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推しのWeb小説がエタったので、異世界で続きを書きます

作者: 歯車
掲載日:2026/10/10

「先生、サインください」


 港町の人は、みんなわたしをそう呼ぶ。わたしは先生ではない。あの物語を書いたのは、遠い国の、天才の作家だ。わたしは、訳しただけ。


 何度そう言っても、誰も信じてくれない。




   *




 最終更新、三年と二か月前。


 わたしは毎晩、寝る前にそのページを開いた。作品名『七つの鐘が鳴るまでに、あなたの騎士は帰ります 〜剣を取った王女と、振り向いてばかりの騎士と、帰りを待つ人たちの、長い長いお話〜』。作者、夜鳴きうさぎ。第三章まで掲載。最後の話のあとがきに、一行だけ書いてある。


「次回から第四章です。少しお休みをいただきます」


 少しが、三年になった。


 感想欄の最後の書き込みは、わたしだった。毎月一日に書く。「待ってます」。それ以外は書かない。重いと思われたくないからだけど、毎月書いている時点で十分重いことは、分かっている。ちなみに、恋人がいたことは一度もない。恋は、だいたい本の中でするものだった。


 先生のことは、活動報告に書いてあることしか知らない。わたしと同じくらいの年で、昼は会社で働いて、夜中に少しずつ書いている人。それだけ。




 わたしは町の本屋で働いていた。駅前の、三階建ての、そこそこ大きい店の、文芸の棚の担当。その物語は、一度だけ紙の本になった。第一章と第二章をまとめた、一巻だけ。


 正直に言うと、わたしは大好きだったけれど、人気が出るとはとても思えなかった。まず、題名が長すぎる。


 発売日の朝、わたしは段ボールを開けて、表紙を見て、少し泣いた。それから手書きのPOPを三枚書いた。「王女が、強い。騎士が、もっと強い。でもいちばん強いのは、待っている人です」。新刊の台のいちばん目立つところに、表紙を上にして十五冊積んだ。


 売れたのは、四冊だった。


 三か月後、残りの十一冊は返品の箱に入った。箱に入れたのも、わたしだった。二巻は出なかった。そのあと、Web版の更新も止まった。




 三十八回目の「待ってます」を書いた月に、わたしは店の階段で足を滑らせた。閉店後、返品の箱を抱えて降りているときだった。箱の中身が何だったかは、覚えていない。たぶん、どうでもいい本だった。そういうことにしておきたい。




   *




 目が覚めたら、インクの匂いがした。天井の梁から紙が何十枚も吊るしてあって、乾かしているのだと分かった。隣の部屋から、がしゃん、がしゃん、と重たい機械の音がした。


「ルゥ、起きたか! 熱は下がったか!」


 髭もじゃの大男が、真っ黒な手でわたしの額を触った。冷たかった。それから、わたしの額も黒くなった。


 わたしの新しい名前はルゥで、十八歳で、この髭もじゃは父で、ここは港町の小さな印刷屋だった。三日も熱を出して寝込んでいたらしい。そのあいだに、前の人生を全部思い出した。昼間は坂の上の古い貸本屋で店番をしていることも、思い出した。店主は耳の遠い婆さんで、店番のわたしに、帳場のことは全部任せている。


 印刷屋は、ひどく貧乏だった。刷っているのは、役所のお触れと、葬式の案内と、年に一度の暦。それから、表紙に騎士の絵を描いた、薄い冒険物語。どの話も騎士が竜を倒して姫と結婚する、同じ話だった。父が言うには、同じ話だからこそ売れるのだそうだ。売れているようには、見えなかったけど。


 寝床で、わたしは天井の紙を見ながら考えた。この世界には、印刷機がある。紙がある。字の読める人も、そこそこいる。そして、わたしの頭の中には、『七つの鐘が鳴るまでに、あなたの騎士は帰ります』の第三章までが、句読点の位置まで全部入っている。


