3部-3/3
ヒトが、おとぎが、少年を追う。
これが最後の追撃だろう。激しい総攻撃のさなか、舞うように地と天を駆けながら、少年は思う。
他者の欲望に触れたときにだけ見える、青以外の色。その全てが、醜くて仕方がなかった。
少年は欲望を嫌う。それは自身の命を食らうものだから。
真っ黒い絶望の中で、少年は、その全てを恨み続けた。
だから、追っ手を殺すことに、何の躊躇もなかった。
だというのに、今は。
少女の生命賛歌にあてられたのだろうか。
欲望の奥にある、[想い]が見える。
弔いの紫、慈悲の緑、老練の黄、躍動の橙、熱情の赤。
追っ手を倒す度に見える色に、心の蔵がきしんだ。
絶望の中、閉ざしていた眼には見えなかった色彩は、美しかった。
「でもね、」
少年は、高く高く、飛び上がった。
「僕には、僕の、想いがある。」
願いがある。欲望がある。生きたいと。
もう、知ってしまったのだから、あがらえない。他者の想いを絶ってでも。
「それにね、」
少年は、血を流す。今出せるだけの、ありったけの血で、夜空に一枚の四角を描いた。
「過ぎたる欲望は、醜悪となり、身を滅ぼす。
どれほど想いが美しくとも。
あんたらはもう、欲望の権化だ」
青い四角が夜に染まり、真っ黒い壁が、ずるりと産まれた。
「受け止めてもらいましょう。
僕の中に積もり積もった。あんたらが僕に背負わせたものだ。」
――絶望の、黒。
漆黒の壁が落下する。
地面ぶつかるや壁は液状化して、飛び散る黒は圧死をまぬがれた者達を巻き込んでいく。
空にいたもの、地にいたもの、全てを巻き込み染めあげて、黒い血は地中の奥底へ消えていった。
少女は走り、茂みに身を潜めながら、逃げ続ける。
鏡の前で少年と分かれてから、手に手に武器を持った者達にずっと追われていた。
少年の側に比べれば、追っ手の数は全く少ないが、少女が相手取るには、あまりにも恐ろしい。
まずもって追っ手達は、すでに正気でなかった。無理もない。祭典はすでに、狂気の沙汰となっていた。
徒党を組んで少女を追っているかと思えば、急にお互いに殺し合いを始め、また思い出したかのように少女を追う。または、何もないところに、銃を撃ったり火炎瓶を投げこんだり。
息を殺しながら追っ手達の凶行を見張り、少女は思う。
少年と約束したことに後悔はなかったが、しかし、粗暴で気の狂った追っ手達を見ていると、ふと、彼を思い出した。
異形の牧師の彼。
彼の元へは、もう帰れないのか。
ずっとその笑顔を気味悪く思っていた。常人からすれば、笑顔とも呼べない顔面のひきつりだ。しかしそれが、どれほど温かなものであったか。今になってわかった。
彼の眼差しには、偽りのない温かさがあった。生みの親、育ての教会、出会う者全てから蔑視され生きてきた彼が、どうして、他人への愛情を失わずにいられるのか。
少女には、理解できない。
だが確かに、廃屋寸前の教会で、できる限りの愛情を少女は受けていたのだった。
こんな状況だというのに、少女は空腹を感じた。
―――彼の料理が、食べたい。
ぼんやりと、彼の手料理を一品ずつ思い浮かべていると、すぐ近くで、茂みをかき分ける音がして我に返った。
少女は必死に走った。向こうの木立の奥が、他の場所より明るく見えて、考える間もなく、少女はその明かりを目指して走った。
明かりに近づいてくると、そこはたくさんの鏡の密集地だった。また乱反射に飲まれてしまったらどうしようかと、逡巡した少女の脚を、銃撃がかすめた。とどまっている猶予はない。
あの追っ手達だけ、鏡の反射に流されてしまえばいい。少女は、鏡の裏手に回りこんだ。
その時。
少年は、黒い血の跡に降り立った。
呼吸は荒く、肺が苦しい。
破れた衣服から伸びる肢体は、おおよそ鳥の脚と翼になっていた。伸びきった後ろ髪は背を伝い、尾てい骨から尾羽のように長く伸びている。
裂けた口と硬質化した唇。平らになった鼻と耳。流線型の輪郭。まぶたが逆さについた、左右に離れた眼。
もう精一杯だ。これから先、どう逃げろと言うのだろう。
