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二度目の初恋  作者: 橙子
7/14

雑踏と潮騒と



 ゴールデンウィーク。一般的には大型連休と言われる連休の初日、珠美を含む、奈美、早苗、由梨香、近藤、池田、橋本の六人で、家から学校までの間にある駅のそばの繁華街に繰り出していた。


「結構面白い映画だったな」


「監督がアクションもの初挑戦って話だったから、どうなることかと思ってたけどな」


「俺は主演が主演だから、そんなに心配してなかったけど」


 近藤と池田、橋本は共にでかけるのは初めてだというのに────まあ珠美や由梨香などを介して学校では話したりもしていたが────すっかり意気投合したようで、以前からの友人たちのように話していたので、珠美はホッとする。奈美と早苗、由梨香は言うに及ばずだが。


「あの男優さんカッコよかったーっ」


「ねー、あんな風に助けに来られたら、ヒロインじゃなくても惚れちゃうわよねー」


「やっぱ女ってああいう風に助けに来る男に憧れるもん?」


「そりゃあ、あれだけのイケメンが自分以外目に入らないって感じで駆けつけてくれたらねえ」


「えーっ 宮原でもそう思うのか? 意外ーっ」


 「宮原」とは、由梨香の名字である。


「どういう意味よ、それっっ」


「だって斎藤と塚本はともかく、お前と越野は王子なんて待つタイプじゃねーだろー」


「だよなあ、たとえ捕まっても、相手の隙をついて自力で逃げてきそうだよなあ」


「悪かったわね、早苗や奈美ちゃんみたくか弱くなくて。ったく、失礼な男どもだわ、ねー珠美」


「ホントにねえ。あたしらを何だと思ってるのよ……」


 珠美の語尾が小さくなったのには訳がある。ふと顔を向けた方向の十数メートル先に、見覚えのある存在が歩いているのに気付いたから。


「さて、同じ方向なのはー…俺と近藤と塚本か?」


「ほんであたしと橋もっちゃんと奈美ちゃんと珠美が一緒、かな」


「あたしと由梨香ちゃんは途中で電車降りなきゃだけどね」


「まだ明るいとはいえ、一応夕方だしな。そろそろ帰るか。女連れであんまり繁華街をうろつくのもなあ」


「だな。駅あっちだったよな。…って、越野、どうした?」


「ごめん、あたしちょっと用事思い出したから先行ってて。間に合ったら同じ電車に乗るから」


 言うと同時に、珠美は皆とは違う方向に向かって早足で歩きだしていた。


「まあお前なら心配ないとは思うけど…あんま遅くならないうちに帰れよー?」


「何かあったら携帯に連絡しろよ、すぐ行ってやるから」


「うん、ありがと。じゃ、みんなまたねっ」


 最後はほとんど言いながら小走りで走りだしていて、皆が首を傾げるさままで珠美は見ていなかった。それほどに、気がはやっていたから。


 正面からこっち見た訳じゃないけど…あれは確かに潮だった! 近藤くんたちの話では、家はこの駅のへんじゃないってことだったけど…。


 追いついて、どうするかなんて二の次だった。ただ、独りで確固たる目的もなさそうに歩いていた潮が気になって、そのまま放っておくことなどできなかったのだ。潮本人の話と兄の翔の話を総合するに、潮には現在の家族や家の中で心を落ち着かせる場所がほとんどないように思えた。偽善と言われればそうかも知れないが、一度は親友とさえ認めた人物がそんな辛い思いをしているなんて、「自分には関係ない」なんて珠美には切り捨てることができなかったのだ。


「あ、れ…?」


 潮の向かった先を追ってすぐ来たはずなのに、いつの間にか潮の姿が見えなくなっていることに気付いた。


 どこ…行ったんだろう?