 百回より多く、読んだから。数えるのは、百回でやめた。




   *




 第一章を書き出すのに、六日かかった。


 覚えているのと、紙に書くのとは、ぜんぜん違った。手が追いつかないし、この世界の文字に置き換えると、言い回しが変わる。変えたくない。でも変えないと通じない。夜中に何度も、王女の名前を書いては消した。この世界の字には、終わりを左へはねる字がある。わたしはどうしても右へはねてしまって、そのたびに父に直された。


 父は、わたしの書いた束を、作業台の上で一枚ずつめくった。


「ルゥ。これを、誰が書いた」

「遠い国の人」

「遠い国」

「すごく遠い国。もう行けないくらい遠い国の、天才の作家。わたしは、それを訳しただけ」


 嘘ではない。全部は。


「名前は」

「夜鳴きうさぎ」


 父は、しばらく黙った。


「変わった名前だな」

「天才だから」


 父は束を揃えて、作業台の端に置いた。それから、何も言わずに活字の棚へ歩いていった。


 その晩、印刷機は朝まで止まらなかった。




 薄い冊子が二百部できた。表紙には、題名と作者の名前だけを刷った。『七つの鐘が鳴るまでに、あなたの騎士は帰ります 〜剣を取った王女と、振り向いてばかりの騎士と、帰りを待つ人たちの、長い長いお話〜』、第一章。夜鳴きうさぎ作。


「長いな」と父は言った。

「先生がつけた題名だから」


 題名だけで、表紙が全部埋まった。


 店番をしている貸本屋の帳場の横に、婆さんに頼んで並べさせてもらった。初日、売れたのは三部だった。


 前の人生と、だいたい同じだった。




 だから、わたしは前の人生と同じことをした。板切れを拾ってきて、炭で字を書いた。


「王女が、強い。騎士が、もっと強い。でもいちばん強いのは、待っている人です」


 それを帳場の横の、冊子の山の前に立てた。前の人生では、POP一枚で売り上げが変わることもある、と店長が言っていた。変わらないことのほうが多い、とも言っていた。


 次の日、パン屋の娘が一部買った。その次の日の朝、パン屋の娘は目の下に真っ黒なくまを作って、また貸本屋に来た。


「第二章は」

「え」

「第二章はいつ出るの。わたし、昨日の晩、パンの仕込み忘れて、お父さんに死ぬほど怒られたの。それ、この本のせいだから」


 娘は、冊子を胸に抱えたまま、わたしを睨んだ。


「ガランが、最後に振り向いたところ。あそこで終わるの、ひどくない?」


 わたしは、ものすごく変な顔をしたと思う。ずっと、誰かにそれを言ってほしかったのだ。


「ひどいよね」

「ひどいよ!」


 その日、二人で一時間、ガランの悪口を言った。冊子は十二部売れた。パン屋の娘が、店の客に配ったのだ。代金は、あとで本人が払いに来た。




   *




 第二章が出るころには、貸本屋の前に列ができた。第二章の二百部は昼までになくなって、父が慌てて刷り増しした四百部も、三日でなくなった。


 題名が長すぎるので、誰かが勝手に縮めて呼びはじめた。「七つ鐘」。三日後には、町じゅうがそう呼んでいた。前の人生でも、そうだった。長い題名は、読者が縮める。


 読んだ人が、読んでいない人に話す。話された人が買いに来て、買った人が、また誰かに話す。わたしは帳場の中から、それを見ていた。前の人生で、十一冊を返品の箱に入れた手で、売上の銅貨を数えた。


 港の見習い騎士は、王女の剣の構えを真似して、上官に殴られた。洗濯場のおばさんたちは、ガランが本当は王女をどう思っているかで、毎朝喧嘩をした。酒場の吟遊詩人は勝手に節をつけて歌い出して、ひどい節だったけど、客は泣いた。子どもたちは、鐘の鳴る時刻になると、広場で声を揃えて言った。


