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東京見聞録  作者: 南 晶
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 入社二日目にして奇跡的に営業に出る事になった私が出向いた先は、貸しビルの中にある飲食店だった。

 入れ替わりの多い飲食店では、求人広告は常に出さざるを得ない状況である事が多い。

 契約書の書き方も知らずに電話してしまった私は、到着したはいいが何をすればいいのかも分からず、先輩の後にくっついてその店舗にヒョコヒョコ入った。

 入ったその途端、私達を出迎えた店の主人は「あっ!」と言って、嫌な顔をした。


「あんた、この前、営業に来たよねえ?」

 

 と、先輩に向かって言ったのである。


「はい、その節はどうも」

 

 なんて、先輩も卒なく笑みを浮かべて返事をしている。

 何のことはない。

 その飲食店は、先輩も何度もアタックしており、店の主人とも顔馴染みだったのだ。

 今回、聞き覚えのない声の私が電話で「お値段の方も考えさせて頂きます」と言ったもんだから、軽い気持ちで「じゃあ、来る?」と言ってしまったらしい。

 つまり、電話したのがウチの会社だと知っていたら、電話口で断っていた客だったのだ。


「あんたのとこ、今より下げてくれないだろ?」

「はい、価格の方ではこれが限度ですが、後は、適切なご提案と完全なバックアップをさせて戴く事でフォローしたいと思います」

「そんなのは要らねえんだよ!広告なんてどこで頼んでも同じなんだから、安くてナンボだろうがよ」


 そのやり取りを聞いただけで、素人の私にも見込みが無いことはすぐに分かった。

 店先でいきなり出鼻を挫かれた私達は、元きた道を戻ってノロノロと事務所に向かった。


「ごめんね、最初から言っておけば良かったね」

 

 私に気を使ってくれた先輩は、そう謝ってくれたが、正直、私にはそんな事はどうでも良かった。

 あの事務所から・・・いや、電話から少しの間だけでも外に出られた。

 それだけで、私の一日は非常に楽しいものになったのだから。



◇◇



 季節はクリスマスに近づいていた。

 電話営業にも慣れたある日、私は同じく営業社員で入った若い女の子に同行して、横浜の顧客を訪ねる事になった。

 その女の子は小柄でかわいらしくて、静岡出身。

 私と同様、ひとり暮らしだと言っていた。

 静岡なら、同じ東海地方の私もよく知っている。

 道がやたらと広い、愛知県以上にのんびりした良い所だ。

 あの大地で生まれ育った人間が、どうやってこの東京で生きていけるのか、私には甚だ疑問であった。


「よくここで生きていけるね」

 

 私が感心して言うと、「本当は辞めたいんだけど、今までも適当にやってきたから、少しくらいは頑張ってみようかと思って」と彼女は笑った。

 健気なその笑顔は眩しかったが、私にはそんなガッツはどこからも出そうになかった。

 

 横浜の顧客を訪問した後、彼女は用事があると言って、そのまま私と別れた。

 事務所からは直帰を許されていたので、私もイルミネーションで眩しい横浜の夕暮れを楽しんだ。

 東京と変わらず、ものすごい人の波だ。

 そしてオシャレだ。

 さすが横浜。

 こんな所で生まれ育ったら、私だって横浜銀蠅みたいに奇抜な格好をしてしまうだろう。

 またくだらない事を考えながら、私はひとり横浜の街を歩いた。

 

 不思議なものだ。

 ここですれ違う大勢の人々、ひとりひとりにちゃんと帰る場所があって、皆、待つ人がいる家路に向かっている。

 なのに、これから私が帰る埼玉県のマンションには、当然ながら、私を待つ人は誰もいない。

 そう思ったら、突然、虚無感に襲われた。

 私はここで何をやってんだろう。

 この美しい横浜の街も、東京の満員電車も、埼玉県のマンションも全て借り物だ。

 いつ覚めても不思議はない常世の夢。

 

 私がいる場所はきっとここではなく、私がここにいる事も何かが間違っている。

 その時、本能的に私は思った。


「帰ろう」


 

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