2部-2/3
「・・・・・逃げが、浅すぎましたか。」
少年がつぶやいた。
「貴女を、あまり森の奥へは連れて行きたくないのですよ。
此の世の奥に入るほど、ヒトにとっては怪異となる現象ばかりになりますから。
しかし、だからといって、浅すぎたようですね。
もう来ました。掴まって下さい。」
ふわりと浮かんだ少年の首元へ、しがみつく。
上空へと昇った少年を追うように、押し殺されていた怒声と殺気が一斉にうごめき、多方から銃撃があがった。
「おや、ここまで届きますか。」
銃撃の一筋は少年の高度にまで達し、その両足と頬をかすめた。
口角を上げて笑う少年の横顔を、少女は間近で見た。頬の傷が見る間に治るにつれ、少年の口は不自然なほど裂けていった。
割れ目のような口の中に、歯は無くなっていた。それに少し、後ろ髪が伸びたような。
下を見れば、ばっくりと開いた少年の靴が森へと落ちていく。琥珀の鋭い爪が、ズボンの裾からのぞいていた。
「雉も鳴かずば、とは、さて、誰の言でしょうかね?」
再度届いた銃撃に、少年は身を引き、伸ばした指で弾を受けた。
垂れる青き血を、点々と空に置いていく。数え切れないほどの血の粒が、周囲に浮かぶ。
その血の粒に流れ弾が触れるや、青き血は、赤く染まって。
――殺意は、赤。
少年がつぶやいた気がした。
血の粒が赤い雨となり、森に降る。鉛の玉のごとく硬質に、超速度で落下した雨粒の先で、悲鳴が上がった。全ての射撃が止んだ。
少年は高度を下げて、森へと戻った。
宙に浮かぶ少年の腰に掴まり、滑るように移動すれば、歩くよりもずっと速い。
「・・・・また、形だけの徒党ですか。」
木々が途切れた場所に着くと、少年は周囲を見渡してあざわらった。
その場所は、大急ぎで木々を人工的に切り開いた、突貫の広場であった。
「我が一族、永久に飢えぬ、財産をよこせっ。」
「高官となりたい、誰もに必要とされるような人間にっ。なりたいっ。」
「美しき人がいる、その心をわたしに寄せてっ」
「息子を授からせろ、この身に、世継ぎをはらませっ」
口々に言いながら、人々が四方から押し寄せる。
少女を地面に座らせて、浮かんだままの少年が、琥珀の脚爪を地面と平行に一周、振り回した。
空を蹴ったようなその動作に脚を伝う血が飛んで、取り巻く人々の体に青い軌跡が残る。血の色が黄となり、燃えた。
――執着は、黄。
血の軌跡より上の身が、瞬時に焼けただれていった。
「なぜその子供が、特別扱いなのか」
「なぜその女だけ、かばうのか」
少女の存在が徐々に知れ渡り、それを責める者達が出てきた。
一人が、鉈をほうる。それにならって、刃物やつぶてが飛びかう。
少年は手のひらで大きく円を描く。描いた円には膜がはり、その膜に刃物とつぶてが当たって、吸い込まれ、円は橙に染まる。
――嫉妬の、橙。
斬撃と投擲が跳ね返ったかのような衝撃が、人々を襲う。
ずたずたになった人々の最期に背を向け、軽く息をつきながら、少年は地面に降りて歩いていく。
その背にただ、ついていく、少女の思考は凍ったままだ。いや、考え続けてはいる。言いたいことがたくさんある。しかし、少年を呼び止めれば、たちまち聞かれるだろう。
――――願いは、なんですか?
その一言に、おののいて、少女の思考はそこで凍り付いてしまう。
「かあ、さん、を。たす、」
息も絶え絶えに、若い男が歩み寄ってきた。
森を行く間、少年が殺したものでない死体も多数見かけた。人同士でも、存分に殺し合っているのだろう。
なんとか生き延びてきた若い男の前で、少年は、身の丈ほどの十字を切った。
青い十字が、紫に染まると、若い男の体がやがて骨、やがてちりとなった。
――生死を表す、紫。
「生に近い者ほど、瞬時にちりと化すのですがね。よほどこの男性は、死にかけていたのか。」
なんともなしに考察する少年に、少女が言った。
「なんで、今、この方の願いを、聞いてあげなかったの?」
きょとりとして、少年が振り向いた。
「おかあさんを助けてって、言ってたわ。
親を思って、ここまで来た子が、邪な願いではないでしょう?
まだ若い、こんな青年が、ここまでたどりついただけで、奇跡的でしょう?」
だから、そういった情に流されて、少女以外の願いを聞く気にはならないのかと、祈りを込めて、尋ねた。
「何を言ってるんですか。
奇跡なんて、起きませんよ。」
少年は見当違いの答えを返すが、笑うその目が異常に冷たくて、少女は押し黙った。
がたり、と、音がして、うずくまった老人がいた。
「もう、帰し、」
怯えて見上げながら懇願する、老人の額に、固まり切らぬ血のついた、指を向ける。
「帰れませんよ?僕の所有者となる者以外、帰れない、決まりです。」
その言葉は、少女にも突き刺さった。
老人の額についた青き血は緑に染まり、
「後悔は、緑。」
雫の中に老人は消えた。