「鐘が七つ鳴るまでに、帰ってくる!」


 その台詞が出てくるのは、第三章だ。まだ出していない。誰が教えたのかと思ったら、吟遊詩人だった。わたしが帳場で口を滑らせたのを、聞いていたらしい。


 ネタバレは、異世界でも防げない。




 町の新聞社の人が、印刷屋に来た。細い眼鏡の男の人で、ベルナールと名乗った。


「第三章を、うちの新聞で連載させてもらえませんか。週に一度。一回分ずつ」

「連載」

「町じゅうの人が、次はどうなるかを話している。新聞を買う理由が、一つ増える」


 週に一度、一回分ずつ。続きを待つ人がいて、更新の日が決まっている。わたしは、前の人生で毎晩開いていたページのことを思った。


「やります」

「一回、銅貨四十枚で」

「六十枚」


 作業場の奥から、父が言った。


「……五十で」


 ベルナールさんは、上着のポケットから、くしゃくしゃになった第二章の冊子を出した。貸本屋で買ったものらしかった。最後のページの、ガランが振り向くところに、指を置いた。


「ここで切るのが、いちばんずるいんですよね」


 それから、眼鏡を押し上げた。


「それで、作者の夜鳴きうさぎ先生には、どうやって許可を」

「遠い国の人なので」

「……では、あなたが代理で」

「はい。代理で」


 代理の署名は、三回練習してから書いた。




   *




 面倒なことは、だいたい人気のあとからやってくる。


 侯爵夫人のサロンに呼ばれた。わたしが朗読すると、着飾った奥方たちが、ハンカチを噛んで泣いた。それはよかった。


 そのあとが、よくなかった。


「それで、夜鳴きうさぎ先生には、いつお会いできるのかしら」

「遠い国の方なので」

「わたくし、どこへでも参りますわ。馬車を出しますから」

「馬車では行けない国なので」

「船は?」

「船でも」

「では、先生をこちらへお招きするわ。旅費は全部、わたくしが」

「来られない方なので」

「ご病気なの?」


 わたしは、少し黙った。そういえば、なぜ更新が止まったのか、わたしは知らないのだった。


「……分からないんです。わたしにも」


 侯爵夫人は、なぜかそこで、もっと泣いた。


 次の週から、町で「夜鳴きうさぎ先生は、遠い国で病の床にあり、それでも筆を取り続けている」という噂が流れた。わたしは何も言っていない。


 噂も、防げない。


 その次の週には、噂がもう一つ増えていた。


「遠い国なんて、本当はないんでしょう。先生は、あの印刷屋の娘なのよ」


 パン屋の娘まで、そう言った。


「違うの。わたしは訳しただけ」

「はいはい。謙遜、謙遜」


 貸本屋の帳場に、見習い騎士が冊子を持ってきた。


「先生、サインください」

「先生じゃないの。わたしは訳しただけ」

「じゃあ、訳した人のサインでいいです」


 わたしは、ペンを受け取った。代理の署名なら、三回練習した。表紙の裏に、先生の名前の一文字目を書きかけて、手が止まった。違う、と思った。これは許可の紙じゃない。読んだ人が、作者に会いたくて差し出したものだ。


「……ごめんね。先生の名前は、先生のものだから」


 ペンを返すと、見習い騎士は、冊子を抱えたまま、がっかりした顔で帰っていった。


 次の日には、「先生は謙遜して、サインもなさらない」と噂になっていた。




 王立学院の文学の先生だという、白い髭の批評家が、新聞に長い文章を書いた。


「港町で流行っている『七つ鐘』なる物語は、騎士道の型も知らぬ、俗受けを狙った軽薄な読み物である。王女が剣を取るなど、品位に欠ける。七つの鐘の台詞にいたっては、子どもの戯れ歌にすぎない。聞けば、書いたのは港の印刷屋の娘だという。娘の手すさびに、王都の目まで汚されるのは忍びない」


