺います。」
「藤村さんも交えて納会でも出来るといいですね。その時は、ハチさんのお嫁さん探しを提案しなくちゃね。」
「ありがとうございます。納会の企画、私に任せてください。」
早川の白い顔が赤く染まり、まるで八戒が、三蔵法師にお礼を言っているようだった。