 潮との間にはいくつかの店があったから、そのどこかに入ったのかも知れない。間にあったのは、若い年代向けの衣料品店に、靴屋に本屋にゲーセンに…どこに入ってもおかしくはないから、戸惑ってしまう。以前ならいざ知らず、いまの潮が興味を持ちそうなものなんてほとんどわからなかったから。適当な店に入ってみようかとも思ったが、自分が入っている間に潮に出ていかれたら元も子もない。どうしたものかと考えていたその時、珠美に突然かけられる声があった。


「ねー、彼女ー。ひとりー?」


「暇ならさ、俺らと遊ぼうよー」


 横目でちらりとそちらを見れば、同年代の、いかにもちゃらそうな二人組。慌てることなくあっさりと言い切る。


「悪いけど暇じゃないの。よそあたって」


 一息で言い切って先に行こうとする珠美の前に、片方の男が立ちふさがる。たいていの奴ならああ言えばさっさと諦めるのに、どうやらこの連中は空気の読めない連中だったらしい。


 ああ面倒くさい、こっちは忙しいってのにっ


「暇じゃないって言ってるでしょ、そこどいてよ。あたし、忙しいんだからっ」


「またまたー。暇そうに、どこの店に入ろうか悩んでたじゃーん」


「それは別に暇だったからじゃなくて、人を探してたからよ。わかったらさっさとどいてよ」


「いいじゃん、そんなめんどくさいことやめてさー、俺らと遊ぼうよー」


「大体、そんなわざわざ探さなくたって、いまの時代ケータイっていう便利なものがあるんだから、それで呼び出せばいいことじゃーん。語るに落ちてるよ?」


「お前、頭いいなっ」


「だろ?」


 いわゆるドヤ顔の男のニヤけた表情が気に障る。世の中、そんな簡単に携帯番号を知ることができる関係の人間たちばかりじゃないということを教えてやりたいが、こいつらのことだ、「ならそんな薄情なヤツほっといて自分らと遊ぼうよー」などと返してくるに違いないのだ。それに、こんな単なる行きずりのような奴らに潮とのことをおいそれと話したくない。親しい連中に何と言われようが、珠美の中では潮はいまでも大切な存在なのだから。


「世の中には、あんたらには理解できない事情もあんのよ、だからあたしのことは放っといて!」


 そう言って男たちを振り切ろうとするが、なかなかしつこい男たちは、バスケットボールのディフェンスよろしく、珠美の行く手を遮ってきてなかなか進むことができない。


 ああもうっ こいつら痴漢ですって叫んでやろうかしらっ


 そんなことを珠美が思いかけた、次の瞬間。


「────俺の連れに何か用か?」


 響き渡る、低い声。その声にはちゃんと聞き覚えがあって……。


「……潮っ!」


「何だ、マジで連れがいたんかよ」


「しらけんなー、行こうぜ」


 珠美は最初から断っていたというのに、何という言い草だ。それにしても、連れ────というと語弊があるが────が女でなくてよかったと思う。もし女だったなら、「二対二でちょうどいいじゃーん」などと言って、更にしつこくつきまとわれただろうから。


「こんなとこで、何やってんだ?」


 男たちが完全に見えなくなってから、潮が口を開く。その声にハッとして、珠美は我に返った。


「あ、たまたま近くを通りかかったところで、潮の姿を見かけたから…追っかけてきたんだけど、この辺で見失っちゃって。どこの店に入ったのか考えてたら、変なのに声かけられちゃって、困ってたところ。……助けてくれて、ありがとう」


「別に助けたつもりはないけどな。知ってる奴が変なのに絡まれるのを見て助けないで何かありでもしたら、後味が悪いからな」


 あんなことを言っているけれど、潮の根っこの部分は変わっていないことを、珠美は確信していたから。唇に笑みを浮かべて、そのまま立ち去ろうとする潮の隣に並んで歩く。


「…何だよ。自由になったんだから、さっさと帰ればいいだろ。こんなとこウロウロしてると、また変なのにつかまるぞ」


「うん。だから、駅まで送って」


 にっこり笑って言うと、潮はとたんに苦虫を噛み潰したような顔になった。


「何勝手なこと言ってんだ」


 迷惑そうな声と表情で言いながらも、潮はそれ以上珠美を突き放そうとはせず、まっすぐに駅の方向へと向かっていく。やはり、潮の本質は変わっていないのだと思うと、嬉しくなる。かといって、それ以上話題も見つからなくてつい潮の手元に視線を落とすと、先ほど本屋で買ったものらしい紙袋が目に入った。


