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二度目の初恋  作者: 橙子
11/14

動き出す、もの

長らく間を空けてしまってすみません。これからはもう少しペースを速めたいと思っています。



 それは、いつもと変わらない休日の午前のはずだったのに。


「潮、図書館に行くんだろう? 一緒に行こう」


 家を出るところで珍しく翔に声をかけられて、共にでかけたのが始まりだった。


「兄貴? 図書館ならこの駅だぜ、降りないのか?」


 乗っていた電車がいつもの目的地に着いたところで、翔はいつもと変わらない穏やかな笑みを見せた。だから、あんなことを考えていたなんてまったく気付けなかった。


「うん、その前に行きたい所があるんだ。だから、潮もつきあってくれないか」


「別にいいけど…」


 もしもあんなことを企んでいると知っていたら、絶対に翔の言う通りになどしなかったというのに…!


 初めて降り立った駅の近くのケーキ屋で、それほど悩む様子もなくケーキを選んで買っているあたりで、ようやくおかしいと思い始め、その後はどれだけ質問しても「いいからいいから」と答えになっていない答えを返して、半ば無理やり自分を連れて見知らぬ道を進み始める翔を振り切ってでも逃げるべきだったと、潮は後に思いきり悔やむこととなった。よもやまさか、その最終目的地が珠美の家だったなんて!


 小学生の時に別れた後、珠美の家のほうも引っ越したという話だったから、不覚にも表札を見るまで気付けなかったのだ。気付いた時には既に翔がチャイムを鳴らした後で、その後は昔から可愛がってくれていた珠美たちの両親に大歓迎を受けてしまって、逃げるどころではなくなってしまったのだ。恐らくは、翔もそれを見越してのことだろう。潮が、いまの家に引き取られる前の知り合い────それも珠美のような同年代ならともかく、明らかに目上の相手を、だ────を決して邪険にできないことを知っているからこその……。


 その後は、一瞬たりとも気が抜けなかった。珠美の両親に何か訊かれるたびに、いまやすっかり身に染みついた処世術である当たり障りのない笑顔と話術で、巧みにその場を切り抜けてきたが、さすがに実の母のことをよく知っている人たちの前では、表向きの理由────学校や広崎家の周囲の人物に語っている、「身体が弱かったために親類の元で療養していた」という理由だ────は使えないので、一瞬言葉に詰まったところで、隣に座っていた翔が無理のない表向きの理由を代わって告げてくれる。先の様子からして、あらかじめ考えていたのだろう。恐らくは真相に気付いているであろうに、珠美の両親はそれを信じたかのように無難に受けとめてくれる。何があっても、珠美や光枝同様、この人たちは自分を見捨てないでいてくれるかも知れない。そんなことを、ふいに潮は思った……。



 その後は、ほとんど翔と光枝にはめられて(?)、珠美とふたりきりで彼女の部屋で勉強することとなった。まさかの展開で、内心で焦ってしまうが、これまでの数年間で培ってきたポーカーフェイスで、そんな感情は表には出さない。


「何で休みの日にわざわざ勉強しなきゃならないのよーっっ」


「休みで時間があるからこそやるんだろ。そうでもしなきゃ、他の奴にどんどん差をつけられるぞ。これは俺の予想だけど、お前、赤点はとらないもののスレスレの低空飛行の成績なんじゃないのか?」


 その予想は当たっていたようで、珠美はぐ…っと言葉を詰まらせた。


「この際だ、全教科まとめて面倒見てやるよ」


 その言葉は珠美には大いに心揺さぶられる提案だったらしく、かなりジレンマに陥っているらしい複雑な表情を見せたので、思わず笑ってしまいそうになるのを懸命に堪える。やっぱり、思ったことが何でも顔に出るところは変わってないのだな、とそっと思う。決して表には出せないが、この春再会して以来、珠美のこういうところにホッとしたことが何度もあったことは、まぎれもない事実で……。


 テーブルを間に挟んで、向かい合って座る。教科書とノートを開いてシャーペンを持つと、さすがに珠美も覚悟を決めたらしく、神妙な顔になった。珠美は頭が悪い訳ではなく、単にやる気にムラがある時があるらしい。その気になれば決してできないことはないのに、その気になるまでが長いのか、モチベーションが持続しないのかのどちらかだろう。


