第三話:キャンパスの講義と、百円の勝機
火曜日の三限。
いつもなら、正直ちょっと眠い時間です。
でも今日は、なぜかノートを取る手が止まりませんでした。
昨日の「三袋」が、頭から離れなかったからです。
経営の理論と、バイト先のお茶屋さん。
まだうまく結びついているわけではないけれど、
少しだけ、線がつながりかけています。
火曜日の三限。マーケティング論の講義。
いつもなら窓の外を眺めているはずの私の手が、今日は止まらなかった。
「……顧客はまず注目し、興味を持ち、その後に欲求が生まれる」
教授の声が教室に静かに響く。
(あれ……)
昨日の光景が、ふっと浮かぶ。
リコーダーの音で足が止まり、
桜茶の袋に目が向き、
そして——三袋。
私はノートの端に「3」と書いて、そっと丸で囲んだ。
これって、もしかして。
「ちょっと、はるか。今日、槍でも降るんじゃない?」
隣の席で、こなつが私のノートを覗き込んでいた。
ウェーブがかった明るい髪に、流行りのネイル。経営学科の中でも「キラキラ側」にいるはずの彼女は、真面目にメモを取る私を見て目を丸くしている。
「どうしたの? 企業戦士にでもなるつもり?」
「……いや、バイト先のお茶屋さんが潰れそうで」
私は小声で、昨日の「リコーダー作戦」の話をした。
こなつは一瞬固まり、それから笑った。
「大学で経営学んで、最初のアクションが縦笛って……面白すぎない?」
「笑いすぎ。でも、三袋売れたんだから」
「いいよ、そういうの嫌いじゃない。……じゃあさ、次は“欲求”でしょ?
飲ませてみたら? 桜茶なんでしょ」
「試飲……。でも、店長がお金ないって」
「あのね、経営学科なら“見栄え”も考えなさい。真っ白な業務用コップで出されても、テンション上がらないでしょ。百均に桜柄の紙コップあるよ。それだけでちょっと素敵になる」
タッチポイント。顧客との接点。
その接点を、ただの作業にするか、体験にするか。
こなつの言葉は、教科書よりもずっと、私の中に残った。
その日のバイト前、私は佐藤店長に言った。
「店長、百円だけ、実験させてください」
「えぇ……百円も無駄にできない状況なんだけど……」
「無駄じゃないかもしれません」
渋る店長を押し切り、私は駅前の百均へ走った。
そして夕方の「緑風園」。
リコーダーの音色に足を止めたお客さんに、私は桜柄の紙コップで温かい桜茶を差し出した。
「よろしければ、どうぞ。春の香りがしますよ」
「あら、可愛いコップね」
「ちょっとお花見気分だわ」
白い業務用コップなら、ただの無料配布で終わっていたかもしれない。
でも桜柄のそれは、会話のきっかけになった。
「これ、一袋もらえるかしら。友達に配るのにちょうどいいわ」
その日の売上は、六袋。
レジの数字が、少しだけ誇らしかった。
カバンの中の重い教科書が、昨日よりほんの少しだけ軽く感じられた。
読んでいただきありがとうございます。
六袋。
数字としては、決して大きくありません。
それでも、はるかにとっては確かな変化でした。
今回は「百円の実験」。
大きな戦略ではなく、小さな工夫です。
仕事は、ときどき理論よりも先に、
手応えとしてやって来るのかもしれません。
次回、はるかは少しだけ“継続”について考えます。




