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灰狼と紅蓮騎士

作者: 大空渚
掲載日:2026/05/20

 フェルカ帝国は、大陸の三分の二を支配していた。


 空を裂く飛空戦艦、山脈を貫く鉄道網、魔導機関による永久炉。百年前には小国同士で争っていた西方諸国を統一し、飢餓も盗賊も減らした“偉大なる秩序”――それが帝国の掲げる理念だった。


 そしてその秩序を守る剣こそ、上位騎士。


 紅蓮騎士団第三席、フレイム・アルヴァレスは、その中でも特に名の知られた男だった。


 燃えるような赤髪と、魔力を炎へ変換する特異能力《灼界》。戦場で彼の剣が振るわれれば、数百の兵が一瞬で灰になると言われている。


 帝都の民は彼を英雄と呼んだ。


 だが、フレイム自身は、英雄などと思ったことは一度もなかった。



「次の任務だ」


 軍務尚書ギルベルトは、分厚い書類を机へ投げた。


「辺境都市リグナで反乱軍が蜂起した。規模は三千。指導者は《灰狼》ゼノ」


「……また反乱ですか」


「また、だ。最近は特に増えた」


 ギルベルトは苛立たしげに葉巻へ火を点ける。


「税の引き上げ、徴兵強化、魔鉱徴発。連中は不満を溜め込んでいる。だが帝国は止まれん。北方同盟との戦争準備が必要だからな」


「戦争準備のために、国内を疲弊させる」


 ぽつりと漏らした言葉に、ギルベルトの目が細くなった。


「……何か言いたいことでも?」


「いえ」


 フレイムは短く答えた。


 上官へ余計なことを言うべきではない。


 それが帝国騎士の常識だった。


     ◇


 リグナへ到着したフレイムは、まず違和感を覚えた。


 反乱都市のはずなのに、街は静かだった。


 略奪の痕も、焼け跡もない。


 広場では子供たちが遊び、炊き出しまで行われている。


「……妙だな」


「何がだ?」


 背後から声がした。


 振り向いた瞬間、銀色の短剣が喉元へ突きつけられる。


 黒い外套を纏った男。


 灰色の瞳。


 こいつが――灰狼ゼノ。


「帝国の英雄が、ずいぶん不用心だ」


「俺を殺さないのか?」


「殺したところで意味がない」


 ゼノは肩をすくめた。


「お前ら帝国騎士は、俺たちを蛮族だと思ってるだろう?」


「違うのか」


「なら見ていけ」


 ゼノは街を指差した。


「帝国は税を三倍にした。払えなければ食料を没収。逆らえば見せしめ処刑。俺たちは生きるために武器を取っただけだ」


「……」


「帝国は秩序を語る。だが実際は、民を食い潰してるだけだ」


 フレイムは反論できなかった。


 なぜなら、途中で見てきた村々が、その言葉を裏付けていたからだ。


 痩せ細った農民。


 徴兵で息子を失った母親。


 魔鉱採掘で崩れた山。


 帝都では見えなかった現実が、そこにあった。


「お前ほどの力が、なぜ帝国なんかに従う?」


 ゼノの問いに、フレイムは答えられなかった。


     ◇


 その夜。


 帝国軍は予定通り進軍した。


 指揮官はフレイム。


 だが彼は、命令を下せずにいた。


「閣下、攻撃命令を!」


 副官が焦った声を上げる。


 城壁の向こうには、武器を持つ市民たちがいた。


 老人も。


 女も。


 子供さえいる。


 帝国軍は最新鋭の魔導砲を構えている。


 撃てば終わる。


 街ごと。


「……降伏勧告を出せ」


「しかし!」


「聞こえなかったか」


 低い声に、副官は黙った。


 数分後、返答が来る。


『拒否する』


 短い返答だった。


 そして次の瞬間、帝国本軍から通信が入る。


『フレイム上位騎士。即時殲滅を実行せよ』


 ギルベルトの声だった。


『反乱分子に慈悲は不要だ』


 フレイムは拳を握り締めた。


 城壁の上に、小さな少女が見えた。


 まだ十歳ほどだ。


 震えながら、それでも必死に石を抱えている。


 帝国軍へ投げるために。


 あんな子供まで戦わせているのか。


 ……違う。


 戦わせているのは帝国だ。


『命令を実行しろ、フレイム』


「……もし拒否したら?」


 通信が沈黙した。


『反逆と見なす』


「そうか」


 フレイムは静かに目を閉じる。


 そして。


 剣を抜いた。


 だが切っ先は、城壁ではなく――背後の帝国軍へ向けられていた。


「なっ……!?」


「全軍、武装解除しろ」


 ざわめきが広がる。


「俺はもう、この命令には従わない」


「正気ですか!?」


「正気だ」


 フレイムの身体から、灼熱の魔力が噴き上がった。


 紅蓮が夜空を染める。


「俺は今まで、“秩序”を守ってるつもりだった」


 だが違った。


 守っていたのは、ただの支配だ。


「子供を殺し、民を飢えさせ、それでも国家のためと言い張る。そんなものは秩序じゃない」


 彼は剣を掲げる。


「これは暴力だ」


 帝国兵たちが後退した。


 誰も逆らえない。


 目の前にいるのは、一騎で軍勢を焼き払える怪物なのだから。


「道を開けろ」


 フレイムは歩き出した。


 帝国軍の中を。


 誰も止められなかった。


     ◇


 城門が開く。


 ゼノは驚いた顔で彼を見た。


「……お前」


「勘違いするな」


 フレイムはぶっきらぼうに言う。


「俺は正義の味方になる気はない」


「じゃあ何だ?」


「気に食わないだけだ」


 帝国のやり方が。


 自分自身が。


 何も見ようとしてこなかったことが。


「だから、お前たちに力を貸す」


 ゼノは数秒黙り込んだあと、ふっと笑った。


「帝国最強の騎士が寝返るとはな」


「最強かどうかは知らん」


「いや、最強だよ」


 ゼノは手を差し出した。


「歓迎する、フレイム」


 フレイムは少し迷い、そしてその手を握った。


     ◇


 その日を境に、大陸は揺れた。


 帝国最強の騎士が反乱軍へ加わった。


 その事実は瞬く間に広がり、各地で蜂起が始まる。


 帝国は激怒した。


 裏切り者フレイム・アルヴァレス。


 討伐優先度、第一級。


 かつて英雄と称えられた男は、一夜にして国家最大の敵となった。


 だが。


 帝都を遠く眺めながら、フレイムは不思議と後悔していなかった。


「戻る気はあるか?」


 隣でゼノが聞く。


「ないな」


「全部敵になるぞ」


「今さらだ」


 フレイムは笑った。


 初めて、肩の荷が下りた気がした。


 帝国の剣ではなく。


 誰かに命じられる兵器でもなく。


 自分自身の意思で立っている。


 それだけで十分だった。


 遠くで、帝国軍の飛空戦艦が夜空を横切る。


 新たな戦いが始まる。


 きっと血は流れるだろう。


 簡単に世界は変わらない。


 それでも。


「行くぞ、ゼノ」


「ああ」


 フレイムは剣を握る。


 今度は誰かを支配するためではない。


 この腐った世界を、焼き尽くすために。

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