3部-2/3
「待って。」
少女は、駆けだそうとする少年を呼び止めた。
振り返った少年を少女は見つめた。
もう、ぼろぼろだ。傷だらけで出血と返り血がひどい。
ヒトから逸脱したその姿も、少年にとっては元の姿に戻っているだけなのだろうが、少女から見れば痛ましい。
「もういい・・・もういいの。」
少女から、諦めの言葉が漏れた。
「・・・・なにが、もういい、んですか?」
こわばった声で、少年が尋ねる。
「もう・・・私を、守らなくて・・・いいから・・。
自由に、逃げて。」
「僕は、今ほど、自由でいる時はありません。
僕の望みのままに、僕の願いのままに。
貴女を守って、貴女の願いを叶えて、死ぬのです。」
少女はふるえ、うつむいた。
「生命にとって、一番の贅沢は、その死に様を選べることだ。」
言い募る少年に、少女は告げた。
「嘘でしょう。」
少年は、怯えて目を見開いた。
「自己暗示だわ。
貴方は、自分の死に、無理矢理納得したくて、私を希望だと、思いこませているだけだわ。」
「――――逃げ場なんて、ないんですよ?
青い血だと周囲に知られたその時から、逃げ続け。ヒトの世で保護されても、無駄だった。」
ぎいぎい。頭の中で鳴り響く。
「牢獄の中は全てが黒く見えた。」
生け贄のための塔と鎖と、球状の鳥かご。
「絶望の色だ。」
鳥の目はとても良くって。
下界の様子がよく見えて。
「僕を、真黒く染めあげて。」
鳥かごの外は、青かった。
「世界ばかりが、幸福だ。」
「僕の目には、全てが青く見える。それは、僕以外の全てが、幸福の色に染まっているかのようで。
黒い黒い絶望の中、理由と理想を考えあげた。
この命に、せめてもの意志があるのだと。証明したい。そうして意義を作り上げた。いいでしょう?
思い出の中にあった、たった一筋の光明が、貴女だった。
貴女を助ける。貴女のために死ぬ。
それが僕の幸福だと、この青い血は僕自身のために使ったのだと、そう思わせてくださいよ。」
少年の顔がゆがみ、その形相を影が覆う。
「自作自演の幸福ですら、奪うのか。
僕の血だっ。 僕の青だ…。
僕のための、命だっ!!!」
少女は静かに、少年の叫びを聞いた。
こんな大声を出せば、もうすぐ、また追っ手がくるだろう。
遠くから迫る喧噪を聞きながら、少女は言った。
「あなたが絶望の黒にいたというのなら、私は、白い虚無の靄にいた。
何が希望か、理想の未来とは何か、自分が求める安寧とは何か。
考えても、全て靄に消えてしまうから、考えることも捨てていた。
この身の上さえ、もう、どうでもよかった。」
だから誘いに乗って、のこのこついて来たのだった。
「この祭典に来て、様々な願いと遭って、思ったの。
生命において、もっとも悲しいことは、身の丈に合わない欲望を背負うことだと。
己の持てる幸せがわからずに、こんな所まで来て。みんな果ててしまったんだわ。」
胸中を吐露し、生気をなくしてたたずむ少年の目を、少女はしかと見つめた。
「幾多の死骸に遭って、死を待つばかりの貴方に会って、思ったわ。
生命における最上の贅沢は、生きることよ。」
うろのようになった少年の目に、少女が映った。
「一緒に、逃げましょう。
間際まで、あがいて、生きましょう。
それが貴方の、一番の願いだと思うの。」
「……………貴女と、一緒に?」
「ええ。」
揺らがぬ瞳で、少女は告げる。
「一緒に、生きましょう。」
少年は呆然としたまま、その場に膝をついた。
「…………なぜ。貴女が。僕と。
……一緒に、死ぬことになるんだよ……?」
「…考えてたの。
貴方の眼に、全てが青く見えるなら、私の血だって、貴方にとっては青いじゃない。
なら、私が、貴方の願いを叶えられるかしらって。
生きるも死ぬも、独りぼっちでは、絶望しかないわ。」
少女は手のひらを鏡にあてた。白い手の甲には、青い血脈が走る。
「私には、何の力もないけれど。
この血を――命をもって、貴方を独りにしないことならできる。
私が貴方に希望を与えたのだと言うのなら、貴方は私を、虚無の靄から連れ出してくれた。」
背後から、いよいよ喧噪が大きく迫る。
――――黒の絶望から、白の虚無から、抜け出そう。身が焦がれる程の光に当たりに行こう。
――――この世界に色をつけよう。
鏡越しに、少女と少年は手を合わせ、決意の言葉を交わした。
それがどちらの言葉だったのかわからないほど、その契りは一瞬だった。
刹那、二人は鏡に背を向けて走り出す。
追いついた喧噪が二人を包んだ。