「…本屋さんに行ってたの?」


「ああ。ちょっと参考書が欲しくてな」


「ゴールデンウィーク初日だっていうのに、精が出るわねー。そういえばそっちは何しにこのへんに来てたの? あたしは友達と映画観に来てたんだけど」


「図書館で勉強。家にいたってすることもないし、よけいなこと言われるだけだしな。成績が少しでも落ちればまたうるさいこと言われるし」


「…………」


 以前、奈美たちから聞いたことがあった。中等部時代から潮の成績はほとんど学年トップで、その座を明け渡したことなど数えるほどくらいしかないと。それでも、家族────恐らくは翔以外だろう────は文句をつけるのだろうか? だとしたら、何と傲慢な家族なのだろう。本来ならば、他のどこよりも気を抜けるはずの自宅で、潮がどれだけ気を張り詰めているのかと思うと、珠美の心も締め付けられるように痛んでくる。潮のどこか傷ついたような光を宿す瞳を横目で見ながら、彼のこんな顔は見たくないと思った。現在の潮に対する気持ちはいまだハッキリしていないけれど、あの頃のように笑ってほしいと思っている自分に気付く。


 だから、強引だとは思ったけれど話題を変えることにした。


「あ、そうだ。勝手ついでにさ、携帯の番号とメルアド教えて? また学外であんたを見かけたら、あたしまた追っかけて行っちゃうだろうから、変なのに絡まれた時に助けを呼ぶために」


「俺に助けさせること前提かよ」


「『何かありでもしたら後味が悪い』んでしょ?」


 最上級の笑顔で言ってやると、潮はますます不機嫌そうな表情をして見せた。けれど、先ほどまでの表情とはまるっきり違う、呆れを含んだような表情だったので、珠美はホッとする。


「ほらあたし、あんたも知ってる通り、か弱い乙女じゃない? 力ずくで来られたらさすがに勝てないもの」


 以前潮がはたらいた不埒な行動を思い返しながら意趣返しを兼ねて言ってやると、潮は一瞬居心地の悪そうな顔をしてから、即座に切り返してきた。


「男相手だろうと頭突きかましてくるような女がよく言うぜ」


「何よう、あの時は怖いのを我慢して、一生懸命自分を奮い立たせてたんだからねっ」


 言ってはみるものの、潮の自分を見る目は胡散臭いものを見る目に変わっていた。まあ自分でも無理があるとは思うが。


「潮が教えてくれないなら、広崎先輩にでも訊いちゃおっかな~」


「あーもう、わかったよっ だから兄貴とよけいな接触をするなっ」


「わかればいいのよ、わかれば~」


 男の子とメルアド交換なんて、何度でもしたことがあるのに。いつものように、気軽に訊くことができない。珠美の内心が、まるで荒れ狂う海のように落ち着かないでいることに、きっと潮は気付いていないだろう。何故だろう。誰でもない、潮だから? 他の男友達と何が違うのか、珠美にはわからなかった。


 赤外線通信で簡単にやりとりをした後は、潮は素っ気ない声で「行くぞ」と言っただけで、珠美を振り返ることなくまたすぐに歩きだしてしまった。それでも、携帯のアドレス帳を眺める珠美は、嬉しくて仕方なくて。潮のメールアドレスに、あの頃一緒に遊んだ故郷の海を思わせる言葉が入っていたことも、一因といえる。やはり潮はあの頃のことを大切に思っていてくれたのだと、そう思えたから。


 声もなく微笑んでから、早足で潮の隣の位置に戻る。


「夏になったらさー、また一緒に海行かない?」


「誤解を招く言い方をするな。以前行ったのはガキの頃の話だろうが」


「いいじゃん、別に誤解されたって」


「俺が困るんだよ!」


 そんな風に、他愛のない話をしながら歩いていたから。珠美も、恐らくは潮も、少し離れたところから自分たちを見つめる存在があったことに気付かなかった。相手の表情も視線も、邪悪なものを含んでいたことに。まるで、気付かなかった…………。