 そして、英語にとりかかっていた時、ふいに珠美が質問してきた。


「この単語って、こっちの文章で使われている時とこっちのとでは、また意味が変わってくるの?」


「ああ、それは…あ、辞書持ってきてなかった。図書館なら置いてあるからなあ」


「あたしのでよければ見る? もっと上級向けのがよければ、おねえから借りてくるけど」


「いや、とりあえずそれを見せてくれ」


「はーい」


 言いながら、座布団の上に腰を下ろしていた珠美が、わずかに腰を浮かせて脇の本棚へと四つん這いで向かっていく。それを何気なく目で追っていた潮は、思わずどきりとしてしまった。そりゃあ休日の自宅なのだから何を着ていても珠美の勝手だが────誤解のないように言っておくと、珠美が普段着らしいカットソーの下に穿いていたのは、別にミニスカートのような露出の高いものではなく、比較的身体にぴったりとしたラインのジーンズだ────身体に密着しているがために、腰から尻、太腿までぴったりと張り付いて、そのラインをまざまざと潮の眼前に見せつける。年頃の少年には強過ぎる刺激に思わず何も言えなくなってしまった潮に、何も気付いていない珠美が振り返って声をかけてくる。


「なーにー? どうかした?」


「いや、何でもない…」


 それだけを答えるのが精いっぱいだった。いささか目の毒に過ぎるものを前に、潮はテーブルの上で開いていたノートに視線を落とし、懸命に文法を頭に叩き込む。珠美はほんとうに何もわかっていないらしく、無防備な様子で本棚から辞書を取り出している。少しは年頃の娘としての危機感を自覚させてやろうかとも思ったが、自分がそんなことを考えていると知られるのが気恥ずかしく、更に珠美に軽蔑されるかも知れないと思ったとたん、そんな気持ちはあっという間に霧散してしまった。くだらない男の見栄だと思いつつも、珠美の前ではまだ虚勢を張っていたかった。


「で、辞書はあったのか?」


「あ、うん、これ」


 それを受け取って該当する単語のページを開いて、小さく息をついて頭を勉強モードへと切り替える。


「いいか、説明するぞ。この単語はこういう風に動詞の前につく場合…」


 そして、とてつもなく健全に時が過ぎていく……。





          *    *     *





 それから、一週間近く経った日の放課後。珠美は由梨香、早苗と共に野球部やサッカー部が練習をしているグラウンドのそばの歩道を歩いていた。


 二人の男子────それも片方は中学時代から友人として親しくしていた相手だ────から告白されて、恐らくはどうしていいかわからず恐慌状態に陥っていたであろう早苗が、ようやく重い口を開いた。


「……やっぱり…ちゃんとしなくちゃいけないよね…?」


 一瞬何のことを言い出したのかわからなくて、由梨香と顔を見合わせてしまう。


「池田くんと…吉澤くんのこと……」


 「吉澤」とは、早苗に最初に告白してきたという同じクラスの男子の名だそうだ────由梨香からの情報だが。


「そ、そんなにさ、無理に急いで結論出さなくてもいいんじゃない?」


「そうだよ、吉澤くんだって『ゆっくり考えてくれ』って言ってたじゃん」


「それに池やんだって、いままでずっと表立って意思表示してきた訳でもないんだし、急がせるつもりなんてないと思うよ」


 必死に早苗の気持ちを少しでも軽くしようとしていた二人だったが、脇から数人でこぞってやってきた女子たちを見て、思わず眉をひそめる。そして、早苗が気付くより早く早苗の盾になるように女子たちの前に立ちはだかった。


「…あたしたち、そこの塚本さんに話があるんだけど。部外者はどいててくんない?」


「!!」


 早苗が振り返ると同時に、由梨香が挑発的な笑みを浮かべて応じていた。


「へえ~、一対多数、しかもこんなおとなしい子をつかまえて『話』ねえ。いったいどんな話をする気かしら?」


「あなたたちには関係ないじゃない!」


 先頭に立っている女子とは違う少女が声を荒らげる。


「あるわよ。どうせ例の『吉澤くん』とやらと池田くんについて、でしょ? 吉澤くんは知らないけど、池田くんはあたしたちの友達でもあるのよね。だったらまるっきり関係ない訳でもない訳よ」


 余裕しゃくしゃくで言ってのけた珠美に、少女たちがきり…と唇を噛みしめる気配。上級生相手でも見事に撃退してみせた珠美は、全校生徒の中でも有名人になってしまっているといっていい。そんな珠美が間に入っているのでは、たとえ数では勝っていても勝算は薄いとでも思っているのだろう。


