第1話:少年 ‐Irregular ‐
《園夢高等学校》、略して園校と呼ばれる場所に、俺は場違いな雰囲気を感じながらいた。
俺は、この学校に途中入学してきた身なのである。元々、お嬢様学校であったというこの学校。最近になって共学になったと聞いていたが、それでもお嬢様学校。ようはお高い方の学校であった。そこに、俺みたいな一般市民が紛れてしまえば、しかも途中入学と言う微妙な時期に入ってしまったら、どういう感じでいたらよく解らなかった。
どうしてこうなったのか。これは不条理とも言える天からの理不尽な理由が存在した。
……ようは、両親の外国への転勤だ。俺の両親は旅行会社関係の仕事を二人でしているので、どうしても家を離れることが多かった。小さいころは祖母や祖父にお世話になったのだが、大きくなるに連れ、何とか一人でもやっていけるになって、一週間程度なら一人で生活はできた。
だが、今回の転勤は三年間に渡るもので、どうしても一人で生活するのは厳しいとされた。だが、小さいころにお世話になった祖父母に再びお世話になることに躊躇いを覚えた俺は、それ以外の方法を模索した。勿論、両親について行くという選択肢もあったのだが、俺の英会話能力は自他とも認める壊滅レベルにあり、ついて行くとこの子は死ぬ、という判断の元それ以外の選択肢を選ばなければならなくなった。
そして選んだのが、全寮制であり自分の学力に適している、この《園校》である。
だが、俺は失念していた。全寮制と言うことに浮かれていた。この学校の特徴である、お高い方の集いの場でもあったのだ。
ゆえに、そこに俺という貧相なイレギュラーが関わることは、即ち彼らにとって謎の生物UMAと触れ合うと同じ。そして俺が得るのは、孤独という悲しい悲しい青春であった。
この状況下で、どうしようと言うのだろうか。
でも、あの校長先生の言葉は良かったな。なんだか、あの人を思い出したよ。若い女の先生だったけど、あぁいう深い話が出来る人はいいなと、素直にそう思う。
まぁ、それが今後の青春にどう関わっていくかは解らないのだが。
「はぁ……」
己の不甲斐なさと、転校初日のHRで大コケをしたこともあり、俺はとぼとぼと一人寂しく、地図を片手に宿舎へ向かっていた。一応、帰路へついている……はずだ。
担任の先生からもらった地図は最新式と銘打っているが、実は五年前の物であることが裏に書かれているのを見ており、尚且つここ数年で校舎を改装したと聞いているので、とてもじゃないが宿舎に着ける気がしない。
「……理科室だろ? で、家庭科室……」
なんとか、合っているという僅かな希望を信じながら地図に従って歩いていく。今のところ、間違いはないようでなんとか宿舎方面へ向かっている。
だが、本当に大きい校舎だ。宿舎もある学園であると聞いていたので、大きいことは承知の上だったが、ここまで大きく尚且つ広いとは。これは、校舎を覚えるのに時間がかかりそうだ。
「美術室……で合ってるよな? あと……ん?」
そうやって、宿舎を回っている内にとある不思議な扉を発見した。とても古めかしいものだ。とても新しく改装されたとは思えないほど、古めかしかった。だが、だからと言ってボロボロというわけではない。扉としての機能は、未だ健在であるようだ。
そして、俺が思ったのは、そこから感じる懐かしいような、だけど禍々しいような、そんな不思議な感覚……。恐怖とも取れる、だけどそれだけではない。安心、と言うべきか。
「…………」
俺は、無意識で、そして無言でその扉の取っ手に手をかけていた。解らない。自分でも理由が解らない。でも、行かないといけない気がする。
そういえば、あの人が言っていた気がする。人が感じる直感というものは、疑わしく思うが実際は当たっているものだと。直感ほど正しいものはない、と。
「まぁ、あの人の言い分だしな……」
その人は、俺が思うに最も正しい人だった。記憶も曖昧なのだが、あの人の言うことは全て当たっていて、あの人のやることは全て的を得ていて、全て正しい。
「あと、この雰囲気、な……。もろあの人なんだよな……」
正直、あまり覚えていないので確証が持てないのだが、この不思議な感覚はあの人が纏っていた感覚と似ている。完全に同じとは言い難いが、それでも似ている。
ま、変に変わりはないわけで。
「先人は言った。直感は止めるものではない、と。つーわけで……」
俺はそう自分に言い聞かせるように言いながら、その古びたドアのノブに手をかけた。不思議な感覚が俺を包み込むような錯覚を覚えたが、そんなのはお構いなしだ。そう、あるのは好奇心のみ!