しかし、それでも。共に生きて、生き抜いて、死のうと。黒に閉じ込められ、白に閉じこもっていた世界に色をつけようと。契った。
――――二人で、一時でも、光の中に見い出せる物があるなら。
僕は
どうぅんっ
遠くから、爆発音がして、ついで、がしゃがしゃと、無機質ながれきが崩れる音がした。
少年は、その音の方角へ向かった。
一面の青だった。
少年の眼にとって、それは常の風景なのだけれど。
一様に青と言っても、物によって濃淡や質感が違う。
産まれてから今までの経験上、少年にはわかった。
この一面の青は、赤なのだと。
事故なのか、周囲を道連れにした自害なのか、状況が把握できない程正体を無くしていたのか。鏡の密集地で、何者かが、大きな爆発を起こしたらしい。
爆発物の威力と、飛び散った鏡の破片が、この血溜まりと肉叢を成したのだろう。近づくほどに、鉄と内蔵物の臭いがひどい。
一面の青を見渡して、少年は少女を見つけた。
がれきの上を渡り、胸元までがれきに埋まった少女の元にかしづくと、その手首を握った。
とくん、と。まだ絶えていない拍動を感じて、少年はほほえんだ。
少女の口の上に、少年は己の血を垂らす。
「…………………ん…………」
少女が、小さく息をした。
少年は、ささやきかけた。
「貴女の願いは、なんですか。」
「………………………………………………………………………………ぃ。」
少女は答えた。
「……………………………………………………………………生き、たい……………。」
真っ青な光が、辺り一面に沸き上がった。青い光と、青い血が、天空へ向かって駆け昇っていく。
「ぁ……………………………………あ……?……………あっ……………………………………
ぁぁぁぁぁあああぁぁぁ……………………………ッ」
徐々に覚醒する意識の中で、少女は事態を把握し、嗚咽をあげた。
ロウソクが溶けるように、少年の体が頭から崩壊していく。
動けぬ体で嗚咽を続ける少女の耳に、少年の声が響く。
ーーーーだいじょうぶ。
だいじょうぶですよ。
ぼくは貴女と、ともに生きる。その約束は、たがわない。
青い光は逆流する滝のようであり、渦のようでもあり、どんどんと、周囲の景色と少年の体を巻き込んでいく。
ーーーー貴女はヒトの日常にかえります。おとぎであった出来事は、すべてわすれてしまいますが。
ヒトの営みにしたがって、ぼくを消費していただきます。
そうして、ねがいは完了するのです。
もはや少年の体は無くなり、目をくらませる光の奔流の中、少年の声だけが、少女に伝わる。
ーーーーさいごになりましたが、ひとつ。
ぼくを消費することで、副作用がおきます。
でも、あんしんして。なんてことないですよ。ぼくが保証します。
少女も光に包まれ、消えた。
ーーーーあぁ―――――
光と一体となった少年の、穏やかな声がこだまする。
ーーーーせかいは―――――――
少女は目覚めた。
カーテン代わりの薄布の下から、餌をついばむ褐色の小鳥が見える。
身支度を整えて、朝餉の席につけば、食卓の横の窓べりにも、やはり、小鳥が餌付けされていた。
「お、おは、よう。」
「おはようございます。」
少女の返答に、彼は少し驚いた。少女自身も、何か違和感を感じるが、気にはしなかった。
「今日、はね。猟師の方が、間違ってしとめてしまって、市にも出せないような、獲物だからって、くれた、んだ。」
そう説明しながら、今朝のメインディッシュを少女の前に置く。小鳥のソテーだ。
「小さくて、幼い、小鳥、だから、骨まで食べられるよ。
羽が、とても、きれいだったから、とってある。あとで、飾りを、作って、みるよ。」
「――いただきます。」
少女は小鳥を切り分け、咀嚼し、飲み込む。
「おい、しい―――」
少女が小鳥を食べ進めるにつれ、景色が異変を起こしていった。
じわりじわりと、絵の具を落としていくように、見慣れた風景が、染まっていく。
しかしなぜだか少女は、恐怖やあせりを感じなかった。
ふと、窓べりに目をやれば。
――幸福の、青。
青い鳥が、飛んでいく。
「世界は、青い。」
誰かの言葉を、少女はささやく。
世界は青で満ちている。