 とりあえず、ここでは目立つからと少し端に寄ることを提案して移動を果たしたとたん、あちらから飛ぶ先制攻撃。


「塚本さんさあ、いくら二人に同時に告られたからって、一週間も経つのにいまだ返事なしって失礼だと思わないの?」


「あのさ、話の腰を折るようで悪いけど、それって池田くんか吉澤くんのどちらかに訊いてくるように頼まれた訳?」


「そ、そういう訳じゃないけど…っ」


 だろうな、と珠美は思う。早苗の性格を知っていて好きになるような相手が、そんなことの返事を急かすとはとても思えないからだ。昔からよく知っている池田はもちろん、話したことさえない吉澤も、そんな性格だとは到底思えない。


「ならさ、あんたたちがそうやって詰め寄ってくること自体、筋違いだと思わない?」


 間髪入れずに由梨香が言ってのける。


「で、でも、二人とも絶対辛い思いしてるに決まってるわ、なのにその子はのうのうと返事を引き延ばして…!」


「うっさいのよ、この余計なお世話集団!」


 珠美の鋭い一喝に、付近を歩いていた関係のない生徒たちの動きも止まる。


「な…っ なんですってえ~っ!?」


「早苗の気持ちも考えたことあるの? いままで意識もしてなかったクラスメートや中学からの友達にいきなり告られて、パニック起こさない人がいるとでも思ってんの!?」


「でなくても、あたしや珠美みたくたくましい性格でもない早苗のことだものねえ、余計なことまで考えちゃって、悩んで悩んで悩みまくるでしょうねえ」


 由梨香の言葉は見事なまでに正鵠を射たものだったので、思わず吹きだしてしまう。


「結局さあ、早苗がモテるのが気に食わないだけなんでしょ? もしかしたら池やんか吉澤くんを好きで嫉妬してるって子もいるだろうけど、とどのつまり複数の男にモテる早苗への嫉妬な訳だ。それってすべてにおいて早苗に負けてると証明してることになる訳だけど、自分でそれわかってる~?」


 珠美も同じことを思ったが、由梨香の言葉は非常に容赦がない。小学生の頃は肉体派だった珠美と違い、ずっと舌戦で相手を叩きのめしてきた由梨香は、いざとなれば珠美以上に辛辣だ。それをよく知っている珠美は、内心で目前の女子たちに同情してしまう。あくまでも内心で、だが。


「言わせておけば…っ」


「黙ってることないじゃない。ハッキリ言えば? 私たちはこの子に嫉妬してますってさ」


「この…っ!」


「口で敵わなければ、お次は暴力? いいわよ、いくらでも受けて立つわよ。多勢に無勢だものね、いくらやっても正当防衛になるのがわかってて、遠慮するほどあたしもバカじゃないんでー、やるなら思いっきりやらせてもらうわよ?」


 実はこっそりストレスもたまってたしー。


 これは、内心で呟くに留めておく。潮への想いなど、誰にも明かすつもりはなかったから。


「調子に乗って…! だいたいあんたたちも前から気に入らなかったのよ!」


「はい、嫉妬確定宣言入りましたー」


 茶化すような由梨香の言葉に、珠美は堪えきれずに吹きだしてしまった。


「ゆ、由梨香ちゃん、珠美ちゃん、あたしなら大丈夫だから、もうやめて……」


 さすがにいたたまれなくなったらしい早苗が、二人に弱々しい声を投げかけてくる。


「『大丈夫』じゃないでしょ、そんなに真っ青な顔して震えて」


「正々堂々と話しに来る一人が相手ならあたしたちも黙って見守るけど、明らかに数頼みの卑怯者だもの、あんたは気にしないでいいの」


「卑怯者ですってえっ!?」


「事実じゃない。もしそうじゃないと思ってるなら、好きな男の子の前ででも堂々と文句言いに来れるはずでしょ? それをこそこそとこんな見られる心配のない時と場所を選んでる時点で、もう自分たちのやってることは卑怯なことだと自覚してるも同然じゃない。何ならいまからでも呼び出せるだけのクラスの人や先生方でもギャラリーでご招待しましょうか!?」


 その言葉に、少女たちが口ごもる。やはり、自覚というか言った通りの心境での特攻だったようだ。つくづく、早苗を独りにしないでいてよかったと珠美は思った。自分や由梨香と違って、繊細で優しい早苗のことだ、こんな連中に多勢に無勢で色々されたり言われたりしていたら、不登校にでもなりかねなかっただろう。