手首をひねり、ドアノブに重心を傾け、その古ぼけた扉を開けた。そしてその先にあったのは……
「っ!?」
「ほぉ……これはまた、面白いことになりそうじゃないか」
校舎の地図を見比べても明らかにオーバーしている天井。隣にあった美術室の半分を埋め尽くしているであろうほど大きいその部屋。そして、そこに一対一で椅子に座っている一人の少女と黒猫が、こちらを見て、何かを言っている光景だった。
◇◆◇◆
「異端と呼ばれる定理がこの世に存在する」
目を見開いている少女と、口をあんぐりと開けて状況が理解できていない俺、その二人の沈黙を破ったのは、人間ではなく話すことが出来る奇怪な黒猫だった。黒い、シンプルで高級感を漂わせる椅子にちょこんと座っている。
異端なのはそっちだろ、というのが個人的な主張なのだがこの状況下、そのようなことを口に出したら何されるか解ったものではない。ここはあえて言わないでおくことにした。
「ほぼ君と無関係な人間が来ても、別におかしいことではないのだよ、光」
「…………」
そんな言葉を聞いてか、ヒカリと呼ばれた少女は俺の方から視線を黒猫に移した。そして、一度深呼吸し、キッと黒猫の方を睨みつける。その眼光を受けても、その黒猫は動くわけでもなくその少女を見ていた。
「確かに、条件を飲まずにいた私に非はあります。それは認める。でも、無関係な人をこの空間にきて、はいOKです、なんていい加減すぎます」
話が見えないが、少女がギスギスしているのは声の荒さ具合でよく解った。しかも、その原因となっているのが俺となっているのも理解できる。
そんな中、口を出すのは気が引けるものだ。しかも、相手が異形である人外であるなら尚更である。
「運命だよ、これは。運命の定理を覆す者は神しかいない」
黒猫がそう言って諭すように少女に言った。その光景が異様でありながらも世界との違和感を放つこともなく存在していることに、俺は驚きを覚えた。それに加えて、俺自身すら違和感を感じなかったからだ。
そう考えていると、黒猫が目の前の光景に圧倒されている俺の方をキッと睨んできた。
「おい、少年。こちらに来なさい」
「え、え、あ、はい」
黒猫の鋭い声が俺に突き刺すように放たれた。咄嗟に敬語で答えてしまう。
人外である黒猫にそんなことを言われるとは、中々に変な気分だ。しかも、先程まで諭すような言い方に対し最後だけ敬語になっていた。
……こえぇ。
「…………」
隣の椅子に座っている少女が無言の圧をかけてくる。こちらもこちらでこえぇ。ヤバいぞ、前には謎の威圧感を放つ奇怪な黒猫。横には獲物をどう残虐に食ってやろうか、という攻撃的な鋭い視線を向けてくる少女が見ている。最悪だ。最悪だぞ、これ……。この人生で二番目ぐらいに最悪だ。
「うーむ……やはり……」
「ん?」
「少年、君は、魔法、という言葉を信じるかね?」
魔法、と言う言葉を強調した黒猫は、とても意志の強い瞳をこちらに向けていた。もし、動物にも感情と呼べるものがあるとしたら、今のこの黒猫はねこじゃらしを眼前に置かれて興味を示している状態なんだろうな。
だが、この黒猫には残念なことだろうが、俺はこう答えるしかなかった。
「いや、信じはしないな。そんなものがあるなら、この世界は更に楽しいものになっていたさ」
「ふむ……そうか」
黒猫はそう言って、ため息をついた。ように見えた。やはり、ご期待に添えない答えだったらしい。
だが俺はそれよりも、この黒猫に聞いておきたいことがあった。
「質問、いいか?」
「なんだ?」
「なんで、黒猫がしゃべってるの?」
そう言った瞬間、プッと黒猫が吹き出した。なんで笑われたのかは解らないが、なんだか不快だな。
対し、横にいる少女は仏像のように無表情で動かない。だが、チラチラとこちらを何回か見ていた。怪しがっているのか。それか俺がここにいると不快なのか。俺にはよく解らない。
「いや、まぁ、魔法を信じない者が見たら不思議には思うはずだ。いや、久々に笑えたよ」
「……こっちとしたら、早く質問に答えてほしいんだが」
「ふふふ、いや、すまないね。だけど、君があまりにも私と普通に話しており、かつ冷静に問答をしてくれていたから、てっきり私と言う存在を理解しているかと思っていた」
確かにそう思われても仕方がないだろう。それほど自然に接していたのも事実なのだから。
だが、そこまで笑わなくてもなぁ……。
「まぁ、いいじゃないか。彼はたしかに異端者だが、君ならなんとかできるだろう?」
「……そうね」
隣にいた少女は、小さく、絞り出すかのような声でそう言った。まるで、脅されているかのようにも聞こえたが、そんなことはないだろう。