 パン屋の娘が、その新聞を丸めて、わたしのところへ持ってきた。


「燃やしていい?」

「燃やさないで。新聞、うちで刷ってるから」

「じゃあ、パンを焼く火にくべる」


 それは、止めなかった。


 わたしのことは、どう書かれてもよかった。わたしが書いたものではないし。でも、王女が剣を取るところを品位に欠けると書かれたのは、少しだけ許せなかった。あの場面で、前世のわたしは、朝まで眠れなかったのだ。




   *




 第三章の最後の回は、「王女が剣を折るところ」だった。


 新聞が出た朝、町が静かになった。


 本当に静かになった。市場の声が小さくて、洗濯場で喧嘩がなかった。見習い騎士は剣の稽古をさぼって海を見ていたし、パン屋の娘は、パンを焦がした。


 昼すぎから、印刷屋の前に人が集まりはじめて、夕方には、通りの端まで並んでいた。誰も怒鳴らなかった。誰も押さなかった。ただ、静かに並んでいた。


 先頭の子どもが、わたしを見上げて言った。


「第四章は?」


 わたしは、印刷屋の戸口に立ったまま、動けなかった。


 第四章は、ない。


 どこにもない。


 三年と二か月前の「少しお休みをいただきます」のあとには、何も書かれていない。わたしの頭の中にも、ない。百回より多く読んだのは、第三章までだ。


「……もうすぐ」


 言ってしまった。


「もうすぐ、届くから」


 子どもは、にっこり笑って、うなずいた。列の人たちも、うなずいた。


 それから、帰っていった。


 わたしは戸を閉めて、その場にしゃがみこんだ。父が、作業場から黒い手を拭きながら出てきて、わたしの前にしゃがんで、しばらく黙っていた。


「届かないんだな」

「届かない」

「なら、どうする」

「……わからない」


 父は、立ち上がって、作業台の上の、まっさらな紙の束を叩いた。


「印刷屋はな、紙が白いうちは、何でも刷れるんだ」




   *




 第四章を書くのは、書き写すのとは、まるで違った。


 夜鳴きうさぎ先生なら、ここで何を書くか。ガランは、何と言うか。王女は、どこへ行くか。わたしは、先生の文章の癖を全部書き出した。一文の長さ。会話のあとの間。人が泣く場面で、必ず天気の話をすること。章の終わりは、必ず誰かが振り向くこと。それを全部守って、第四章の一回目を書いた。


 読み返した。


 ひどかった。


 先生の文章の、形だけが並んでいた。中に、何も入っていなかった。


 いちばん書けないのは、ガランが王女をどう想っているか、のところだった。何度も、その先を想像した。でも、想像の中のガランは、いつも黙っていた。わたしは誰かを、そういうふうに想ったことがない。黙っている人の胸の中に何があるのかを、書けるほど知らなかった。


 破いて、また書いた。また破いた。紙は白いうちは何でも刷れる、と父は言ったけど、わたしの書いた紙は、白いうちのほうがよかった。




 新聞の連載の日が来た。ベルナールさんが、印刷屋の戸を叩いた。


 わたしは、何も渡せなかった。


 ベルナールさんは、何も聞かなかった。戸口で少しだけ待って、それから帽子をかぶり直して、帰っていった。責める顔ではなかった。待つことに慣れている人の、待ち方だった。


 次の朝の新聞の、いつもの場所に、小さな四角い枠が刷られた。


「『七つの鐘が鳴るまでに、あなたの騎士は帰ります 〜剣を取った王女と、振り向いてばかりの騎士と、帰りを待つ人たちの、長い長いお話〜』は、今週お休みをいただきます」


 お休みのお知らせなのに、題名が長すぎて、枠からはみ出した。


 自分で刷った。


 活字を一つずつ拾いながら、手が止まった。


「お休みをいただきます」。


 三年と二か月前に、画面の向こうで、誰かがこれを書いた。


 わたしは、その人のことを、少しも考えたことがなかった。毎月「待ってます」と書きながら、その一行が、書けない人の背中にどう乗るのかを、考えたことがなかった。


 活字の棚の前で、わたしは長いあいだ立っていた。


 先生。


 書けなかったんですか。


 待っている人が、怖かったんですか。




 次の週も、休んだ。その次の週も。


 三週目の朝、印刷屋の前に、列はできなかった。かわりに、戸の下の隙間に、紙切れが何枚も差しこまれていた。宛名は、どれも夜鳴きうさぎ先生だった。差しこまれた先は、どれもこの戸だった。汚い字のもの、きれいな字のもの、字が書けない人が描いたらしい、鐘の絵だけのもの。