「そんな卑怯者が何を言おうが、痛くも痒くもないわね。あたしたちにはやましいことなんてひとつもないしー」


「な、何よ、ちょっとぐらい可愛いからって調子に乗って!」


「あら、あたしたちのこと少しは可愛いとか綺麗とか思ってくれてたの? 嬉しいわねえ、嫉妬に狂った同性からの賛辞だと思うととくに」


「この…!」


 先頭に立っていた少女の片腕が振り上がったのを確認し、応戦するため瞬時に態勢を整えた珠美と由梨香だったが、いつまでも振り下ろされない────というか、その場で凍りついたように動きを止めた相手を不審に思い、その視線の行く先をたどりながら振り返ったその時。珠美は、信じられないものを見た。


「え……」


 その視線の先に立っていたのは、池田と橋本。橋本は気付いていないようだったが、池田はまっすぐにこちらを見据えていて…腕を振り上げたままの相手を筆頭とする少女たちに対して、鋭い眼差しを向けていた。その眼光も表情も、いままで彼が見せたことがないほどに冷たく鋭く、もし自分があんな目で見られたら、たちまち全身が竦んでしまうだろうと思えるほど、苛烈なものだった。それを向けられている当人ではないはずの珠美と由梨香でさえ、一瞬頭の中が真っ白になってしまうほどに。


 そんな眼差しを向けられている当の少女たちの心境は、やはり珠美と由梨香のそれとは段違いだったらしく、とたんに勢いを失ってざわつき始めている。腕を振り上げていた少女さえも、その行き場を見失ってゆっくりと腕を下ろしてどうしていいかわからないでいるようだった。


「池やん……」


「えっ」


 由梨香の呟きに反応した早苗が振り返るのと、池田がふいと顔をそらして再び歩き始めたのはほとんど同時だった。やっと事態に気付いたらしい橋本が、「そっちはよろしく」と言わんばかりに苦笑いを浮かべ、池田の後に続くのが見えた。


 もしかして…彼────池田はいままでにもこんな風に早苗を守っていたのだろうか? 珠美にそう思わせるには、充分な出来事であった、たったいま目にした光景は。そういえば、何だかんだと他の女子に絡まれることが多い珠美や由梨香と行動を共にしていたわりに、早苗が厄介事に巻き込まれたことは少なかった気がする。もちろん珠美や由梨香も気をつけていたが、それでも目の行き届かない時もあって…。


 珠美や由梨香はもちろん、もしかしたら早苗本人にも気付かれないように、彼はずっと早苗を見守り続けていたのだろうか……。


「も、もういいわよ、行こっ」


「これからは気をつけなさいよねっ」


 どう見ても負け惜しみとしか思えない捨て台詞を残して、少女たちはそそくさと去っていく。そんな言葉など、珠美の耳にはまったく入っていなくて…。


「おとといおいで、負け犬めっ」


 由梨香があっかんべーを返した横で、呟くような早苗の声。


「……中学の時も…いまみたいに、何か言ってきた相手がいきなりどっかに行っちゃうこと、たまにあったの……もしかして…それも全部池田くんが…?」


 タイミング的に早苗が池田のあの表情を目にしたとは思えないが、早苗なりに何か思い当たることがあったのだろうか。


「だとしたら…あたし……ずっと気付かないで、ひどいことしてたのかも…」


「べ、別に池やんは見返りを期待してしてた訳じゃないと思うわよ?」


「そうそう、早苗じゃなくてあたしや由梨香だったとしても、同じようなことしてたかもよ。…あたしらが普通の女の子並にか弱ければの話だけど」


 そんなことは、ハッキリ言ってあり得ないこととは思うけれど。そのへんは、あえて口にしないでおいた。


「あたし……自分のことばっかり考えて逃げてばかりで…ずっと、珠美ちゃんや由梨香ちゃんだけじゃなく池田くんにまで甘えてたんだ─────」


 涙ながらに語る早苗に、珠美と由梨香は思わず顔を見合わせてしまう。いつもだったら、早苗が泣いてしまった時には慰めたり励ましたりするのが常だったけれど、この時の早苗には安易に声をかけられない何かを感じてしまって、何も言えなくなってしまったのだ。


 もしかしたら、何かが動き始める兆しかも知れないと、珠美は思った…………。

珠美同様、少しずつ変わっていく周囲の人たち。

皆が幸せになれればよいのですが、そうなかなかうまくいかなくて…。

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