    *      *       *




 潮が家に帰り着いたのは、いつもの図書館帰りより少し遅めの時間で。恐らくは夕食を一緒に摂ろうと思って待っていたらしい翔に声をかけられてから、初めてそれに気付いた。


「何かあったのかい?」


「いや別に。図書館のあるところの駅のほうで偶然珠美に会って、いつものあの調子でまとわりつかれて、結果駅に着くまでいろいろ引っ張り回されただけだよ」


 そう。潮はあのまままっすぐ駅に向かうつもりだったのに、珠美ときたら「あの服が可愛い」だの「あの品をもうちょっと近くで見てみたい」だの言い出して、あちこちの店に寄りたがったのだ。まったく、「女の買い物は裁判より長い」とはよく言ったものだ。実は珠美としては、せっかく学外で出会えた潮ともう少しだけ一緒に過ごしたかったための苦肉の策だったのだが、潮がそれに気付くはずもなく。潮よりいくらかは他人の心の機微に敏感な翔がそれに気付いていたらしいことも、知る由もない。


「でも何だか、いつもの帰宅の時より肩に力が入っていないように見えるよ。越野さんが適度に息抜きさせてくれたのかな?」


「だからっ あいつはそういうんじゃなくてっ」


 反論しようとしてみても、翔の嬉しそうな笑顔は変わることはなくて。潮はすぐに言っても無駄だという結論を出した。


「…荷物、部屋に置いてくる」


「行っといで。僕は秋さんに食事を温めてもらうよう言ってくるよ」


 「秋さん」とは、翔や崇が幼い頃からこの家で雑事全般を取り仕切っているという────何しろ彼らの母親はもともとお嬢さま育ちで、洗い物のひとつもしたことがないというのだから呆れてしまう────彼ら兄弟の母親か祖母といった感じの女性だった。潮も、この家に引き取られてからは彼女にはとても世話になった。この家の中で、潮に何のわだかまりもなく優しく接してくれる、翔以外の唯一の人物だったから。


 そういえば…何年ぶりだろうな。何の気負いもなしに誰かと街中を歩いたのなんて。


 一応学校内にも友人らしきものはいる。けれど、複雑な家庭環境を知られるのが嫌で、どこか距離を置いて接していたから。現在の潮に、気を抜いて話せる相手はほとんどいないに等しい。いったいどうして、こんなことになってしまったのだろう。珠美と、そして母親と過ごしていた頃は、こんな未来が待っているなんて一度も考えたことはなかった。何も知らなかったあの頃には、二度と……還れはしない。


 そんなことを考えていた潮の鞄の中から、突然伝わってくる振動。図書館に行ったり電車に乗ったりもしたから、この家の中で下手に着メロなどを流すと、ここぞとばかりに攻撃してくる人間もいることからずっとバイブ機能のみにしていた携帯だった。翔以外からは滅多に着信をしないそれに驚きながら────何故なら翔は同じこの家の中にいるのだ、わざわざ携帯で何かを報せてくるはずもない────それを手に取ると、着信していたのは電話ではなくメールで、しかも画像まで添付されている。スパムかウィルスかと思い削除しかけたところで、今日番号とメルアドを交換したばかりの珠美のものと気付く。件名はただ、「潮へ」。つい一時間かそこら前に別れたばかりなのに、一体何の用だろう。そう思って添付画像を開いた潮は、次の瞬間、呼吸するのを忘れてしまうほどに驚いた。


「……!」


 それは、いまはもう記憶の中と秘密でしまい込んでいるアルバムの中にしかない、懐かしい風景。もうこの目で見ることもないだろうと思っていたそれは、潮の心を一瞬にしてあの頃に引き戻す。幼い頃────まだ母や珠美と共に幸せな日々を過ごしていたあの頃に。


『あたしがあっちから引っ越してくる時に撮ったものだから、いまはもっと変わっちゃってるかもだけど。これを見て、少しでもあの頃を思い出してくれると嬉しいな』


 いつもの潮だったなら、「よけいなことをするな」と言ってしまいそうなメールだったが、この時は何故だか、素直な気持ちでそれを見ることができた。返信は、しなかったけれど。



 そしてこの晩の潮が見た夢は。幼い子どもの頃に戻って、母や祖父母たち、珠美を筆頭とする当時の友人たちに囲まれて海で戯れている、とても幸せなものだった…………。

潮にとっては、懐かしくもせつない遠い日の夢。

少しでも潮の心が癒されることを願う珠美の想いは、いつ彼に届くのか…。

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