「そういうわけだ。今から、君たちにはコンビを組んでもらう」
「は?――――ッ!?」
いきなりの黒猫の宣言に俺は驚きの言葉を出してしまった。しかし、いきなり横にいる少女が、ドンッとひじ打ちを腹にしてきたので、それ以上の言葉が出なかった。
「黙ってて」
「くっ……」
こいつ、なんて力してやがる。常人とは思えないぞ。しかも女だ。さっきの一撃は不意打ちとはいえ、一瞬だが呼吸が出来なくなった。
これが、魔法なのだろうか。いや、俺の想像していたものとはかけ離れているが、これがもしそうであるならば説明はつく。とりあえず、現状は黙っておいたほうがよさそうなので、口を閉じることにした。
「なに、少年。そこまで驚かなくてもよい。全てはそこの少女、光に任せればよい」
「そう、なのか?」
と、俺はそのヒカリとやらの方を向くと、ギンっと先程よりも強い眼力でこちらを見てきた。こえぇよ。確かに、任せてもいい気がしてくる。
「君たちには、この学園生活中にゲームをしてもらう。そして生き残った者には、願いを与えよう」
「へぇ……いーじゃん」
「…………」
「まぁ、これ以上のルールを教えるには条件があるのだがね。魔物を一匹、倒せたなら私に質問をしていい。一匹につき一問、だがね」
なるほど。その魔物とやらを倒せば、このゲームのルールを解明できるということか。
いいな、それ。悲しい青春になりそうだと感じていた学園生活が、楽しいものに変わる可能性があるのか。
「面白そうだな、それ」
「っ!? さっきから聞いていたけど、やっぱり駄目! こいつは、何も理解していない!!」
俺がそう言うと、突然、横の少女が立ち上がり、俺を指さしながらそう怒鳴ってきた。その表情は、この場で初対面である俺を、本気で心配しているように見える。
だが、その心配は俺にとってはいらないものであるのだが。
「理解はしているさ。ようは、その魔物とやらを、倒していけばいいのだろう?」
「命がけなのよっ!!」
その時、初めてこいつは椅子から立ち上がり、俺の胸ぐらを力強く掴んだ。そして、必死で、怒っていて、それに増して、悲しそうな顔をして、俺を睨みつけていた。
力は先程よりも弱く感じる。なんなら、俺が少しでも力を入れれば、簡単に振りほどくことが出来るだろう。でも、それじゃいけないよな。
あの人も言ってたし。
「先人は言った。まずは生きろ、と」
「えっ?」
「そのためにどんな手でも使ってでも生きろ、と。俺の命の恩人の言葉だ」
そうあの人が言っていたことを言うと、少女は胸ぐらを掴んでいた手の力を少しずつだが抜いていった。俺なりの決意を、理解してくれたと思いたいな。
「まぁ、俺の命はなんとか守るさ。だから、心配すんな」
「……死んでも、知らないわよ」
そう言って、俺から手を放した少女は、俺の顔を一瞬見て、そして黒猫の方へ振り返った。その行動に、迷いなど見られなかった。
「ゲームの参加、受けさせてもらう」
「その言葉を待っていたよ」
そう黒猫が言うと、瞬間、大きかった部屋が音を立て始めた。そして共に揺れが生じる。地震かと思えたが、そういう感覚ではない。むしろ部屋全体が歪んでいく……例えるなら、圧迫されていくような奇妙で不可解な感覚だ。部屋がどんどん、縮んでいく。
「なんだっ!?」
「黙って」
俺がこの状況に動揺している中、少女は冷静に、俺を制していた。表情に変化はない。ただその現象を受け入れ、危険性を図っているように見えた。
今の俺では、こいつに言い返すことはできない。この現象を理解しているこいつに従う方が無難だ。
「待っていれば、大丈夫よ。私たちに危害を加える魔法じゃない」
「そうなのか?」
「まず、これは攻撃ではなく召喚魔法。だから、これ自体に攻撃性があるわけではない」
彼女の中では丁寧に、俺に解るように説明したようだが、魔法というものがよく解っていない俺にとって、それはなんというか……曖昧すぎた。とりあえず、攻撃性がないようなので安心はしたが。
すると、少女の言うとおり、少し時間が経つと揺れが少しずつ収まり、そして最後にはガタンッという大きな音を立て、揺れが収まった。部屋は人が三人ぐらいまでしか並べなさそうなほど狭くなり、猫がいた場所には古びた教卓があった。そして、その上に、置物の黒い猫がいた。勿論のことだが、生きていない。ただの、ガラスでできた黒猫だ。
「……外に出ましょ」
その光景を見てどう思ったのかは定かではないが、明らかに沈んだ声を出した少女は、俺の方を見ずに扉の方を向きながらそう短く言った。
「あ、あぁ」
未だに圧倒されていた俺は、そう短く言い放った少女に釣られるように、この摩訶不思議な部屋を後にした。
黒猫が、ニャオンと鳴いた気がした。