「待ってます」

「待ってます パン屋」

「ゆっくりでいい」

「ガランは振り向かなくていいから、帰ってきて」

「待ってます」


 わたしは紙切れを全部拾って、作業台の上に並べた。


 二十七枚あった。


 前の人生で、わたしが書いた「待ってます」は、三十八回。


 先生は、それを全部読んだのだろうか。読んで、どう思ったのだろうか。


 分からない。分からないけど、一つだけ分かった。


 わたしが読みたかったのは、王女が剣を折ったあと、ガランが何と言うかだった。百回より多く読んで、そのたびに、その先を自分で想像していた。


 それなら、それを書けばいい。




   *




 第四章の一回目は、休んで四週目の新聞に載った。


 先生の癖は、半分だけ残した。人が泣く場面で、天気の話をするところは残して、章の終わりに誰かが振り向くところは、やめた。ガランは、振り向かずに、王女の隣に立った。黙って隣に立つところを書いているとき、なぜか、毎週戸口で少しだけ待って帰っていく人の背中を思い出した。理由は、考えないことにした。


 題名の下の作者名は、こう刷った。


「夜鳴きうさぎ 原作 / 第四章より ルゥ」


 ベルナールさんは、その行を見て、眼鏡を押し上げた。


「よろしいんですか。先生の許可は」

「遠い国の人なので」


 わたしは言った。


「でも、たぶん、怒らないと思います」


 町の人は、その一行を、わたしがやっと本当の名前を出したのだと読んだ。


「最初から、ルゥ先生でよかったのに」


 パン屋の娘は、そう言って笑った。原作と第四章を分けて読んでくれる人は、どこにもいない。


 それでも、わたしはそう刷った。




 その朝、印刷屋の前に、また列ができた。夜明け前から、通りの端まで。


 列の真ん中あたりに、白い髭の老人が、外套の襟を立てて並んでいた。顔を隠しているつもりらしかったけど、髭が襟からはみ出していた。王立学院の、あの批評家だった。


 パン屋の娘が、列の横を通りながら、焼きたてのパンを一つ、その老人の手に押しつけた。


「学院の先生、並ぶなら、最初からそう言えばいいのに」


 老人は、パンを持ったまま、真っ赤になった。


 列からは、抜けなかった。




   *




 その晩、わたしは作業台で、第四章の二回目を書いていた。ランプの油が少なくなって、そろそろ寝ようと思ったころ、父が一通の手紙を持ってきた。


「新聞社に届いたそうだ。おまえ宛てに」


 封筒には、宛名しかなかった。


「『七つ鐘』の第四章を書いている方へ」


 中には、紙が一枚だけ入っていた。字は、この世界の字だった。でも、終わりを左へはねるはずの字が、右へはねていた。わたしが最初のころ、父に何度も直された字と、同じ間違いだった。この世界で生まれた人の字ではない、と思った。


 一行だけ、書いてあった。




「ガランを振り向かせなかったの、いいと思います。 夜鳴きうさぎ」




 わたしは、右へはねた字を、指で一つずつなぞった。


 ランプの火が、小さく揺れた。


 それから、引き出しの奥から新しい紙を出して、返事を一行だけ書いた。三年と二か月前の「お休みをいただきます」に、やっと返せる一行を。


 明日の朝、新聞のいつもの四角い枠に刷る。あの休みのお知らせを刷ったのと、同じ場所に。




「先生、続き、書かせていただきます。」

この物語はフィクションで、実在の人物・団体とは関係ありません。

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